嵐の前の、甘い筋肉痛
エピソードの順番が逆だったので投稿し直しました
申し訳ないです
数ヶ月に及ぶ地獄の特訓を終え、見事【C級探索者】へと昇級して朝霧家に戻ってきた澪。
しかし、喜びの再会を果たした翌朝――朝霧家の2LDKのマンションには、世にも恐ろしい絶叫が響き渡っていた。
「い、痛い痛い痛い! ちょっと待って雫ちゃん、そこはダメえぇぇーーっ!!」
リビングのカーペットの上。
澪はうつ伏せに倒れ込んだまま、涙目で悲鳴を上げていた。
その背中の上に、ちょこんと馬乗りになっているのは白パーカー姿の雫だ。雫はいつも通りの完全に無表情な顔のまま、お世辞にも細いとは言えない澪の背中の筋肉を、容赦なく親指でゴリゴリと力強く押し込んでいる。
「……ダメじゃない。澪の筋肉、ガチガチ。岩みたい。解体前の獲物より、硬い」
「例えが物騒だし、野生児パワーの加減がバグってるってば! あがっ、痛いぃぃ!」
数ヶ月間、元S級の剣聖ガルガのもとで限界を超えて剣を振り続けた反動だ。
昨日までは緊張の糸で保っていたものの、我が家に帰って気が緩んだ瞬間、全身が猛烈な筋肉痛に襲われ、澪は指一本動かせない状態になっていた。
見かねた雫が「……私が、揉む」と言って馬乗りになったのだが、山育ちのサバイバルマッサージは、現代の整体とは程遠い『荒療治』そのものだった。
「……でも、これ。山の猟師が、よくやるやつ。ツボを、思いっきり潰すと、明日は軽くなる」
「ツボを潰すって表現、初めて聞いたんだけど!? ひゃんっ!?」
雫の親指が、腰のいちばん凝っている部分へグッと深く沈み込む。
あまりの痛みに澪が体をビクッと跳ね上げると、馬乗りになっている雫の柔らかい太ももが、澪の腰にさらに密着した。お風呂上がりの石鹸の匂いが、雫の体温と一緒にふわっと鼻腔をくすぐる。
「……ん? 澪、顔、真っ赤。やっぱり、まだ悪い病気?」
雫は無表情のまま、少しだけ上体を屈めて澪の顔を覗き込んだ。おとなしめの、けれどどこか心配そうな瞳が、至近距離で澪を見つめる。呼び捨てにされた名前に、ただでさえ痛さで限界の澪の心臓が、今度は別の意味で激しくバクバクと暴れ始めた。
「ち、違うから! 距離が近くて恥ずかしいだけ……うう、もう雫ちゃんのバカ……」
フニャフニャにデレてクッションに顔を埋める澪。そんな2人のイチャイチャ空間のすぐ横で、ダイニングテーブルに座って優雅に朝食のパンを齧っていた9歳の美月が、ふふっと賢そうに微笑んだ。
「お姉ちゃん、朝から雫お姉ちゃんに可愛がってもらえてよかったね。あ、そういえばさっき、お姉ちゃんのスマホに『師匠』って人からメッセージが届いてたよ?」
「え? ガルガ師匠から……!?」
澪は痛む体に鞭打って、這うようにしてテーブルの上のスマホを手に取った。
ガルガといえば、修行中は「死ぬ気で喰らいついてこい!」と大剣を容赦なく振り下ろしてきた、世界最強の一角たる『剣聖』だ。メッセージを開く澪の手に、恐怖で緊張が走る。
しかし、画面に表示された文字を見た瞬間、澪は「……は?」と素っ頓狂な声をあげた。
『澪ちゃんおっはよ〜〜〜☆ 無事に街に着いたかなぁ? 師匠、澪ちゃんがいなくなって寂しくてご飯が喉を通らないよぉ(泣) 美月ちゃんにもよろしくね! 近いうちに美味しいお肉持って遊びに行くからねぇ〜〜〜チュッ☆』
「……何これ。誰のスマホと間違えてるの?」
あまりの文面の崩壊っぷりに、澪は思わず頭を抱えた。あの隻眼の威厳あふれる老剣士の面影は微塵もない。
「……ん。そのおじいさん、知ってる」
いつの間にか澪の背後からスマホを覗き込んでいた雫が、ぽつりと言った。
「え!? 雫ちゃん、ガルガ師匠に会ったことあるの?」
「……うん。澪が修行に行ってる間、ギルドの裏で会った。私に『澪ちゃんをよろしくねぇ、これお小遣いねぇ』って、美味しいお菓子、たくさんくれた。……いいおじいさん」
「あのジジイ、私の前と態度違いすぎでしょーーー!?」
修行中以外は、ただの身内に甘々な変態おじいちゃんになるという師匠の衝撃的な事実。
朝からの怒涛のドタバタ劇に、澪は筋肉痛とは別の頭痛を覚えながらも、隣で無表情にクレープの味を思い出している雫を見て、なんだかんだで「帰ってこれて良かったな」と、胸の奥を温かい幸せで満たすのだった。
しかし、そんな朝の穏やかな空気は、長くは続かなかった。
突然、リビングの窓の外――街の遙か遠くにあるギルドの方向から、空気をビリビリと震わせるような、低く不気味な地鳴りの音が響いてきたのは、それから間もなくのことだった。
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