丸太は歩く、矢は疾る
「おいおい、本当にやるのかよ……」
「相手はD級の『重戦士のボルス』だぞ。あのガキ、一撃でペシャンコにされるんじゃねえか?」
ギルドの奥にある、頑丈な石壁で囲まれた地下決闘場。
遠巻きに見物人たちがざわざわと騒ぐなか、雫とボルスは中央で対峙していた。
心配そうに胃を押さえている澪の横で、ギルドの審判が厳粛な声で宣言する。
「これよりギルド公認の決闘を執り行う! ルールは『戦闘不能』、または『降伏』の確認をもって決着とする。なお、この空間にはギルド特製の【身代わりの結界】が張られている!」
審判が床の魔導具を起動すると、決闘場全体が淡い青い光の膜に包まれた。
「結界の内部では、本来なら致命傷になるはずの攻撃を受けても、魔力がそれを肩代わりして体力を1だけ残して自動で弾く! つまり、死ぬことは絶対にない! ただし、攻撃の痛みや衝撃はそのまま伝わるからな。両者、覚悟せよ!」
「ケッ、死なねえなら好都合だ。大怪我させてトラウマ植え付けた後、泣きながら俺の奴隷にさせてやるよォ!」
ボルスが巨大な大剣を肩に担ぎ、下品な笑みを浮かべる。
対する雫は、お気に入りの白いパーカーの袖を無表情にまくり上げながら、背中の弓を静かに手に取った。
「……死なない。すごい、魔法」
雫は感情の読めない瞳のまま、ぽつりと呟いた。
「……じゃあ、手加減、いらない。思いっきり、射てる」
「あァ!? 寝言は寝て言えクソガキがぁ! 『剛力活殺』ァ!!」
ボルスが強化スキルを発動し、大剣に赤いオーラが宿る。地響きを立てて突進してくるその姿は、まさに迫り来る突撃戦車だ。
凄まじい威圧感に周囲の観客が息を呑む。しかし、雫の目には――やはり『動きの遅い丸太』が向かってきているようにしか見えなかった。
雫の俊敏ステータスは『125』。D級前後の戦士の平均値を遥かに凌駕する圧倒的な神速。
雫がすっと右足を後ろに引いた瞬間、ボルスの視界からその姿が完全に消えた。
「――が、消え……っ!?」
ボルスが驚愕に目を見開いたときには、すでに雫は真横へと回り込んでいた。
流れるような滑らかな動作で、矢筒から一本の矢を引き抜く。弓に番え、弦を引き絞る。そこには一ミリの迷いも、無駄な力みもない。
発動するのは、彼女だけが持つユニークスキル――『百射百中』。
狙うのは、ボルスの右肩の関節。
ヒュンっ!!
鼓膜を叩いたのは、これまで誰も聞いたことがないほど鋭く重い風切り音だった。
目にも留まらぬ速さで放たれた矢は、突進の慣性で動くボルスの右肩へ、寸分の狂いもなく突き刺さる。
「ガあぁぁァァァーーっ!?」
結界が致命傷を弾く。しかし、強烈な衝撃と激痛、そして『矢の威力そのもの』は消えない。
ボルスは右腕を激しく弾かれ、大剣を握る握力を失って地面へと取り落とした。ガラガラと激しい金属音が響き渡る。
「なっ……大剣を、一撃で弾いただと!?」
「今、何が起きた!? 速すぎて矢が見えなかったぞ!」
どよめく観客を余所に、雫の猛攻は終わらない。
おとなしい顔のまま、淡々と、まるで作業でもこなすかのように二の矢、三の矢が番えられる。
ヒュンっ! ヒュンっ!
「ぐはっ!?」「あがっ!?」
ボルスの両膝の皿へと、正確無比に矢が突き刺さった。
結界の魔力が激しく火花を散らす。ボルスは絶叫しながら、その場にズシャァァッ! と無様にスライディングするような形で激しく転倒した。
「……まだ、立ち上がる?」
雫は無表情のままトコトコと近づき、倒れ伏すボルスの脳天に向けて、至近距離から弓を引き絞った。
感情の失せた黒い瞳が、冷ややかにボルスを見下ろす。山で獣の息の根を止めてきた本物の『狩人』の放つ圧倒的な殺気が、決闘場を支配した。
「ひ、ひぃっ……あ、降伏! 俺の負けだ! 降伏するぅぅ!!」
ボルスは涙と鼻水を流しながら、全力で両手を挙げた。
死なない結界があるはずなのに、目の前の少女にこれ以上矢を放たれたら、自分の存在が消滅してしまうのではないかという本能的な恐怖に屈したのだ。
「そこまで! 勝者、照道 雫!!」
審判の叫び声が響いた瞬間、決闘場は静寂に包まれた。
誰もが言葉を失っていた。D級のベテラン戦士が、昨日登録したばかりの衣服の綺麗なG級の少女に、かすり傷一つつけられず、文字通りの一瞬で完封されたのだから。
「……ふぅ。お洋服、汚れなくて、よかった」
雫はパチパチと白パーカーの埃を払い、何事もなかったかのように弓を背中に戻すのだった。
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