第5話 抹殺命令
イルダナとハルミカは、二人とも臨戦態勢をとって騎兵たちを見据える。すると、騎兵たちの中から一人の女軍人がこちらに馬を進めてきた。
女軍人は他の騎兵たちよりも立派な軍服を身に纏っており、明るい栗色の短髪にヘーゼルブラウンの瞳が特徴的な美しい女性だった。年の頃は見るからに、同い年で齢十八であるイルダナとハルミカより十つ程上だろうか。
イルダナはこちらに向かってくる女軍人から目を離さぬまま、ハルミカに小さく尋ねる。
「他の兵たちより立派な軍服の女性が出てきました。彼女が、第二師団の団長ですか?」
「そうだ。見えずとも気配だけで判る。エーディーン王国軍第二師団団長にして——国王カロスが一人娘、スレン。現在の王国軍において指折りの女傑であり。十年前に我が兄、第一王子殿下の片腕を奪った仇」
「!」
カロス王の一人娘ということは、スレンはハルミカの義理の姉にあたる。そのうえスレンはハルミカの実兄、第一王子の片腕を奪ったのだという。
「あの女」呼ばわりまでする事情とは何かと思っていたが、イルダナの想像以上にハルミカはスレンへと並々ならぬ感情を抱いていることを察する。
イルダナが、ハルミカの今にも人を射殺してしまいそうな険しい横顔を密かに一瞥している間に、スレンがすぐそこまで馬を進めきて、止まった。
「ごきげんよう」
騎乗したまま、スレンがイルダナたちを見下ろしてくる。涼やかな声をしていた。
「ハルミカ殿下。あなたには王命として『城への強制帰還』、命じられてるはず。これよりスレンがハルミカ殿下を城にお連れする。行きましょう、ハルミカ殿下」
スレンを前にしてようやく、イルダナは内心で「成程」と得心した。じわり、じわりと徐々に全身の肌が粟立っていく感覚を味わいながら、イルダナは思いがけず鼻から小さく息を漏らす。
(……強い人。確かにこの人を相手取って逃げおおせるのは、そこそこ難しいやもしれない)
強者を前にした時のイルダナの直感は、嫌でもよく当たる。ハルミカがスレンを相手に「逃げられない」と判断したのも、解らなくはない。だが、これほどまでの強者をハルミカが倒せるとも、イルダナには思えなかった。
「断固として拒否する。そしてスレン、貴様には以前警告したはずだ。カロスの命を受けて来たのならば、僕の前にその姿を現すなと」
ハルミカが怒りを隠し切れていない低い声を、絞り出すようにスレンへと向ける。
そんなハルミカの警戒色丸出しな様子を気にした風もなく、スレンは子どものような仕草で小首を傾げて見せた。
「スレン。そんなこと、できない。だってハルミカ殿下とスレンはいずれ夫婦となる仲。これは陛下が決めたこと。陛下が決めたことは絶対。だからハルミカ殿下、帰りましょう。ハルミカ殿下はスレンと帰る、この選択肢しかない。それ以外は、許されない」
「……ならばその選択、貴様ごと力尽くで叩き潰してくれる。失せろ、スレン」
ハルミカが低く唸るような声を落としたのと同時に、なんとハルミカの背中から白銀と黄金の入り混じった火花が弾け飛んで、炎の翼が顕現した。それを目の当たりにしたイルダナは、思いがけずはっと息を呑む。
(あれは……王祖ダナンの代より、エーディーン王族の肉体にだけ極稀に宿って生まれる〈火の精霊〉? ハルミカはエーディーン王族でも数少ない〈精霊魔法〉の使い手でしたか。先に知らせておいてほしいですね、そういうの)
この世界において〈魔法〉を使うことができる存在は異人類だけ。しかし、太古に偉大なる精霊と契約を交わした王祖ダナンの血を引くエーディーン王族は例外として唯一、人間族でありながらその身に〈火の精霊〉を宿すことがあり、〈精霊魔法〉と呼ばれる唯一無二の魔法を扱うことができる者が極稀に生まれると云う。どうやらハルミカはその稀有な存在の一人であるらしい。
ハルミカの炎の翼からはいくつもの火球が生み出され、ハルミカがそれらを操るように片手を振るうと、スレンや周りの騎兵たちめがけて火球が火矢の如く飛んでゆく。
瞬く間に騎兵たちは火球を喰らうと悲鳴を上げて、火に怯えた馬が暴れたことによって振り落とされ、気絶してしまう。しかし、スレンだけは身軽に馬から飛び上がって着地し、地に低く身を落としながら素早く駆けることで追ってくる火球を上手く大地に落として、掻き消した。
地面に降りたスレンの気配をすぐに察したのか、ハルミカが駆け出しながら手に持つ剣をぎらりと構え、スレンへと振り下ろす。だが、スレンはハルミカには目もくれず、ハルミカの剣を軽々と躱すと、低い姿勢のままハルミカの脇を駆け抜けた。
「どうどう。だいじょうぶです。怖くない、怖くない」
ハルミカの火球のおかげで馬を拝借しやすくなったと。ここぞとばかりにイルダナは、繰り手を失い、火に怯えて暴れている一頭の馬を密かになだめようとしていた。
そこで不意に、イルダナは只ならぬ殺気に横っ面を引っ叩かれ、弾かれたように馬から飛び退いた。ボッ! と、鋭く風を切る音が鳴り響くとともに、イルダナの銀灰色の髪が数本斬り落とされる。一瞬前までイルダナの首があった場所には、スレンの剣が横薙ぎに振るわれていた。
ハルミカに気を取られているかと思っていたスレンが突如こちらへと攻撃してきたことに、イルダナは思わずまじない布の下で目を瞠る。その間にもスレンはイルダナを凝視したまま、剣の刺突を絶え間なく繰り出してきた。
反射的にそれらの連撃をぎりぎりで躱してゆくが、ふと背後からも別の殺気を感じて、イルダナは微かに身体を捻りながら、手に持つ黒杖を大きく振るう。すると、ビュンと飛んできた二本の矢を黒杖が叩き落とした。
おそらく、さっきまで雑木林の木の上でこちらを偵察していた射手の仕業だろう。この状況での射手の存在は厄介だと即断し、イルダナは耳を澄ましてスレンの気配を追っていたハルミカへとよく通る声を張る。
「ハルミカ。きみの位置から三時の方向、高度五リル、距離二十リル先に攻撃を。射手が二人います」
イルダナの指示の声が終わる前に、矢が放たれた雑木林の方へといくつもの火球が吸い込まれるように飛んで行き、悲鳴が響く。
しかし、イルダナが射手に気を取られた隙をスレンが見逃すはずもなく、スレンはイルダナの頭を叩き割るように、凄まじい疾さで剣を振り下ろしてきた。イルダナは咄嗟に身体を柔らかく仰け反らせて躱すが、代わりに一つ目紋様のまじない布が紙の如くすっぱりと斬り落とされる。フードも脱げた。
イルダナは身体を仰け反らせた勢いのまま、地に手をつき後方転回をして素早くスレンから間合いを取った。
露わになった、黄昏時の陽光を煮詰めたようなイルダナの梟の双眸と目が合ったスレンが、剣の切っ先をイルダナへと向けて淡々と語りかけてくる。
「梟の目と耳を持つ〈貌漂しのイルダナ〉……やっぱり、あなたがそう」
(! ……私の名、それに梟の忌み仔であることまで既に知られている……?)
スレンが己の名前や素性を知っていることに内心で戸惑いながらも、イルダナは相変わらずの無表情を保ったまま、いつでも逃げ出せるように低い姿勢を取って両足を踏ん張った。
「ハルミカ殿下の強制帰還も任務のうち。だけど、陛下たちから受けた最優先任務は、ハルミカ殿下を唆す〈貌漂しのイルダナ〉の抹殺。だから、あなたはここで殺す」
スレンが宣告を言い終わらぬうちに一気に距離を詰めて、イルダナへと斬りかかってくる。しかし、イルダナとスレンの間に横から割って入るかのように、ハルミカがスレンの前へと立ち塞がった。
「この者を殺したくば、僕を殺して見せよ。スレン」
耳を刺すような甲高い音を轟かせて、ハルミカとスレンの剣が交わった。
「奴の剣が届かぬ場所までさがっていろ。戦えぬのだろう、貴様は」
振り向くこともなく、ハルミカが短く囁いた。イルダナは微かに瞠目する。
「ですが、ハルミカ。私はきみの補助を……」
「邪魔だといっている。疾く、ゆけ」
戦えぬうえに、ましてやスレンからは明らかに命まで狙われている。ハルミカの言う通り、このままではイルダナは、ハルミカの足を大きく引っ張ってしまうだろう。
イルダナは歯痒い思いで薄く目を細めると、「すぐに馬を拝借します。それまで耐えてください」と耳打ちして、ハルミカから離れた。
離れて行ったイルダナを視線で追う暇も与えず、ハルミカが再びスレンへと力技で斬りかかった。だが、それはしっかりと受け止められ、交わった剣越しにスレンがハルミカへと顔を寄せると、強い語調で言い聞かせるようにハルミカに語りかける。
「退いて、ハルミカ殿下。あなたを殺すことは、許されてない。あなたが死ぬことは、陛下が許さない」
「僕の生き死には、僕のもの。カロスの許しなど、笑止千万。今、僕は何としても死ぬわけにも、貴様に捕まってやるわけにもゆかぬ。ならば、スレン。今ここで貴様が死ぬ他あるまい……案ずるな。僕もいつか死した時は、貴様と同じ地獄に堕ちてやろうぞ」
二人は火花を散らして激しく斬り合うが、目の見えないハルミカがどうしてもスレンの動きに遅れを取るため、ハルミカの方が防戦一方となり押されてゆく。
それを嫌でも自覚したのであろうハルミカが苦々しげに顔を歪めると、一度力任せにスレンを押し飛ばす。そうして間合いを取った直後、再び背中から炎の翼を顕現させ、スレンに向けて無数の火球を連続して放っていった。
スレンはすぐさま体勢を立て直して、人並み外れた脚力で辺りを駆け巡りながら、次々と見事に火球を躱してゆく。
一方で、ハルミカのおかげでスレンから逃れられたイルダナは二人が激しい戦いを繰り広げている最中、何とかハルミカの火に怯えている馬一頭をなだめて、騎乗に成功していた。
「はあ、はあ……くっ……!」
ふとハルミカの方を見やると、スレンへと火の精霊魔法を駆使するハルミカは肩が大きく上下するほど呼吸を乱しており、頬の輪郭を伝って玉のような汗がいくつも落ちて、なんと鼻からは血が垂れ流れていた。
おそらく、精霊魔法を使いすぎた代償だろう。このままでは、そう経たないうちにハルミカの体力が尽きてしまうのは明確であった。そのうえ、ハルミカを相手するスレンは未だ汗すら滲んでおらず、息も上がらぬまま、ハルミカの精霊魔法を全て躱し切っている。
やはり、スレンは只ならぬ強者だ。こうなっては何が何でも、ハルミカを連れて彼女から逃げ切るしかない。幸い、スレン以外の王国軍隊士たちは皆、無力化できている。
イルダナは逃げに徹する算段を頭の中で整えると、馬の手綱を繰って、勢い良くハルミカのもとへと駆け出した。
「ハルミカ、こちらへ。左腕を上げてください」
イルダナの声に気が付いたハルミカが剣を納めると、こちらを振り向いて左腕を掲げる。同時にイルダナはハルミカの火球を躱しているスレンへと、懐から取り出した三つの球体を鋭く投げつけた。
スレンは瞬時に華麗な剣捌きで三つの球体を横薙ぎに切り捨てるが、真っ二つになった球体の全てが「ボン!」と音を立てて炸裂し、黒い煙幕が辺り一帯をたちまち覆い尽くす。
「跳んでください、ハルミカ」
煙幕の中でもイルダナはしっかりと馬を繰り、ハルミカへと声をかけながら、掲げられた左腕を力強く掴んで己の背後へと引っ張り上げる。蹄の音で察したのだろうハルミカも、それに合わせて身軽に地面を蹴って跳び、器用にイルダナの後ろへと騎乗した。未だ息を切らしつつも、ハルミカがイルダナに短く尋ねてくる。
「はっ、はあ、はあ……何を、した?」
「煙幕を張りました。他の馬も既に遠くの方へと急き立てておきましたので。スレンさんが無暗に動けないうちに、このまま王都に向かいましょう」
イルダナはハルミカの問いに答えながら、煙幕の外へと馬を走らせる。
しかし、不意にブンと風を切る音が耳に入って、イルダナは咄嗟にハルミカの身体を押しのけ、ハルミカを庇うように身を乗り出す。
すると、煙幕を切り裂くように飛んできた短剣がイルダナの肩に深々と突き刺さった。併せて瞬く間もなく、黒い煙幕の中からぬらりと現れた女の手——スレンの手が、ハルミカの前に身を乗り出したイルダナの胸倉を引っ掴み、凄まじい力で地面へと引き下ろしてくる。
そのままイルダナの身体は馬から引き離された。
「イルダナ!」
初めて、ハルミカがまともに自分の名を呼んだ。
こちらに、手を伸ばしてくれた。
たったそれだけのことに何故だか感慨深い思いを抱きながらも、イルダナもハルミカの方へと手を伸ばす。だが、己に伸ばされたハルミカの手を掴むことはなく、イルダナの手は馬の尻を叩いて、馬の足を速めた。
「先に、王都へ行ってください。私の自慢は逃げ足です。すぐに追いつきます」
そう言い終える前に、煙幕の先へとハルミカの背中が掻き消えた。




