第33話 私の隣に還す
◇◇◇
アランロドがふらりと立ち上がって、黄金の瞳をイルダナに向けてくる。
イルダナはその静かな瞳を、真っ直ぐに見返した。
「いい加減、おれも正気に戻らないとな。あんたという憎い特異点を殺して——くだらない世界を終わらせようか」
アランロドが「へへへ」と軽薄な笑い声を零して、イルダナから視線をそらすように目を伏せる。それに目を細めながら、イルダナは淡々とアランロドに言い返した。
「心とはままならないものですね、アランロド——おまえの心は誰よりも裏腹。そして誰よりも素直。そうでしょう?」
「生意気言うな。クソガキ」
そう毒を吐くのと同時に、アランロドが長杖を突いて地を叩く。すると、アランロドの影から十二本の長杖が飛び出してきて、アランロドを円状に囲むように宙に浮いた。
(! あの杖はまずい)
イルダナは咄嗟に駆け出して、アランロドを囲む十二の杖の何本かを矛で薙ぎ払おうとする。しかし、イルダナが矛を振るう前に、アランロドの呪文が素早く唱えられた。
「闇の腕よ。呪え——〈影国女王の接吻〉」
途端にアランロドの影が、円状に浮かぶ十二の長杖に沿って大きく広がり、闇の沼を創り出した。その沼からは、刃を持つ無数の〈影の寄生木〉が生え出てきて、イルダナを襲う。
イルダナは縦横無尽に矛を振るって、〈影の寄生木〉の攻撃を受け流すが、あまりにもの質量攻撃に息を吐く間すらない。当然、歌術を声に組み込む隙すら与えられない。イルダナの全身が、ずたずたに切り裂かれてゆく。
「あんたを奴隷市に売り飛ばしたり、第二師団団長に殺させようとしたり。そんで今も、おれたちは殺し合ってる。そろそろあんたも、正気に戻れば?」
アランロドが小首を傾げてにたりと笑う。
「おれはあんたが死ねばいいって心底思ってる。あんたと出逢った時からずっと、それを望んでた。だからこれまで散々、あんたに嫌がらせしまくったんだぜ? そんな野郎と宝探しなんざ、普通できないだろ。おれとあんたは最初から、最悪の境地に在るんだ」
イルダナは徐々に〈影の寄生木〉に押され、壁際へと追いやられていく。
そんなイルダナから目をそらし、「思ったより手応えないな。まあ、七年も武器に触ってないと、流石のあんたも腕が鈍るか」と独り言ちると、アランロドがどこか遠くに視線を寄越して、低く、願う様に言う。
「おれとあんたは相容れない。そういう運命を、もう受け入れろ」
「嫌だ。おまえが口にする運命など、糞喰らえ。ですよ」
間髪を容れずに、イルダナが無機質な声を僅かに張り上げた。
「アランロド。確かにおまえは、昔からすぐに自分で作った借金を私に擦り付けてくるし。どこぞの色っぽい男の人や女の人と寝て、勝手に刺されて死にかけて、私が必死で治療する羽目になるし。喧嘩は死ぬほど弱いし。酒癖も酷くて、数え切れないほど最悪なところがある」
イルダナは忌々しげに舌打ちをして、今にも己の頸やら心臓を貫かんとする〈影の寄生木〉の猛撃を、血塗れになりながらも弾き返していく。
歌術のまじないを組み込む隙は無い。しかし、声だけを振り絞ることはできた。
「ですが、おまえの一番の好物は私が作ったミルク粥なところとか。私に学問やら呪術やら何かを教える時は、その死んだ魚の目が幾分かマシになって楽しそうなところとか。歌をつい口ずさむくせに、音楽は嫌いだと頑なにぬかすところとか——アランロドのそういうところ、私は嫌いじゃないです」
イルダナの言葉を受けて、ようやくアランロドが再びイルダナを見た。
その黄金の目は、小さく見開かれている。併せて、〈影の寄生木〉の攻撃の勢いが微かに弱まった。おそらく、アランロドの精神がほんの僅か、動揺したのだ。
確かに今のイルダナは、アランロドの言う通り〈太陽奴隷〉であった頃のイルダナの足元にさえ到底及ばないほどに腕が鈍っている。その上、武器を持つ恐怖で身体も思うように動きはしない。
それでもイルダナは、あの頃より今の己の方が遥かに強いという自負があった。
もうイルダナは、己の「人殺しの才」という恐怖を理由に、何かから逃げることも、何かを諦めることも止めたのだ。
己の恐怖、醜さ、弱さ、墓まで持っていくつもりだった本音──〈腸〉を全てぶちまけようとも、それらを手に、欲しいものは何処までも追い続けると決めたのだ。
歌術を使うまでもない──何故なら今のイルダナは、己の腸を全て曝け出すことができ、その行為は何よりもアランロドの鋼の如き強靭な精神力を乱し、魂を揺さぶるに違いないと信じている。
そして、魂を揺さぶられるということは──魂を力の源とする呪術師にとって、致命的な弱点である。
イルダナはここぞとばかりに、〈影の寄生木〉へと今まで以上の力を以て、矛を振るっていく。
「おまえの、調子と音程の外れた小さな歌声に合わせて共に歌ったり、ギターを爪弾く度。どうしようもないほど、私は楽しくて堪らなかった。この憎たらしい世界が、何よりも愛おしく、美しく思えた。そう、私は——おまえの傍に居ると、いつも痛いほどに思い知らされる」
〈影の寄生木〉の攻撃の粗があからさまに見えてくる。アランロドの精神が、イルダナの言葉によって徐々に揺らいでいくのが手に取るようにわかる。
「私はきっと、アランロドとこうやって共に生きるため、この世界に生まれてきたのだと。おまえが私のミルク粥を食べるため。私がおまえに教えを乞うため。おまえの調子の外れた控えめな歌声と一緒に歌うため。おまえと共にアイティナラント・ルグという最高の浪漫を探し求めるため……とうに死ぬべきだった私は、生きているのだと」
イルダナは遂に〈影の寄生木〉を全て薙ぎ払い、アランロドのもとへと目にも留まらぬ疾さで駆け出した。
「ゆえに、私は当然おまえに殺されてやったりはしないし、世界を滅ぼさせる気も微塵もありません。ぐだぐだ一人で思い悩んでないで、さっさと私の手を取れ。アランロド」
足を折りたたんで、闇の沼の上を高く跳ぶ。
そのままイルダナはぐるりと矛を振るって宙に浮く十二の杖を弾き飛ばし、アランロドが創り出した闇の沼を消滅させる。そうして、壁際へと追い詰めたアランロドの顔の真横に、「ドォン!」と轟音を鳴り響かせて矛を突き立てた。すると、石壁に巨大な亀裂が入り、イルダナが強く踏み込んだ石畳も穴が開いて、ひび割れる。
「私はおまえを、私の〈隣〉へ還しに来たんだ」
「……これだから……はあ……ほら見ろ。やっぱりおれは、あんたなんか大嫌いだ」
ここで初めて、アランロドの薄笑いが張り付いていた顔が大きく歪んだ。アランロドが大きな片手で頭を抱えるように目元を覆い隠すと、呆れ果てたようにため息を吐き出す。
「あんたの言葉はどれもこれもいつだって、気持ち悪くて、サムくて、最悪で……おれを……おかしくする」
「同感です。私もおまえのことになると、頭がおかしくなっている気がします」
矛をアランロドの顔の真横に突き立てたまま、イルダナがどこか得意げに鼻を鳴らす。アランロドはまた呆れたようなため息を吐いて、半眼でイルダナを見返した。
「ほんとに変だよ。あんた」
「アランロドには負けます。私を殺したくて堪らないとかほざいているくせに、そんな顔をしている方が変です。絶対」
「うるさい。おれはあんたが——世界でいちばん怖い。あんたが居ると、おれがおれじゃなくなりそうで。あんたほどの恐怖の象徴はないだろうよ」
「それは光栄ですね。ならばおまえも、今の私と同じように。恐怖と共に生きてみませんか?」
「はあ……ああ言えばこう言う……」
ふと、アランロドが唐突に我に返ったように東の方を振り向いた。そして、一度目を伏せて、己を落ち着かせるように呼吸を整えると、いつもの薄笑いを再び顔に張り付けて、イルダナを流し目で一瞥した。
「……そろそろ、この茶番も終わりが見えてきた。おれはもう行くよ。想定通りおれなんぞじゃ、あんたみたいな超人に止めは刺せないらしい。ま、おれが直々に止めを刺せなくても。あんたが勝手に野垂れ死んでくれるか、おれが逃げ切れば。こっちの勝ちか」
アランロドが目を細めて、笑みを濃くした瞬間。イルダナが亀裂を入れたアランロドの足元を中心に、西棟が轟音を立てて崩れ始め、クノク砦の西半分が一気に崩壊した。
(! アランロドが事前に張り巡らせていた呪術……私が破壊した分も相まって、西棟は全壊を避けられないか)
どうやらこの西棟の崩壊も、アランロドによるイルダナを殺すための一手らしい。
ふと、視線をアランロドに戻せば、アランロドが己の足元に伸びる影の中へと、ずぶずぶと沈んでいく姿が目に入った。
イルダナは沈みゆくアランロドへ、反射的に手を伸ばす。
「待て、アランロド。まだ答えをきいていない」
「……答える気は毛頭もないさ。そんでおれはもう、二度と——あんたには捕まらないし、見つからない。じゃあな」
そう残して、アランロドは闇影の中へと呑み込まれてしまった。
アランロドに届かず、空を掴んだ手をイルダナは固く握りしめる。しかし、すぐに意識を切り替えて、イルダナは先ほどアランロドが見つめていた東棟に目を向けた。
「成程。カロス王のもとに向かいましたか」
イルダナは確信を持った声で独り言ちた。そして、崩壊する足場で何とか踏ん張れそうな場所を見つけて、そちらに飛び移る。そこで、矛へと腰に提げていた長縄を結びつけると、未だ崩れていない東棟の方の砦の壁面へと向かって、矛を投擲した。すると、壁面に亀裂を入れて、矛は深々と突き刺さる。
イルダナは、投擲した矛に繋がる縄を己の腕に固く巻き付けて、崩れゆく西棟から宙へと飛び出した。
「本当に馬鹿ですね。アランロドは。私はもう、逃げるのも諦めるのも止めたんです——私はおまえを見つけ出す。何度でも」




