第4話 人間と異人類。呪術と魔法
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エーディーン王国はラナリエン大陸の北部に位置し、三千年の歴史を誇る超大国。
太古の昔、大陸全土を支配しようとした巨悪の王を討ち破った王祖ダナンが「太陽王」と謳われたことから、後に建国されたエーディーン王国は「太陽王の国」と称されるようになる。
イルダナとハルミカはまず、現王政へと立ち向かうべく第一王子派閥が擁しているというエーディーン王国軍第四師団と合流するため、王国北部中央に位置する王都ベルティナを目指すこととなった。
イルダナはどうやら、王都ベルティナのお膝元である王領の東に位置していた中規模奴隷市に売り飛ばされていたらしい。そうして現在、ハルミカとイルダナは早々に奴隷市から出立すると、徒歩で王都に続く小街道を進んでいる。
もうすぐ日暮れを迎える街道を進みながら、イルダナは先刻まで自身が囚われていた奴隷市のことを思い出して、呆れたように小さく息を吐く。
「まさか、あそこまで王都に近い場所に奴隷市ができているとは。十年前までの奴隷制度が絶対的禁制であったエーディーン王国では信じられないことです。時の流れは残酷ですね」
エーディーン王国では建国の時より奴隷制度は固く禁制とされ、その禁が解かれたことは歴史上一度もなかった。しかし、十年前の先代女王夫妻の急死後、王位に就いた現国王カロスによりその長い歴史は覆され、奴隷制度が解禁されたのだった。
イルダナの後ろを歩くハルミカが、イルダナのぼやきへと険を帯びた低い声を返す。
「同感だ。奴隷制度の禁を解いたことにしろ、〈異人類〉への迫害を助長する極度な人種差別的政策の施行にしろ……エーディーンは太古より異人類との共存を成し得た数少ない人間の国であったというのに。カロスは王国史上、最悪の王に違いない。そのうえ、再び大陸大戦の戦火を蘇らせようとしている。手遅れとなる前に、今すぐにでも僕が奴の頸を捩じり切ってやりたい」
〈異人類〉とは一般的な人間族とは大きく異なり、その肉体に〈魔法〉という不可思議な力を持って生まれる稀少民族たちの総称。
多種多様な異人類の民族それぞれが、魔法を使えない人間とは異なる肉体的特徴を持ち、そのうえ魔法という異能をも扱えるために、現代ではどの異人類も人間たちによる迫害や奴隷化によって絶滅の危機に瀕していた。
たとえ魔法という異能を扱えようとも、人間族の圧倒的な数の暴力には、異人類も敵わなかったのだ。
また、現にカロス王も大の異人類嫌いで有名な人間の王の一人である。
それにしても、既にカロス王への殺気が隠し切れないほどに滲み出ているハルミカに、イルダナは思わず軽く肩を竦めた。
「捩じり切る……本当に凄まじいことを言いますね、ハルミカは。怖いもの知らずですか。ちょっとドン引きしました。怖いもの知らずなきみと世界一の怖がりな私では、きっと互いを解り合えないでしょう。残念でなりません」
「国盗りへと臨む者に恐れるものなどあってたまるか。そして貴様との付き合いなど所詮、此度の任務上の短きもの。相互理解など僕も求めていない」
イルダナは首を僅かに傾けて「つれないですね」と無機質な声を寄越しながら、相変わらず眉間に深い皺を刻んだままなハルミカを流し目で一瞥する。
「ですが、確かカロス王は先代女王夫妻の遺児であるきみたち王子のお二人を養子として迎え、養育されたとお聞きしています。加えて、血縁上は大叔父にもあたるお方なのでしょう。肉親にも近いような人を、きみたちはどんな形になろうとも追い詰めることができるのですか?」
「……何が養子。我々はあのような下衆に育てられた覚えはない。少しでもあの下衆と血の繋がりがあるのだと思うと、反吐が出る。最悪の暗君カロスからエーディーン王国を取り戻すためならば、僕は如何なることにもこの手を染めよう」
ハルミカがますます険しい顔をして、吐き捨てるようにイルダナの問いへと答えた。
どうやらハルミカは、イルダナの想像以上にカロス王へと憎悪やら嫌悪といった並々ならぬ敵対心を抱いているらしい。
イルダナが小さく「危なっかしい怖いもの知らずです。箱入り王子だというのに」と呟いていると、ふとハルミカが歩く足を速めて、イルダナの隣へと並んできた。
「黙れ。聞こえているぞ。貴様はすぐに余計なことを口にするゆえ……気を抜くと殴り倒したくなる」
「そうですか? アランロドよりはマシだと思うんです、が……」
つい、久しぶりにあの男の名前が口をついて出た。イルダナの抑揚のない声が思いがけず、尻すぼみになってゆく。すると、ハルミカが興味深そうにまたイルダナへと顔を向けてきた。
「アランロド。カシュガルからは『最弱の還し屋』、貴様を売り飛ばした人でなしと聞いているが。どのような男だ? カシュガルは、アランロドは『ジュジュツシ』という曲者だとも言っていた。異人類の魔法使いのような者か?」
イルダナは目を瞬かせて、ハルミカを見る。ハルミカは至極真剣そうな、微かに好奇心の滲んだような面持ちで首を傾げていた。ラナリエン大陸の生まれならば知っていて常識とも言える、〈魔法〉や〈呪術〉の理を本当に知らないらしい。
やはりハルミカは、正真正銘の箱入りかつ世間知らずな王子なのだという認識を固めながらも、イルダナは何となくアランロドの為人の話題は避けて、快くハルミカの疑問に答えた。
「順を追って説明しますと。まず、〈魔法〉は異人類の肉体に宿る神秘の力です。その力を研鑽し極めた異人類の方を〈魔法使い〉と呼びます。一方〈呪術〉は、魔法を使えない人間にも会得できる数少ない異能の一つです。といっても呪術は己の魂を力の根源とし、魂を通じてこの世界に息づく森羅万象、精霊や怨霊の魂に語りかける——つまりは〈他の力〉を借り受ける術ですので、会得するのが非常に難しく、凄まじい才能と努力が必要となります。呪術師に向いているのは、魂の揺らぎを制御することができる強靭な精神力を持ち得る人だというのが通説です」
イルダナの方へと僅かに顔を傾けて、解説に聞き入っていたハルミカが「ほう」と息を漏らして頷く。
「ちなみに、今私が身に着けている、梟の目を隠すためのまじない布や、追い剥ぎにも剥げない呪いの装束はアランロドの呪術が掛けられた特注品でもありますよ。……アランロドは私を奴隷商人に売り飛ばし、一人汚い金儲けをするようなどうしようもないカス野郎ですが。呪術の才能はとんでもないものでした」
ついつい、アランロドのことも話題に出してしまうが、イルダナは己に言い聞かせるようにアランロドの悪口も忘れない。そんな、どこかぎこちなくも思えるイルダナの話しぶりに気が付いた様子もなく、ハルミカが頷いて見せた。
「そうか。呪術の才があるとはいえ、貴様もよくそのようなろくでなし男と共に長く旅ができたものだ。しかし、なるほど。他にも精霊の力を借り受け、異人類の魔法と似たような異能を扱える術が存在したのか……呪術や精霊についてはいずれ僕も、更に詳しく学ばなければ」
やけに呪術の中でも「精霊」について執心な様子であるハルミカに、イルダナは目を細める。そこで不意にイルダナは、はっと小さく息を吞んで、街道を進んでいた歩みを急激に緩めた。同時に、首に下げていた一つ目のまじない布を引き上げて両目を覆い隠すと、フードを被る。
少し前を進んだハルミカも隣を歩いていたはずのイルダナが歩を緩めた気配に気が付いたのか、イルダナを振り向く。
「如何にした」
「……待ち伏せされています。そこの雑木林の中。数は騎馬が十騎、そのうち何名かが木の上でこちらを偵察及び矢を番える準備をしている模様」
イルダナはハルミカの斜め後ろから小さく囁いた。それを耳にしたハルミカが驚いた様子で微かに柳眉を上げると、薄い唇を嚙みながらイルダナに低い声で問い返す。
「……間違いないか」
「はい。〈梟〉の恩恵もあり、私の五感は只人の何倍も鋭いので。……彼ら、盗賊といった無法者の佇まいではないですね。統率の仕方が軍のそれです。エーディーン王国軍の可能性が高いと私は思うのですが、ハルミカは何か心当たりなどありますか?」
イルダナはハルミカを覗き込むように問いかける。ハルミカが一つ沈黙を置いて深く吐息を吐くと、どこか重々しい様子で口を開いた。
「貴様の推測が正しければ、おそらく。それはエーディーン王国軍第二師団だ。僕はあの女に……奴らに追われている」
ハルミカが僅かに俯いて、常に寄っている眉間の皺を更に深くする。酷く、緊張しているように見えた。
「……斯様なところまでつけられていたとは。不覚」
「全くですね。しっかりしてください、箱入り間抜け王子」
「死にたいか?」
イルダナの冗談に思えない冗談に、ハルミカが食って掛かって、目が見えなくとも歩みを止めず器用にイルダナの胸倉を掴んで引き寄せる。
イルダナはされるがままにハルミカの傍に寄って、「これだから乱暴王子は」とふざけたように両手を上げて見せながらも、淡々とハルミカに耳打ちした。
「彼らと対峙することとなったら、即逃げます。ハルミカが連れ去られるような最悪の事態は断じて避けなければなりません。それに、たとえきみが連れ去られようとも、死んでも私は戦いたくありませんから——とにかく、まずは私が彼らの気を上手く引き付けますので、その隙に馬を奪っ……拝借します。そして、一気に王都まで駆け抜けて尾行を撒きましょう」
「……」
ハルミカが唇を嚙むように口を引き結ぶと、掴んでいたイルダナの胸倉を突き飛ばす。イルダナはよろけることもなく再びハルミカの隣に並んで歩きながら、念を押すようにハルミカへと聞き返した。
「いいですか? ハルミカ」
戦えないイルダナは論外として。所作を見る限り、ハルミカは目が見えずとも確かに腕が立ちそうではあるが、とはいえ相手は王国軍十騎。流石に多勢に無勢である。
ここは逃げに徹するしか選択肢がないと、イルダナはハルミカに提案したのだが、ハルミカはしばらく険しい顔で黙り込んだかと思えば小さく舌打ちをして首を横に振った。
「否。奴らから逃げおおせることなど叶わぬ。僕が奴らを殲滅する他ない。ゆくぞ」
ハルミカがそう硬い声で言い切ると、イルダナを置いて歩みを速めた。王国軍が待ち構えているだろう、もうすぐそこまで迫っている雑木林に突撃する勢いだ。
イルダナは思わずまじない布の下で目を瞠って一瞬呆気にとられるが、すぐに我に返ると、腰に帯びていた剣を既に引き抜いたハルミカの大きな背中を慌てて追いかける。
「待ってください、ハルミカ。いくら何でも無謀すぎます。私なら十人が相手だろうと、きみと共に逃げおおせる術を持っています。逃げ足には自信があると言ったでしょう。それとも、未だ私を信用できないゆえの無謀ですか?」
「貴様の術を信用していないわけではない。只、不可能なのだ——王国軍第二師団が団長、あの女が相手となれば。奴は王都でも一、二を争うほどの兵。決して狙った獲物を逃しはしない。奴に相対したが最後、奴の歯牙にかかるか、奴を殺すしかない。もはや選択肢はなかろう」
ハルミカはイルダナを振り向くこともなく早口でそう言い連ねると、その場で歩みを止めた。
すぐ目と鼻の先にある雑木林から、王国軍の軍服を身にまとった騎兵たちが続々と姿を現したからだ。馬の蹄の音を拾ったハルミカが騎兵たちへと静かに剣を構えながら、低い声と共に細い吐息を漏らす。
「それほどまでに、あの女は強い。ゆえに僕がこの手で殺す」
ハルミカの隣に追いついたイルダナは、思わず小さくため息を吐き出す。どうやらハルミカは、頑として己の選択を変える気はないらしい。その王国軍第二師団団長の実力とやらは知らないが、ならば、イルダナが臨機応変にハルミカを補助し、どうにかして逃げる隙を見出すほかないのだろう。イルダナは腹を括って、手に持つ黒杖を構えながらハルミカに呆れの混じった声をかけた。
「はあ、わかりました。暴君王子の仰せのままに。本当に厄介かつ最悪ですね、きみは」
「黙れ」
「嫌です。とにかく、私はきみの補助に徹します。ですが、隙があればすぐに馬を拝借し、強行してでも逃げますから。きみも臨機応変に私に対応してください」
「……承知した」




