二
私の平穏かつ変態的な日常は、突如として劇的な急展開を迎えることになった。
それは、王宮で催された華やかな夜会でのこと。
「リリアナ、少し夜風に当たらないか?」
アレクシス殿下から直々にバルコニーへと誘われたのだ。殿下の甘いエスコートに、私の脳内はすでに致死量の糖分でパンク寸前だった。
(ひぃぃぃ! 殿下のエスコート!! 柔らかな手の感触! そして至近距離から漂う高貴なシトラスの香り!! 今日も私の肺は浄化されまくりです!!)
「リリアナ……先日の夜会で、君が褒めてくれた私のループタイだが……」
バルコニーに出るなり、殿下が甘く囁きながらご自身の首元に手をかけた。
「君が持っていてくれないか? 君の瞳と同じ、美しいサファイアだ」
スッと外されたループタイが、私の手にそっと握らされた。
(……ッ!? 殿下の!! 今まで肌に直接触れていた、体温と匂いがたっぷり染み付いたループタイ!?なんでやねん!)
その瞬間、私の脳内で理性のタガが物理的な音を立てて弾け飛んだ。
「あわわわはわわはわ、ありありあり、ありがガガガが、ででん。大切にしまわ」
私はもはや言葉にはならない震える声で、何とか感謝を述べつつ、両手でループタイを包み込んだ。そして、瞳孔を開ききったガンギマリの目で、それを至近距離から凝視した。
(クンカクンカ……ハァーッ!! 殿下の残り香!! 最高すぎます!! この匂いだけで昇天してしまいそうです!!来る約束の地は目の前に!!)
私が荒い鼻息と共にループタイを胸に抱きしめ、変態的な恍惚感に浸っていると、背後から不機嫌な足音が響いた。
「おい、殿下ばかりずるいぞ」
振り返ると、夜会の正装に身を包んだレオンハルト様が、眉間に皺を寄せて立っていた。
「リリアナ、俺からはこれだ。いつも羽織っているマントの留め具だ。お前が持っていてくれ」
辺境伯様まで、ご自身が身につけていた金属製の留め具を私に押し付けてきた。
(なんでええええ!私に私物送るのが流行ってるおおおお!? あああいいあい辺境伯様のぬくもり!! どうしよう盆と正月と推しのライブが同時に来たようなもんだわ!!)
私は二人の私物を両手に握りしめ、恍惚とした表情でハァハァと荒い息を吐き続けた。
「で、殿下ぁ……っ、これ、あの、その……」
「どうした? 気に入らなかったか?」
「フフ……最高です。殿下の匂い……」
「え? リリアナ、今なんと……?」
「い、いえ! 何でもありませんっ! 家宝にします!!」
限界オタクの業が溢れ出しそうになるのを必死に堪え、私はただただ推しの私物を抱きしめて荒い息をつくしかなかった。
そんな私の様子を「嬉しさのあまり照れて言葉も出ないのだな」と見事に勘違いした二人が、真剣な表情で一歩前に出た。
「リリアナ、私は君を愛している。私と共に、この国の未来を歩んでくれないか?」
アレクシス殿下が私の右手をすっと取り、手の甲に熱いキスを落とした。
「待て。リリアナは俺のものだ。俺の領地で、俺がお前を一生守り抜いてやる。俺の妻になれ!」
レオンハルト様が私の左手を強引に引き寄せ、熱っぽい視線で私を射抜く。
右から皇太子の甘すぎるプロポーズ。
左から辺境伯の強引な求愛。
そして両手には、彼らのフェロモンが染み付いた私物。
限界だった。私の脳内キャパシティも、変態としての血圧も。
これ以上の刺激は、私の脆弱なオタク心臓には劇薬すぎる。
「あ……あひゅ……っ、と、尊い……」
ブーッ!!
私の鼻から、勢いよく赤い鮮血が噴き出した。
「リ、リリアナ!? 大丈夫か!?」
「おい! 鼻血の量が尋常じゃないぞ! しっかりしろ! 誰か、至急医者を呼べ!!」
イケメン二人の焦る声と慌てふためく極上の顔を子守唄に、私は「あぁ……最高の人生……」と満面の笑みを浮かべながら、そのまま鼻血まみれで幸せにぶっ倒れたのだった。
――ここで物語が終われば、私はただの「推しの私物で幸せに昇天した変態モブ令嬢」で済んだはずだった。
しかし、神は(あるいは乙女ゲームのような強制力は)私にさらなる試練を与えようとしていた。
目が覚めると、私は王宮の医務室のベッドに寝かされていた。
「ん……ここは……」
重い瞼を開けると、視界の端でキラキラと輝く金髪と、漆黒の髪が揺れた。
「リリアナ! 気がついたか!」
「おい、無理をするな。まだ寝ていろ」
ベッドの左右には、私の手を力強く握りしめ るアレクシス殿下とレオンハルト様の姿があった。しかも、二人とも異常なまでに必死な形相だ。
「で、殿下……? レオンハルト様……? なぜお二人がここに……」
私は混乱した頭で状況を把握しようとしたが、彼らの言葉が私の脳をさらにショートさせた。
「君が倒れたと聞いて、生きた心地がしなかった。……もう離さない。君の鼻血は、私がすべて拭い去ってみせる」
「戯言を抜かすな殿下。リリアナの鼻血を受け止めるのは俺だ。俺の分厚い胸板で、お前のすべてを受け止めてやる」
(えっ……? 何この謎の張り合い!? 鼻血の拭き合い!? なにそれ新しい性癖!?)
私の変態脳は歓喜の叫びを上げていたが、同時に猛烈な危機感が背筋を駆け抜けた。
これは、マズい。非常にマズい。
私がただのモブ令嬢であれば、こんな展開には絶対にならない。これは完全にヒロインルートのイベントだ。
(待って待って待って! 私はどちらかといえば、推しを遠くから眺めてハァハァしたいだけの壁になりたいオタクなの! 当事者になったら、選ばなきゃいけないじゃない!)
私はイケメンたちの箱推し。
彼らが甘い言葉を囁いてくれるだけで構わないのだ。
私は必死に脳を回転させ、この異常事態から脱出する方法を考え始めた。




