第34話 勇者の王道
◇◇◇
時は少し遡り。
ハルミカは東棟の屋上へと辿り着いた。屋上には、一人の人間の気配がある。ハルミカの呪われた目で、微かに見えるのは長身の男の輪郭——間違いない。カロス王だ。
「よくぞ我がもとへ舞い戻って来てくれたな。我がアイティナラント・ルグよ」
カロス王が振り向きざまに、うっとりとしたような声で笑う。
カロス王が完全に、ハルミカのことを「アウレア帝国を滅ぼす、己だけの兵器」としてか見ていないのがすぐにわかって、ハルミカは苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、剣を抜いてカロス王に向けた。剣先が、少しだけ震える。
今でもカロス王には、アナム心臓城の時と同じようにその声を耳にしただけで吐き気を催す。しかし、ハルミカはそれをも上回る、ナーザを奪って傷つけたであろうカロス王への怒りの激情を以て、己を奮い立たせた。
「投降せよ。カロス。貴様には……」
「忠実なるドルイドの臣。そして私だけのアイティナラント・ルグ! ようやく、アウレアを攻め滅ぼす兵器が揃った! あとは、私が不還の巨霊を軍勢として率い、操るだけ……これならばアウレアだけでなく、このラナリエン大陸全土を掌握できよう。さすれば、この私こそがラナリエン大陸の大いなる王として——〈太陽王〉の再臨と讃えられるのだ!」
ハルミカの声を遮り、カロス王が大きく腕を広げ、恍惚とした様子で己の野望をつらつらと語り聞かせてくる。
「……くだらぬな」
ハルミカは、今にもカロス王を斬り殺したい衝動を押さえつつ、低い声でカロス王の野望を一蹴する。するとカロス王が、顎を上げて天を仰いだまま、唸るようにハルミカに問い返してきた。
「くだらぬだと? 〈太陽王〉の……エーディーンの誇りを愚弄するか? アイティナラント・ルグよ」
「それはエーディーンの誇りとは言わぬ。貴様の尊大さが滲み出ている、くだらぬ願望だ。貴様のような矮小な王は、決して〈太陽王〉には成れぬ」
ハルミカは己が最もこの世で〈太陽王〉の名が相応しいと思う、兄のことを思い浮かべながら、力強くカロス王に豪語した。
「〈太陽王〉と呼ばれるに値するは——エーディーンの民を戦乱ではなく安寧に導き。四肢がもげ、喉が潰れ、誇りを失おうとも、地を這ってでも泥水を啜ってでも生き抜き。民を守るためならばと失くした四肢を継ぎ接ぎだらけになろうと甦らせ、民たちを己の胸に抱き続けることができる者だ」
ハルミカが語る王道に、カロス王は一つ沈黙置いた後、くつくつと嘲笑を零した。
「何度耳にしても、王族たる者が語るに相応しくない王道よ。そなたらの母親も、死に際に同じようなことをぬかしておったわ」
「!」
カロス王の嘲笑混じりの言葉に、ハルミカは徐々に沸騰するような怒りで眉を吊り上げてゆく。
ハルミカたちの母である先代女王が変死した「エーディーンの常夜」では、カロス王はアナム心臓城にいなかったはずだ。そういうことに、なっていた。だというのに、カロス王は先代女王の死に際を、知っている。
やはり、ナーザと共にハルミカが疑っていた通り、十年前の女王夫妻不審死事件「エーディーンの常夜」を引き起こした首謀者は——女王夫妻を弑逆したのはカロス王であったのだと、ハルミカは確信した。
「この、外道が……!」
真実を知ったハルミカは怒りに声を震わせた。その激しすぎる怒りに呼応するかのように、ハルミカの背中から白銀と黄金の火花を散らして、炎の翼が顕現する。
しかし、炎の翼はいつも以上に巨大な形で膨張していき、クノク砦の東棟の半分ほどを呑み込んでゆく。烈しい炎に呑まれた砦の石壁はみるみるうちに溶け出し、ハルミカの足元にある石畳さえも蒸気やら煙が発生し始めた。
「ふ、は……ふははははは! ようやくその真の力が起動し始めたな? アイティナラント・ルグよ! ああ、なんと美しい。その翼はまさに太陽……そのうえ、この世界最大の禁忌たる〈飛行能力〉まで秘めている。これならば、数多の太陽を創り出し、それらを大陸全土に雨の如く降り注がせることが出来る! 我がアイティナラント・ルグの前では、アウレアだろうが何であろうが、他の諸国など踏み潰される蟲も同然よ!」
興奮した様子で高らかに語るカロス王の言葉で、ハルミカはようやく我に返った。
咄嗟に背後を振り向けば、既にクノク砦東棟の半分以上がハルミカの炎の翼によって見るも無惨に溶け落ちている輪郭が、ハルミカの目でも見て取れる。その様相に、ハルミカはさっと己の全身から血の気が引いていく思いがした。
(これが、僕の……アイティナラント・ルグの真の力? こんなもの、まるで破壊の化身──怪物では、ないか)
己の炎の翼から、太陽の如き業火が無数に生み出され、それらが雨の如く降り注ぎ、大陸全土を火の海にする様相がありありと脳裏に浮かぶ。生き物が灰になるまで焼き尽くされる匂いが、炎に焼かれる耐え難い苦痛に喘ぐ声が、生々しくハルミカの脳裏を過ぎってゆく。
ナーザやカシュガルが、ハルミカの炎に焼かれて、耳をつんざくような断末魔を上げて死にゆく音が聴こえる。
それらはまさに、世界の終末の有り様だった。
(僕は……すべてを殺せる。殺せてしまう。この力は容易く、世界を滅ぼせる……なんと、おぞましい)
ハルミカは思いがけず、顕現させていた巨大な炎の翼を掻き消して、いつの間にか震えていた己の身体を抱きしめた──間違いない。これは、恐怖だ。
たった今、ハルミカは魂の底からイルダナの恐怖に共感した。
これが、生まれながらの怪物が背負いし業。
こんなものを手に、ハルミカとイルダナは──地獄のような世界の中で生き抜き、戦い続けようとしているのだ。
「さあ、我がアイティナラント・ルグよ。今こそ我がもとに還れ。そなたのような怪物を受け入れられるのは──正しく使えるのは、この〈太陽王〉しかおらぬ」
カロス王が、慈しむような声を以てこちらに近づいてくる。
今でもこの身体が反射的に従ってしまう、何よりも恐ろしい声。
カロス王や己への恐怖で、ハルミカの身体は鎖にでも縛られたかのように動けなくなった。
ハルミカは思いがけず、身体を抱きしめたまま、地に膝を着く。
『私と共にハルミカが戦ってくれるように。ハルミカには、私がいます。ゆえに、私たちであればできる』
ふと。今ではもう耳慣れた、少年のような抑揚の無い誰かの声が、鮮やかにハルミカの脳裏に蘇った。
その声の主の名を、ハルミカはぽつりと零す。
「……イルダナ」
次は、つい先刻に掛けられた、取り留めもない軽口がハルミカの鼓膜を、内側から揺さぶる。
『ハルミカも怖くて腰抜かしたら私を呼んでください。笑いに行きます』
ハルミカは思わず、その薄い唇に微笑みを湛えた。
あの無機質で、抑揚の無い不思議な声は、何故だかいつだってハルミカの秘められた勇気を奮い立たせてくれる。それが無性に気に食わないようにも思えたし、無性に笑いが込み上げてくるような感覚もした。
「恐ろしくとも、腰など抜かさぬわ。イルダナ──共にゆくぞ。僕も恐怖を手に、戦い続けよう」
ハルミカは弾かれたようにその場に立ち上がると、カロス王に向かって駆け出す。
同時に、背中へと再び炎の翼を顕現させ、精霊魔法の火球を操り、カロス王を囲むように放って火柱を創り出して、逃げ場をなくした。
カロス王が咄嗟といったように剣を引き抜くが、ハルミカの見事な剣捌きで、カロス王の剣は下から弾き飛ばされ、宙を舞う。
ハルミカは身を守る得物を失ったカロス王の首筋に、剣の切っ先を突き付けた。
「ここまでだ、カロス。我が王、ナーザの下に投降せよ。さすればしばしの間、貴様の命を保証してやる。しかし、少しでも抵抗の素振りを見せた場合、即刻斬り捨てる。僕は慈悲深い我が王とは違うゆえ。我が王の王道が曇らぬためならば、この手を汚すことも厭わぬ」
ハルミカの警告にも、ほとんど動揺した素振りを見せず、カロス王は強気な様子で鼻を鳴らした。
「何をしようと無駄だ。アイティナラント・ルグよ。私には、アウレアの〈奴隷王〉にも劣らぬ駒……闇の呪術師、ドルイドの臣がいる。そなたらに勝ち目はない」
不気味に笑うカロス王に、ハルミカは眉を顰める。
そこで不意に、西棟の方から何かが大きく崩れるような轟音が鳴り響いた。それと併せて、西棟の方角から誰かの気配が近づいてくるのを察知して、ハルミカはその気配がする方へと振り向く。
「ハルミカ——おや、今いいところみたいですね。流石です」
それは間違えようもない、イルダナの声だった。場違いな軽口は相変わらずだ。
ハルミカは思いがけずイルダナに駆け寄りたい衝動を堪えて、イルダナに尋ねる。
「イルダナ! ナーザは、如何にした?」
「ナーザ殿下なら、無事救出できましたよ。既に、スレンさんと共に砦の外に避難してもらっています」
「そうか……ありがとう、イルダナ。礼を言う」
「きみが素直にお礼なんて、やはり気持ち悪いですね。兄上大好き王子」
「黙れ」
こちらに駆け寄ってきたイルダナの言葉に、ハルミカはほっと息を吐く。
「そなたは、〈太陽奴隷〉か……〈金枝〉が執拗にそなたを殺そうとしていたようだったゆえ、そなたも含めたアイティナラント・ルグ以外の愚か者共の始末は全て〈金枝〉に任せていたのだが」
カロス王が胡乱な目をイルダナに向ける。
イルダナは淡々とカロス王の疑問に答えた。
「〈金枝のアランロド〉には逃げられました。ゆえに、カロス王のもとへ向かったのではないかとこちらに来たんですが……予想は外れたようです。もしかすると、あの男はもう地の果てまで逃げ去ったのやもしれませんね。あの男の裏切り癖は、長年一緒にいた私が誰よりも身に染みて知っています。何より、あれは臆病な人ですから」
イルダナの言う事に、カロス王はさあっと顔色を変えた。
どうやらこの箱入り王は、心の底からアランロドを忠臣と思い込んでいたらしい。
「あやつが、私を裏切った……? 逃げた? 斯様なこと、あるはずが……このままでは、アイティナラント・ルグを操れぬ……何故だ、何故、何故、何故……誰も〈太陽王〉たるこの私に従わぬ……!? 違う、違う、違う……私はもうエーディーン王族の汚点などではない……もう地を這うだけの弱者などではない……従え……従え、従え、従え、従わぬか! この世の全て、〈太陽王〉に平伏せよ、オ、オ、ゴオ、オオォ!」
目を白黒させて、ぶつぶつと零していたカロス王の身体が、徐々に異様なほど大きく、がたがたと震え始める。途端に、カロス王の肌が死体の如く土気色に変色し、その全身がぼこぼこと、水が沸騰するように泡立った。カロス王が白目を剥いて、この世のものとは思えない、不協和音の絶叫を上げる。
「な、んだ……!?」
「! ハルミカ。下がってください」
ハルミカとイルダナは二人揃って、カロス王から大きく飛び退く。
次の瞬間、カロス王の姿が黒い水の塊を纏った、不死なる怪物——不還の巨霊と混じり合ったような、そんな歪な怪物の姿へと変貌してしまった。




