第三節 『白炎』
「光は闇の中に輝いている。そして闇はこれに打ち勝たなかった。」――ヨハネによる福音書 第1章第5節
「人は光を求めた。されど光は、必ずしも救済ではなかった。」――失楽の書 第1章第3節
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白炎が暴走する。避難所の床が焼ける。壁が軋む。
支援物資が炎へ呑み込まれ、空気そのものが白く染まっていく。
澪は息を呑んだ。
「止まって……!」
だが炎は消えない。まるで澪の焦りに反応するように、さらに激しく燃え上がる。
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避難民たちが悲鳴を上げる。
「火事だ!」「逃げろ!」「熱い!」
パニック。押し倒される人々。崩れ始める避難所。
さっきまで人々を救っていた炎が、今度は人間そのものを焼こうとしていた。
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澪の視界が滲む。
違う。こんなつもりじゃなかった。助けたかっただけなのに。
その時、頭の奥で声が響いた。
「浄化せよ。」
冷たい声。感情のない声。昨夜、ミカエルから聞いた声と、まったく同じだった。
「穢れを焼き払え。」
白炎が脈打つ。まるで——人間ごと焼き尽くそうとするみたいに。
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「……っ。」
澪は炎を押さえ込もうとする。だが、無理だった。力が強すぎる。制御できない。
白炎が、彼女の感情を喰いながら膨れ上がっていく。
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その光景を、マモンは静かに見つめていた。
黄金の瞳。そこに恐怖はない。ただ、興味深そうな色だけがあった。
「美しい。」
澪が顔を上げる。マモンは穏やかに続けた。
「その炎は、人類を愛するほど強く燃える。救いたいと願うほど、世界を焼き尽くしていく。」
避難所の天井が崩落した。轟音とともに、白炎が空へ噴き上がる。
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黒い異形たちが、次々に焼け落ちていく。だが同時に、避難民たちの肌も焼け始めていた。
澪の顔から血の気が引く。
「やだ……。やめて……!」
泣きそうな声。けれど炎は止まらない。
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マモンは静かに笑う。
「分かりますか? 人は不完全なんです。だから欲望を持つ。だから飢える。だから間違える。」
彼は燃え上がる避難所を見渡した。
「でも神は、完全を求める。だからその火は、"穢れ"を許さない。」
澪の背筋へ寒気が走る。その瞬間、白炎がさらに膨れ上がった。
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轟ッ――!
爆発的な熱風とともに、避難所全体が白光へ呑み込まれる。
澪の瞳から涙が零れた。
「助けたいだけなのに……!」
その叫びに呼応するように、白炎はなおも暴走する。
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その時だった。白炎が——一瞬、躊躇った。
それと同時に、白い炎の中へ黒い羽根が舞い落ちた。
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次の瞬間、白炎が静まる。まるで"何か"に怯えたみたいに。
澪は息を呑んだ。
「……え。」
誰もいない。だが、確かに何かがいた。空気が変わっていた。冷たく、深い。底の見えない夜のような気配。
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マモンの表情が、初めて僅かに変わる。黄金の瞳が、炎の向こう側を見つめた。
そして、小さく笑う。
「……見ているのですね。」
澪が振り返る。だが、誰もいない。
ただ、黒い羽根だけが白炎の中を静かに舞っていた。
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その直後、避難所全体が激しく揺れる。
轟音。人々の欲望が融合し、巨大な黒い塊が天井を突き破った。
無数の顔、無数の腕。都市ひとつ分の飢えを集めたような、巨大な異形。
黒い怪物たちが、ひとつの"王"へ変貌していく。
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マモンは静かに目を細めた。
「ああ。美しい。」
怪物が咆哮し、避難所そのものが揺れた。足が動かない。あんなもの、倒せるわけがない。
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だが、澪の掌の白炎だけが歓喜するように燃え上がっていた。
どくり。どくり。まるで心臓みたいに脈打つ。
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熱い。違う、これは——。
"倒したい"じゃない。"焼きたい"。
息が詰まる。
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頭の奥で、また声が響いた。また、あの声だ。最初に聞いた時と、まったく同じ声で。
「浄化せよ。」「穢れを焼き払え。」
白炎が膨れ上がる。巨大な異形だけではない。避難民たちへまで、炎が伸びかけていた。
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澪の瞳が揺れる。
「……なんで。」
頬を涙が伝う。
「なんで、みんなまで焼こうとするの……。」
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その瞬間。
白炎が——笑った。




