第30話 銀腕の王道
ハルミカたちと別れてしばらく。
イルダナは遭遇した何人かの隊士たちを撃退しつつ、西棟の上階を目指して無駄に広い階段を上っていた。
矛を握る指先が段々と冷えてきたのを感じて、イルダナは薄く唇を嚙む。やはり未だ、イルダナは武器を持つと恐怖によって精神と共に体力までもが蝕まれているのだ。
(アランロドを相手にするまでは……否。ハルミカがカロス王を打ち倒すまでは、何としても耐えて見せる。なるべく戦闘は短期決戦で済ませればいい)
イルダナは改めて、そんな決意を固めながら階段の踊り場へと出る。踊り場へと一歩踏み込んだ瞬間、イルダナへと三本の短剣が矢の如く投擲された。
イルダナは反射的に身体をすとんと地を這うように落として、短剣を躱す。短剣が飛んできた方に目を向けるとそこには、猿轡を嵌め、鎖で縛り上げられたナーザを引き摺るように連れた、スレンの姿があった。
(やはり、この弱り切った呼吸はナーザ殿下のものでしたか)
イルダナが己の聴覚を研ぎ澄まして辿っていた異様に弱った呼吸音。それはやはりナーザのもので間違いなかった。この三日間、暴力に曝され続けていたのだろうナーザは無数の傷だらけで、スレンによってその場に引き倒される。
スレンがイルダナに剣を向け、鋭く睨んできた。
「……この反逆者はやっぱり、餌として使える模様。だけど、釣れたのは外れの雑魚。スレン、失望」
「私としては非常に好都合ですけどね。お嬢さん」
イルダナが小首を傾げて、スレンの声に応える。スレンはそれに眉を顰めると、引き倒したナーザの首筋に剣を押し当てて、低い声をイルダナに刺す。
「今すぐこの場で死んで、〈貌漂しのイルダナ〉。じゃないと、代わりにこの男を殺す」
「嫌です。ナーザ殿下のために死ねるほど、私は忠誠を誓っているわけではありませんので」
スレンからの自害の脅迫を、イルダナは間髪を容れずに首を横に振って拒否する。しかし、イルダナは「ですが」と言葉を続けた。首をだらりと垂らしているナーザの口角が吊り上がったのが、確かにイルダナの目に入った。
「仕事の依頼人をみすみす死なせるほど、間抜けでもないつもりです」
その言葉は、スレンの耳元で囁かれた。イルダナはたった一歩踏み込んだだけで、飛ぶようにスレンの真横にまで距離を詰めたのだ。
スレンが咄嗟といったように剣を振り抜いたが、イルダナはその初撃を矛で軽々と受け止め、そのまま矛を大きく振るって、スレンを身体ごと薙ぎ飛ばす。スレンは反対側の壁に激突するまで吹き飛び、衝撃の反動で、その場に両膝をつくと痙攣するように身体を震わせながら激しく咳き込んだ。
その隙にイルダナはナーザの猿轡を外してやり、ナーザを縛る鎖を矛で断ち斬る。するとナーザは、重傷にもかかわらず一人でふらりと立ち上がり、面白がるような笑みを浮かべてイルダナを見上げてきた。
「ありがとうな、イルダナ。恩に着る——それにしても、囚われのお姫様を救い出す騎士は、流石に強いのお。思わずときめいて、惚れちまったわ。イルダナ、大人しく俺の還し屋になれ」
「絶対に嫌です。ナーザ姫の騎士は、カシュガルだけで十分でしょう。外を見れば一目で惚れなおしますよ、騎士さまの勇猛果敢な戦いっぷりに。まあ、ナーザ姫のことなど忘れて物凄く楽しそうですが」
どうやらナーザは、軽口を叩くほどの体力は残っているらしい。この王子も、何ともしぶとい男だ。それに密かにほっとしながらも、イルダナはナーザに流し目を向けて、静かに声をかける。
「随分とやられましたね。殿下はスレンさんの手が届かない所まで退避してください。その傷では動くのも辛いでしょう」
「おォ、そうはいかん。俺もお前と共に戦うぞ?」
ナーザはそう不敵に笑って見せると、イルダナの腰に何本か差してある短剣の一本を引き抜き、呼吸を乱しながらも立ち上がろうとしているスレンに向かって構えた。
「スレン姫には借りがある。俺に返させてはくれんか? イルダナ」
「そんな重傷の身体で、何を返せるというんです」
「なあに、心配せんでいい。ちょいと、お姫様を口説き落とすだけじゃ——だがまあ、今の俺一人じゃあ死にに行くも同然。イルダナも手伝ってくれんか? 狙うは、難攻不落なスレン姫の無血開城」
ナーザがお茶目に片目を瞑って、イルダナを見上げてくる。イルダナは呆れたように小さく息を吐くが、すぐに頷いた。
「しょうがないですね……依頼人の『返し』の手伝いも、還し屋の仕事ということにしておきましょう。私は殿下を援護します。あとはご自由に」
「助かる」
スレンが立ち上がり、こちらに襲い掛かってきた。それをナーザがすかさず迎え撃つ。
しかしやはり、重傷を負っているナーザの動きはぎこちない。ナーザはスレンの見事な剣捌きとその連撃に押されるが、そこに何度かイルダナが割って入って、スレンとナーザの距離を定期的に引き離させる。イルダナは主にナーザの防御と援護に徹し、攻撃はナーザに任せた。
そんなイルダナとナーザの連係に、スレンが苛立たしげに舌打ちをする。
「忌々しい……王の資格も無い、ただの反逆者め」
低く罵ってくるスレンと剣を交えているにもかかわらず、ナーザがその場にそぐわない穏やかな声色でスレンへと語りかける。
「スレン姫。お前さんが、うちの弟と共にカロスから受けた仕打ちは存じ上げておる。……惨いことを」
「黙れ! 父様を愚弄するな!」
スレンが今までにないほど激昂し、目を怒りで吊り上げる。
「スレンが、すべて悪い。アイティナラント・ルグの、子を産めないから……いつまでたっても! だから、父様は悪くない。黄金の瞳も黒髪も、王家の証を持たずして生まれたスレンのために、父様は導いてくださってるの」
「いや。それは断じて違うのお」
スレンの妄信にも近い発言を、間髪を容れずナーザが否定した。
「スレン姫は、傷つけられておる。ゆえに、俺にスレン姫を守らせてはくれんか」
交わる剣越しに、ナーザが真っ直ぐスレンを見据える。その赤茶色の瞳のあまりにもの真っ直ぐさに気圧されて、スレンが息を呑んだ。
「黄金の瞳も、黒髪も、デカい身体も、何一つ王家の証を持っておらん。それどころか五体満足でもない。王と成る資格も無い。それでも俺は、王と成る。そう決めた──十年前、お前さんと出逢った時から。お前さんみたいに、ずっと傷つけられ、泣き続けているような。そんなエーディーンの民を一人でも多く、救いたいゆえ。この手で守りたいゆえ」
きっと、常人よりも遥かに強く、孤独な女傑であったスレンは己に対して「救いたい」「守りたい」などと言われたのは初めてのことだったのだろう。
ナーザの語る言葉の一つ一つに目を丸くしていたスレンの瞳から、水の珠が滲み出る。
そこで我に返ったのであろうスレンが、「う、あああ……!」と声を上げて、水に濡れた瞳を揺らしながらもナーザへと剣を振りかぶった。
ナーザは短剣を放り捨てて、銀の義手でスレンの剣を受け止める。
二人の距離が、鼻が触れ合ってしまいそうなほどまでに近づき、間近で黄金ではない四つの目が交わった。
「どうして……スレンも、救いたいなんて言う? スレンは、あなたの片腕を奪った……あなたの王道を奪った、宿敵なのに」
「俺の王道は誰にも奪えん。それに、こんなにも丈夫な腕を貰った。スレン姫のような剣豪の剣さえこうやって受け止めることができる。最高の王の腕じゃ。きっとこの腕なら、多くの民を守り、抱くことができる。スレン姫もそうは思わんか?」
ナーザが、光が弾けるような笑みをにかりと浮かべ、涙に濡れたスレンの頬を片手でやさしく撫でた。途端にスレンは剣を手放し、その場に膝をついて、手で顔を覆い隠して俯く。
「ごめん、なさい。ごめんなさい……! どうか、どうか……父様を、止めて……」
涙に濡れた声を、スレンが振り絞る。
イルダナはスレンのもとへと歩み寄っていくと、「投降いただき、ありがとうございます。スレンさん」と静かに声をかけて、スレンの持つ武器を全て取り上げ、その両腕を縄で縛った。
(父を妄信する女傑を、傷一つつけることなく本当に口説き落とすとは……末恐ろしい人だ)
イルダナはナーザの手腕に感心しながらも振り向いて、ナーザへと泣き崩れるスレンの身体を預けた。
「では、殿下。スレンさんと共に砦の外に出ていてください。脱出する際には、なるべくこの砦から隊士たちを外へ避難させていただけたらと思います。スレンさんも一緒なら、それも可能でしょう」
「む? 砦からの避難指示か。何故じゃ?」
首を傾げるナーザに、イルダナは淡々と答える。
「おそらく、私はアランロドと殺し合うことになります。なれば、砦や城の一つや二つ、容易く崩壊します。下手をすれば、国ごと亡ぼすやも」
「おォ。そりゃあ、恐ろしいのお? どんだけ暴れ回るつもりじゃあ、還し屋っつーモンは」
「はい。そういうことで、あとのことはお願いします、殿下。もうあなたは王に成るしかないのですから、これくらい容易いお役目でしょう」
「……そうか」
ナーザが珍しく真剣な表情でイルダナを見上げてくるので、イルダナは一つ目をしばたたかせてナーザを見返す。するとナーザはイルダナの肩を片手で引き寄せると、イルダナに言い聞かせるように静かな声を零した。
「こちらのことは何も案ずるな。俺に任せろ。何よりイルダナ、お前も俺が守るべきエーディーンの民の一人じゃ。何があろうとも必ず、生きて俺たちのもとへ帰ってこい。還し屋ならば、それぐらい容易かろう?」
ナーザがイルダナの肩を叩く。イルダナは間髪を容れずに「無論です」と答えると、ナーザとスレンと別れ、西棟の屋上に繋がる階段を駆け上って行った。
わかるのだ、イルダナには。この階段を上り詰めた先に——腹立たしくも、あの男が眠りこけていることが。
何年も一緒に旅をし、傍で寝食を共にしたのだ。あの男が眠っている時だけ聞くことができる心音は、この耳が嫌でも覚えている。忘れられない、滅多に聞くことができない鼓動の音。
(まだ……戦える。否、私は戦う。戦わなければ、あのカス野郎と)
先程のスレンとの戦闘で、イルダナは随分と精神を摩耗し、恐怖によって吐き気と眩暈に襲われていた。それでもイルダナは己を叱咤し、走り続けた。
西棟の屋上で、眠りこけながらイルダナを待っているだろうふざけた男——アランロドを目指して。




