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#01. 元王妃は荷造りをする。


カツ、カツ――。


宴会に響き渡る足音がやけに大きかった。


本来なら貴族であれば、王妃であれば足音がしないように歩くのが礼儀だろうが、エルナはもはや貴族ではないのだからどうでもいいだろう。


(あ、そういえば貴族ではないなら、こんな無駄に高くて痛い靴は履く必要がないのではないか?)


不快な手袋も、飾りも。どうせ彼女が身にまとったものはすべて国王が王妃に下賜したものだった。


王妃ではなくなったエルナが着ているわけにはいかない。そこまで考えが至ったエルナは歩みを止めた。


広々とした宴会場でひたすら彼女だけを見つめていた貴族たちは、エルナが歩みを止めるとようやく安堵のため息を吐いた。


エルナが歩みを止めると同時に、カメルが彼女に近づいた。いや、近づこうとした時だった。


「不快でわずらわしい」


赤い唇から低くこぼれ出た言葉に、カメルの動きが止まった。


エルナは彼には一片の視線もくれず、はめていた手袋を乱暴に引っぺがして床に投げ捨てた。


「これも、これも。すべて私には必要ないわ」


重たいだけの宝石のネックレス、イヤリング、髪飾り……いっそ服も脱ぎ捨ててしまいたかったが、下着姿でうろつくのは人様に迷惑をかけてしまうだろう。


最後に履いていた高い靴まで脱ぎ捨てて、裸足で大理石のホールを踏みしめる。


疲労感に満ちていた両足に冷たい石が触れると、身震いするほど心地よかった。


王城の床は滑らかだから、裸足で歩き回っても何の問題もないんだな。


一歩軽くなった足を動かしながら、エルナは鼻歌を口ずさみつつ再び歩き出した。


ぼんやりと彼女を見つめていたある貴族が、震える声でつぶやいた。


「王妃殿下が……おかしくなられたのか?」


その場にいたすべての貴族が同じことを思った。たった一人を除いて。


公爵家の当主として宴会場に立っていたオルテンス公爵は、すべてを捨てて淡々と歩いていく自分の娘を見つめながら、かすかなため息をついた。


(結局、こうなるのか)


幼い頃から娘はめっぽう自由奔放なうえ、一度興味を失ったものには決して目を向けることのない頑固な子供だった。


日替わりで遊んでいた人形も、一度飽きてしまえば最初から存在しなかったかのようにポイと捨ててしまう。


それが「仕事」なら、「しなければならないこと」なら黙々とやり遂げるが、そうでなければ決して目をくれない。


そんなエルナが幼い頃から一番欲しがっていたのは王太子のカメルだった。


カメルに興味を抱き、愛していたからこそ、エルナはカメルに必要なすべてのことを身につけたのだった。


エルナは幼い頃から欲深い子供だった。欲しいものはすべて手に入れなければ気が済まない。


手に入らないならその瞬間にそこから手を引き、徹底的に脳裏から消し去ってしまう。


そんな子供が、言葉だけの愛をいつまで耐えられるだろうか。


もしその愛が冷めてしまったら、どうなるだろうか。遠からず訪れるその日のために、オルテンス公爵は準備を重ねていた。


「エルナのわりに長く耐えたものだ。だがまさか、こんな宴会場で本性を現すとはな」


娘を過小評価していたと苦笑いを浮かべるオルテンス公爵は、静かに宴会場を後にした。いつの間にか後ろに控えていた従者が公爵に告げた。


「あの方であればすぐにこの国を離れようとするでしょう。ヘルト。今すぐエルナに伝言を送れ。発つ前に必ず公爵家に帰るようにと」



***



王妃でありながら護衛騎士一人いないエルナは、ひとりで別宮に戻るやいなや、鬱陶しいドレスを脱ぎ捨てた。


そして持っている服の中で最も動きやすい乗馬服を着込んで荷造りを始めた。


エルナの奇行に別宮の侍女たちは怪訝な面持ちを浮かべたが、誰もエルナに声をかけようとはしなかった。


当然のことだった。この別宮の侍女たちは全員、聖女派貴族の息がかかった貴族の子女なのだから。


冷遇しはしないが近づかない。今朝まではその事実がひどく悲しく惨めだったが、もう何とも思わなかった。


むしろ関わってこないから楽だった。エルナが荷造りをしようが、服を勝手に着ようが。誰も何も言わないから。


「本当に楽しいな。なんだ、王妃でなくても世の中には楽しいことだらけじゃないか」


今まで人生を損していた気分だ。これ以上損するわけにはいかないから、せっせと荷造りをしなくては。


実際、荷物といっても大したものはなかった。下着数着、結婚前に公爵家から持ってきた普段着が数着。それ以外はすべて国王の下賜品だから持っていかない。


「これから何をしようか? まずはこの国を出るべきだな。どこに行くのがいいだろう」


氷の海の向こうの獣人大陸? それとも人食い人種が住むという未開拓地? あるいはダンジョン?


ハーメルンにはダンジョンがないが、別の国にはダンジョンと呼ばれる大迷宮が存在していて、ダンジョンを専門に攻略する冒険者という職業がある聞いた。


何をしても、どこに行っても楽しいに違いなかった。


片手で持てる軽いトランクに荷物を器用に詰め込んだエルナは、立ち上がって別宮を出た。その時まで彼女を阻む者は一人もいなかった。


軽い足取りで王宮の入り口にたどり着くまでも、エルナを止める者はいなかった。


いや、彼女が誰だか分からないから止められなかったというのが正しいのだろう。今のエルナは長い髪を適当にアップにして、シャツとズボンを身にまとった状態だった。


上質な生地であっても真夜中には目立たないうえに、手に持っているのは軽そうなトランク一つだけ。


どう見ても下女のように見える彼女の姿に、近衛騎士は形式的な質問だけをしただけでエルナを通行させてくれた。


王城を抜け出したエルナがちょうど王都の通りに足を踏み出した瞬間。


「はあ、はあ……ちょっと、ちょっとお待ちください、お嬢様!! エルナ様!」

「ん?」


自分を呼ぶ誰かの必死な声に振り返ると、父オルテンス公爵の従者の一人であるヘネスが彼女の方へ走ってくるのが見えた。


「おや。ヘネス。久しぶりね」

「はあ、うう。死にそうです、お嬢様。あんなに探し回ったのに、いったいどこにいらっしゃったんですか?」

「ん? どこって。部屋にいたけど」

「王妃宮には誰もいませんでしたよ」

「王妃宮? 聖女が両目をかっぴらいているのに、私があんなところに行けるわけないでしょ」


エルナの冗談めかした言葉に、ヘネスの顔がこわばった。しかしエルナは気にしなかった。もう王妃宮には一片の興味もないから。


「それで? ヘネス。なんで私を呼んだの?」

「公爵様が伝言を残されました」

「伝言? 何?」

「エルナ、発つ時は発つにしても、一度は公爵家に帰るようにと。今夜でもかまわないから必ず戻ってこなければならない、と仰せでした」

「まあ」


実家には用事がないから戻るまいと思っていたのに。話を聞いてしまった以上、一度は戻らなければならないじゃないか。


面倒くさいが仕方がない。肩をすくめたエルナがヘネスに答えた。


「分かった。夜でもかまわないって言ったし、今行くわ」


公爵家のタウンハウスは王城から遠くない。


歩いても三十分ほどしかかからないのでエルナは歩いていこうとしたが、ヘネスがどうしても馬車に乗らなければならないと騒ぎ立てたため、仕方なく馬車に乗って公爵家へと向かうことになった。

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