繋がる声、誓いの組紐
大氾濫の発生宣言が下されたギルド要塞。
おびただしい数の魔物の気配に大地が微かに震えるなか、最前線の防衛ブロックへと続く巨大な鉄格子の前で、澪は震える手で魔導スマホを操作していた。
通話の呼び出し音が2回、3回と鳴り、カチャリと繋がる。
『……お姉ちゃん?』
魔導スマホの画面に映し出されたのは、2LDKの自宅マンションで一人、膝を抱えて待っていた9歳の妹――美月だった。その小さな顔には、街中に響き渡る避難誘導のアナウンスへの恐怖が隠しきれず、大きな瞳が不安げに揺れている。
「美月! ごめんね、急に電話して。……あのね、ちょっとギルドの仕事が長引きそうで、今夜は帰れなくなっちゃったの」
澪は努めて明るい、花の女子高生らしい元気なトーンを作って声を弾ませた。けれど、戦場を前にした緊張から、その声はほんのわずかに震えてしまう。
「街の避難指示が出たら、ギルドの誘導員さんの言うことを聞いて、大人しくシェルターに行ってね。冷蔵庫のなかに――」
『……お姉ちゃん』
早口で指示をまくし立てる澪の言葉を、美月のおとなしい、けれど芯のある声が遮った。
美月は9歳という年齢相応の怖がりな少女だ。本当なら「お姉ちゃん、早く帰ってきて」と泣き喚きたいに決まっている。けれど、物分かりが良く、人一倍賢い彼女は、画面の向こうの姉のボロボロの装備や、背景に映る殺気立った探索者たちの姿を見て、すべてを察していた。
『ううん、大丈夫だよ。美月、ちゃんとお留守番できる。避難のお荷物も、もう準備してあるもん』
「美月……」
『お姉ちゃんは、雫お姉ちゃんと一緒に、街を守るお仕事なんでしょ? すっごく危ないんでしょ……?』
美月の瞳から、一粒の涙がぽろりと溢れ落ちる。それでも彼女はぐっと涙を拭うと、画面の向こうの姉を安心させるように、健気な笑顔を作ってみせた。
『お姉ちゃんががんばってC級になったの、美月知ってるよ。雫お姉ちゃんも、世界で一番強いんだもん。だから……美月、信じて待ってる。2人とも、絶対に、絶対に無事で帰ってきてね?』
「――っ、うん! 約束! 絶対に美月のところに帰るから!」
澪は溢れそうになる涙を堪え、強く頷いた。
「……美月、私の番」
そこへ、隣に立っていた雫がトコトコと近づき、無表情のまま澪の手から魔導スマホをひょいと奪い取った。画面に自分の顔を近づけ、感情の読めない黒い瞳で美月を見つめる。
「……美月。心配、いらない。澪は、私が、絶対に死なせない。……指一本、触れさせない。熊みたいに、近づくやつは全員、解体する」
『ふふ、雫お姉ちゃん、ありがとう。熊はだめだよ?』
雫のズレたタメ口の告白に、美月は張り詰めていた緊張を解き、いつもの天真爛漫なクスクス笑いを見せた。
「……あと、帰ったら、また美味しいお肉、みんなで食べる。……クレープも、買って帰る。だから、お腹をすかせて、待ってて」
『うん! 美月、お腹ぺこぺこにして待ってるね!』
ピッ、と通話が切れる。
雫から魔導スマホを返された澪は、赤くなった目を袖で擦りながら、ふぅと深い呼吸を吐き出した。
「ありがと、雫ちゃん。……よし、もう迷わない!」
「……うん。お姉さん――じゃなくて、澪。行くよ」
雫はおとなしめの天然な口調のまま、自分の左手首に巻き付けられた、パーティーの証である『組紐』をそっと愛おしそうに指で撫でた。
「……繋がってるから、大丈夫」
「……! うん、そうだね!」
不意打ちの呼び捨てと真っ直ぐな信頼を向けられ、澪の頬が夕焼けのようにカッと赤くなる。これから地獄の戦場へ向かうというのに、不覚にもキュンとしてデレてしまう己の心臓を、澪は必死に手で押さえた。
ゴゴゴゴゴ……!
地鳴りの音はいよいよ大きくなり、鉄格子の向こうからは、数万の魔物たちが放つ悍ましい咆哮が、防衛壁を叩く波のように響き渡り始めている。
「全防衛ブロック、ハッチを開放せよ! 第一波、来るぞ!!」
拡声器からの怒号とともに、目の前の巨大な鉄格子が、火花を散らしながらゆっくりと持ち上がっていく。
その先にあるのは、赤黒い魔力の霧に包まれた、未曾有の大戦場。
白パーカーを翻すA級狩人の雫と、折れぬ決意を宿したC級剣士の澪は、互いの絆を確かめ合うように強く視線を交わすと、迷うことなくその絶望の渦中へと足を踏み出すのだった。
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