第二節 『黄金の王』
「あなたがたは、 神と富とに仕えることはできない」 ――マタイによる福音書 第6章第24節
「都市は欲望によって築かれ、欲望によって喰われる。」――失楽の書 第1章第2節
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朝。
教室の空気は、どこか落ち着かなかった。
テレビでは朝から昨夜の事件が流れ続けている。
《原因不明の集団暴動》
《複数地域での失踪事件》
《政府は治安維持を優先――》
ニュースキャスターは冷静を装っていた。
けれど、 その声の奥には明確な怯えが混じっている。
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「昨日の見た?」
「白い翼のやつだろ?」
「加工じゃね?」
「でもマジで人消えてるらしいよ」
教室では、生徒たちがスマホを囲んで騒いでいた。
昨夜撮影された映像。
黒い怪物。
白い光。
崩壊した街。
誰も本気では信じていない。
ただの都市伝説みたいに消費している。
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澪は窓際の席で、 ぼんやり右手を見つめていた。
制服の袖の奥。
掌には、 薄い白い紋様が残っている。
昨夜、 ミカエルから与えられた炎。
夢ではない。
そう思うたび、 胸の奥が熱くなる。
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「みおー?」
ほのかが机へ突っ伏す。
「ほんと大丈夫? 今日ずっと顔青いけど」
「ちょっと寝不足…」
「また人助けして遅くまで起きてた?」
図星だった。
澪は苦笑する。
その優しさを、 友人たちは昔から知っていた。
困っている人を見ると放っておけない。
だからよく損をする。
でも澪はそれをやめられなかった。
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昼休み。
澪は逃げるように屋上へ来ていた。
風が強い。
フェンス越しに見える街は昨日までと同じはずなのに、 どこか色が違って見えた。
遠くでヘリが飛んでいる。
サイレンも止まらない。
世界が少しずつ軋んでいる。
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澪はそっと右手を開く。
「出て…」
小さく呟く。
すると。
掌へ白い火が灯った。
静かな炎。
熱いのにまるで痛くない。
神聖な光。
綺麗だった。
でも同時に、 恐ろしかった。
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その時、下の通りから歓声が聞こえた。
澪はフェンス越しに視線を落とす。
黒塗りの車列。
報道陣。
集まる人々。
そして大型モニターにひとりの男が映し出されていた。
白金のスーツ。
穏やかな笑み。
洗練された声。
巨大企業CEO。
神崎玲央。
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『避難区域への追加支援を開始します』
『インフラ復旧、 医療供給、 生活支援についても、 全面的に我々が協力します』
歓声が上がる。
「神崎さんだ!」
「マジで救世主じゃん」
「国より頼れるよな」
誰もが彼を称賛していた。
若き成功者。
慈善家。
時代の英雄。
澪も名前くらいは知っている。
知らない人間の方が少ない。
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だがその瞬間。
どくん、と手の中の白炎が脈打った。
強く。
嫌なほどに。
澪の呼吸が止まる。
画面の中の神崎玲央。
その背後に。
黒い「何か」が見えた気がした。
煙みたいな。
影みたいな。
無数の人影が絡み合ったような異形。
次の瞬間には消えている。
澪は息を呑んだ。
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『人は、 より豊かになろうとする』
神崎は穏やかに語る。
『より満たされたいと願う』
『それは罪ではありません』
『人類の進歩そのものです』
拍手。
歓声。
誰も違和感を抱かない。
でも澪だけは寒気を覚えていた。
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放課後。
澪は避難区域近くのボランティアへ向かっていた。
崩れた商店街。
割れた窓ガラス。
封鎖線。
まだ焼け跡の匂いが残っている。
けれど避難所だけは妙に整っていた。
大量の毛布。
医療品。
保存食。
すべて《ユグドラシル・グループ》の支援物資。
「ありがとうお兄さん、本当に助かるわ…」
年配の女性が涙ぐむ。
スタッフたちも安堵していた。
この状況で、 ここまで動ける企業は少ない。
だから皆、 神崎玲央を救世主のように語る。
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「おや」
声。
澪の背筋が凍る。
振り返るとそこに神崎玲央本人がいた。
近くで見るほど現実感が薄い。
完璧すぎた。
まるで 人間が思い描く「理想」を形にしたみたいだった。
彼は穏やかに微笑む。
「初めまして。 天城澪さん」
澪の喉が詰まる。
「なんで、 私の名前を…」
「有名ですよ」
神崎は柔らかく笑った。
「白い炎の救世主」
その瞬間。
澪の視界が揺れる。
彼の背後に黒い影が蠢いていた。
いや、影なんてものじゃない。
無数の腕。
歪んだ顔。
溶け合った口。
人の欲望を無理やり捏ねて怪物にしたような異形。
澪は思わず後退る。
「なに…… あれ……」
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神崎玲央はその怪物たちを見ながら、 どこか愛おしそうに目を細めた。
「レギオン」
澪が顔を上げる。
彼は静かに告げる。
「人の欲望から生まれる悪霊です」
怪物たちが囁く。
「もっと」
「ほしい」
「たりない」
澪の背筋へ寒気が走る。
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「飢え、嫉妬、執着、欠乏感、満たされない願い」
神崎は穏やかな声で続ける。
「人は常に、 “足りない”と願う。その渇きが、 彼らを生むのです」
澪は息を呑む。
「そんなの、 怪物じゃない…」
すると神崎は、 少しだけ困ったように笑った。
「ええ。彼らは、 人間の一部ですよ」
その言葉に、 澪の心臓が止まりそうになる。
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沈黙。
避難所の空気が、 ゆっくり重くなっていく。
そして神崎玲央は、 優雅に一礼した。
「昔は、 別の名で呼ばれていました。」
黄金の瞳が細められる。
「強欲の悪魔――マモン」
その瞬間。
避難所の人々が、 一斉に顔を上げた。
濁った瞳。
壊れた笑顔。
そして…
影の中から、 無数の異形が這い出してくる。
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マモンは、 狂乱へ染まり始める避難所を見渡しながら、 静かに微笑んだ。
「さあ、人類の欲望を見せてくれ」
その声は穏やかだった。
まるで教師が、 生徒へ発表を促すみたいに。
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次の瞬間。
避難所の空気が変わる。
どろり、と。
目に見えない何かが人々の内側から溢れ出していく。
黒い靄。
呻き声。
そして。
影の中から、 異形たちが這い出してきた。
「な……っ」
澪が息を呑む。
無数の腕。
裂けた口。
絡み合う顔。
人間の感情を 無理矢理肉へしたみたいな怪物。
避難民たちの影から次々に生まれていく。
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「食料だ!!」
男が支援物資へ飛び付く。
「返して!! それ私のよ!!」
女が別の避難民を突き飛ばす。
ほんの数秒前まで 互いを励まし合っていた人々が、 獣みたいに奪い合い始める。
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黒い異形たちは、 その感情へ呼応するように膨れ上がっていく。
「もっと」
「たりない」
「ほしい」
囁き声が空間を埋め尽くす。
澪は後退る。
「なんで… みんな…」
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するとマモンは、 本当に不思議そうな顔をした。
「欲望があるからですよ」
彼は崩壊していく避難所を見渡す。
怒号。
悲鳴。
泣き声。
奪い合い。
その全てを 美しいものを見るみたいに眺めながら。
「人類は、 欲望によってここまで来た。もっと豊かに、もっと便利に、もっと満たされたいと願った。」
黄金の瞳が、 静かに細められる。
「だから文明は生まれた。」
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澪は言葉を失う。
否定できなかった。
人間は、 「もっと」を願って進歩してきた。
飢えないために。
苦しまないために。
幸せになるために。
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でも。
「だからって…!」
澪は震える声を絞り出す。
「こんなの…間違ってる…!」
その瞬間、避難民のひとりが黒い異形へ飲み込まれた。
悲鳴。
身体が歪む。
腕が増える。
顔が裂ける。
澪の顔から血の気が引いた。
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「やめて!!」
咄嗟に右手を伸ばす。
その時だった。
白炎が灯る。
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轟、と。
純白の炎が、 澪の掌から溢れ出した。
空気が震える。
神聖な熱が 避難所を照らす。
黒い異形たちが一斉に悲鳴を上げた。
「アアアアアッ――!!」
白炎が異形を焼き払う。
影が崩れ落ち、避難民たちの瞳へ 一瞬だけ理性が戻る。
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だが。
炎は止まらなかった。
白炎が なおも膨れ上がっていく。
床を焼き。
壁を焼き。
避難所そのものを飲み込み始める。
澪の瞳が揺れる。
「え…」
止まらない。
消えない。
まるで。
もっと焼きたがっているみたいに。
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マモンは、 その光景を静かに見つめていた。
恐怖もない。
焦りもない。
ただ。
どこか懐かしそうな目で。
「…やはり、 白炎か」
彼は小さく笑う。
「人を救うための炎ではない。」
その言葉に。
昨夜、 地獄の玉座で白炎を見つめていた 黒翼の王の姿が重なるようだった。




