領地に戻る
婚約破棄から三日後。私は馬車に揺られながら、ローゼンベルク公爵領の中心都市・ローゼンフェルトに到着した。
窓から見える景色は、ゲームの記憶通りだった。豊かな農地が広がっているはずなのに、農民たちの表情はどこか暗く、街の建物も古びて見える。前世の知識と、エレノアとしての記憶が混ざりながら、私は小さく頷いた。
「ここを変えるわ」
馬車が公爵邸の正門に着くと、使用人たちが一列に並んで出迎えた。執事のセバスチャンが深々と頭を下げながら近づいてくる。
「ご帰還おめでとうございます、お嬢様。王子殿下との婚約破棄の件……お体に障りはありませんでしたか?」
「ええ、大丈夫よ。むしろスッキリしたわ」私は笑顔で扇子をパチンと閉じながら答えた。「それより、領地の台帳と、最近一年分の税収報告、農作物の収穫量データを全部持ってきて。今すぐ執務室で確認するわ」
セバスチャンが一瞬、目を丸くした。
「……は、はい。ただちに」
執務室に入るなり、私は山積みの書類に目を落とした。前世は社畜OLとしてExcelと格闘していた身。数字を見るのは慣れている。
一時間後、私は額に汗を浮かべながら叫んだ。
「これ、ひどすぎる……!」
領地の問題は明白だった。・農地の灌漑設備が老朽化していて、水不足が慢性化・税率が高すぎて農民のやる気が削がれている・魔獣の被害が増えていて、畑が荒らされている・街の商人ギルドと貴族の癒着で、中間搾取が横行
ゲームでは「悪役令嬢の領地は貧乏で荒れている」という設定だったけど、実際に数字で見ると想像以上に深刻だった。
私は深呼吸をして、ペンを握り直した。
「よし。まずはこれから変えるわ」
その日の夜まで、私は徹夜で計画を立てた。前世の知識をフル活用。日本史で習った「農地改革」や、現代の農業技術、簡単な水利工学の知識を思い出しながら、現実的に実行可能な案をまとめていく。
翌朝。
私は領地の主要な村長と商人ギルドの代表を緊急招集した。広間には三十人ほどの男たちが集まり、不安げな顔で私を見上げている。
「皆さん、おはよう。私はエレノア・フォン・ローゼンベルク。今日からこの領地の改革を本格的に始めます」
ざわめきが広がる中、私は堂々と宣言した。
「まず、税率を現在の三割から二割に引き下げます。その代わり、領主である私が直接、灌漑用水路の修復と新設を負担します。また、魔獣対策として、魔法騎士団を増強し、定期巡回を行います」
村長の一人が恐る恐る手を挙げた。
「あの……本当に税を下げていただけるのですか?公爵家がそんなことを……」
「ええ、本気よ。皆さんが豊かにならなければ、領地全体が豊かにならないもの。それに――」
私はにっこり微笑んだ。
ここで前世の知識を活かした「意外な才能発揮」の時間だ。
「私は新しい魔法を開発しました。名前は『成長促進魔法・グリーン・ブースト』。土壌の栄養を活性化させて、作物の成長速度を1.5倍に引き上げるものよ。実験はもう済ませてあるわ。まずは試験的に、希望する村から導入しましょう」
広間が静まり返った。
「……え?」
「魔法……ですか?」
「しかも成長速度1.5倍……?」
私は自信満々に頷いた。
実は転生してから気づいたのだけど、エレノアの身体は魔法適性値が異常に高かった。ゲームでは「ただの嫌がらせ魔法しか使えない悪役」設定だったけど、前世の科学知識と組み合わせれば、まったく新しい魔法が作れることがわかった。
前日の夜、こっそり試作した「グリーン・ブースト」を小さな植木鉢で実験したら、本当に一晩で花が咲き乱れたのだ。
村長たちがざわつき、興奮した声が上がり始めた。
「そんな魔法が……本当に……?」
「もし本当なら、今年の収穫が……!」
私は扇子を優雅に広げて、笑った。
「本当よ。信じられないなら、今日からすぐに実演してみせるわ。それと、もう一つ。領内に『農業協同組合』を作ります。皆で情報を共有して、種子や道具を共同購入すればコストが下がるの。商人ギルドの皆さんも、公正な取引をお願いしますね?」
その日から、ローゼンベルク領は少しずつ動き始めた。
私は毎日、現場に足を運んだ。魔法の調整をしながら、水路工事の指揮を取り、村人たちと直接話す。意外だったのは、私の「意外な才能」。
前世の社畜経験で培った「プロジェクト管理能力」と、エレノアの高い魔法適性と貴族としてのカリスマが、予想以上に噛み合ったのだ。
一週間後。
最初の試験村で、麦の芽が通常の倍の速さで伸び始めていた。村人たちが涙を流して喜ぶ姿を見て、私は心の中で叫んだ。
(やった……! これがやりたかったんだ!婚約破棄されてよかった……!)
一方、王都では――
第一王子ライオネルが、執務室で報告書を握りしめていた。
「……ローゼンベルク領の税収が、わずか一週間で前年比15%増だと?しかも新魔法の開発……?エレノアが……?」
隣にいるミリアが不安げに尋ねる。
「ライオネル様……どうかされたのですか?」
「……いや、何でもない」
ライオネルは、なぜか胸の奥がざわついていることに気づいていた。
エレノアが去ったはずの場所で、彼女は輝き始めていた。




