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七つの炎  作者: ひなもり
第一章 『強欲』

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第十六節 『再び』

「あなたがたは疲れ果てて、気力を失わないように、罪人たちの激しい反抗に耐え忍んだ方のことを考えなさい。」――ヘブル人への手紙 第12章第3説


「戦いが繰り返されるほど、人は戦うことを忘れていく。ただ——燃やすことだけを、覚えていく。」――失楽の書 第1章第16節


---


レギオンが現れたのは、祭典の翌朝だった。


---


夜明け前。まだ人々が眠っている時間に、黒い影が這い出してきた。


第二避難所の近く。昨夜の祭典で人々の欲望が膨らんだからか、その規模は以前より大きかった。一匹、また一匹。影が増えていく。集まっていく。やがて——一つの塊になっていく。


澪は走り出していた。


警報が鳴る前に、気配で分かっていた。右腕の白炎が——澪より先に、反応していた。


「来るよ。」


呟いて、白炎を解放する。


以前より、早かった。以前より、大きかった。純白の光が夜を切り裂いて、黒い影へ向かっていく。


---


戦いは、激しかった。


規模が大きい分、数も多かった。一匹焼いても、また這い出してくる。二匹焼いても、また来る。まるで——底なしの暗闇から、際限なく湧き出てくるみたいに。


怒りがあった。


この状況への怒りが。終わらないことへの怒りが。その怒りを燃料にして、白炎が燃える。よく燃えた。怒るほど、炎は応えた。


澪は気付いていた。


怒りを燃料にすると——炎が強くなる。以前は、怒りをコントロールしながら白炎を使っていた。でも今は——怒りのまま解放すれば、炎が勝手に動いてくれる感じがあった。


楽だった。


楽になっていた。


その「楽さ」が——どこかおかしい気がした。


---


三十分後、レギオンは全滅した。


澪は息を整えながら、瓦礫の上に立っていた。右腕が熱い。でも——消耗感が薄かった。以前ならもっとぐったりしていた。今は——まだ動ける気がした。


そこへ、マモンが現れた。


夜明けの空を背に、穏やかに立っていた。「お疲れ様です。」


「……また来た。」澪は言った。


「見ていましたよ。」マモンは続けた。「今日の戦い。」


「何が言いたいの。」


「白炎が、育っていますね。」マモンは静かに言った。「以前より、明らかに。制御も、速くなった。怒りを燃料にした時の出力が、特に。」


澪は右腕を見た。


確かに、育っている。自分でも感じていた。怒りを燃料にすれば炎は燃える。恐怖を感じれば炎は応える。感情が——炎を動かしている。


「白炎は感情を餌に強さを増す。」マモンは続けた。「あなたが感情を持ち続ける限り、炎は育ち続ける。」


「それは——前にも聞いた。」


「ええ。」マモンは微笑んだ。「ですが今日は、もう少し具体的にお伝えできる。」


澪は黙って続きを待った。


「怒りを感じた時、炎が強くなったでしょう。」マモンは言った。「それは——白炎が怒りを喰らったからです。感情を喰らうほど、炎は強くなる。」


「喰らう。」澪は繰り返した。「じゃあ——感情が、なくなっていくってこと?」


「さあ。」マモンは穏やかに首を傾けた。「白炎が何を選ぶかは、白炎が決めることですから。」


また、その答えだった。


教えない。でも——何かを知っている。その「何か」が、澪には届かなかった。


---


「楽になってきたでしょう。」マモンは続けた。「戦いが。」


澪は答えなかった。


「それは悪いことじゃない。」マモンは言った。「強くなっている証拠だ。あなたが強くなるほど——人々は救われる。今日も、第二避難所の人々は守られた。」


「それも——あなたの計算の内でしょ。」


「ええ。」マモンは頷いた。「ですが——守られた事実は本物です。」


また、その論理だった。


目的がどうであれ、結果は本物だ。澪には否定できなかった。守られた人がいる。それは本物だ。


「あなたが強くなるほど、人々は救われる。」マモンは静かに繰り返した。「だから——強くなり続けてください。」


読者には分かる。


強くなるほど、白炎が育つ。白炎が育つほど、感情が削れる。感情が削れるほど——何かが失われていく。マモンはその連鎖を知っている。だから「強くなり続けてください」と言う。澪には届かない。でも——読者には、届く。


---


その日の午後、ほのかと会った。


ほのかは少し疲れた顔をしていた。昨夜の祭典の帰りが遅くなったからか、目の下にうっすらと隈があった。


「なんか——昨日から、ずっとあの演説のことを考えてる。」ほのかは言った。「神崎さんの言葉。許されたって感じ。なんか、ずっと心に残ってて。」


澪は頷いた。「……そう。」


「変かな。」ほのかは少し照れくさそうに笑った。「たった一回聞いただけなのに、こんなに残るって。」


「変じゃない。」澪は言った。


ほのかは安心したように微笑んだ。「そっか。よかった。」


それから少しの間、二人で並んで歩いた。壊れた街を。いつもの道を。


ほのかが不意に言った。「ねえ澪。昨日の祭典、泣きそうになったじゃん。」


「……うん。」


「澪は——泣きそうにならなかった?」


澪は少しだけ間を置いた。「……疲れてたから。」


「そっか。」ほのかは頷いた。でも——その目は、納得した顔ではなかった。何かを言いたそうな、でも言えない顔だった。


澪には分かっていた。ほのかは気付いている。澪が泣かないことに。感情を表に出さなくなっていることに。


でも聞けない。


聞いたら壊れそうで。


だから——ただ隣にいる。


その優しさが、澪には届いていた。届いていた——でも、胸が締め付けられる感じがしなかった。温かいとは感じる。でも——泣きたいとは思わなかった。


---


夜になって、一人になった。


澪は廃墟の端に腰を下ろして、右腕を見た。


白炎の端の灰色が、また広がっていた。


今日の戦いで、怒りを燃料にした。よく燃えた。楽だった。その「楽さ」が、今も右腕に残っている感じがした。


感情を喰らって、炎は育つ。


でも——何の感情を喰らっているのか、まだ分からなかった。


怒りはある。怖さもある。でも——悲しいという感情だけが、ない。


ほのかが昨夜泣きそうになっていた。澪は泣かなかった。老人が涙を流していた。澪は何も感じなかった。人々が利用されていると知っても、胸が痛まなかった。


悲しさだけが——ない。


でもなぜ悲しさだけが削れているのか。他の感情は残っているのに、なぜ悲しさだけが——。


答えは出なかった。


右腕の灰色が、月明かりの中で静かに光っていた。


澪はそれを見つめた。見つめながら——悲しいとは感じなかった。


そのことへの恐怖すら、薄かった。

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