第1話 還し屋への依頼
頭の芯から揺さぶられるような鈍い金属音が、ガン、ガン、ガンと耳をつんざく。いつものように見世物屋が客寄せのため、錆まみれの鉦を槌で乱暴に叩いている音だ。
汚い鉦の音を合図に、目まぐるしい人々の往来が更に激しくなる気配がする。同時にこちらに向けられる視線、罵声、喚声の数も一層と膨れ上がった。
「おい、いつまで寝てんだぁ!? 梟の耳を晒せ!」
「本当に梟の忌み仔なのか? 目を抉って見せろ!」
「身包みも剥がせねぇのか!?」
見世物小屋の檻の中。その中心の小高くなった地面の上で、イルダナは呑気に片腕を枕にして寝転がっていた。身じろぎの一つもしないイルダナに向かって、檻の外の見世物屋は怒鳴り散らしながら鞭を振るう。
「いい加減にしろっ、このバケモノ! 今日こそは目と耳を晒すっつっただろうが! ……くそ! 魔法が掛かった妙な装束のせいで、身包みすら剥がせねぇしよぉ!」
このお気に入りの装束に施されているのは魔法ではなく、呪術だ。
そんなことをイルダナが内心で訂正する。
鞭に打たれる度、イルダナは「ああー」「痛い、痛い」と全く痛がっていない棒読みのような声を、ふざけて零していた。
今のイルダナは何の気力も起きず、一言で言えば最悪の気分のまま、腐っている。不貞腐れている。指一本動かすのも酷く億劫に思えるほどに。
これも全て、どこぞの誰かがイルダナを奴隷として売り飛ばしたせいだ。
このラナリエン大陸において。
世間で忌み嫌われる〈飛ぶ鳥〉は凶兆の印とされ、中でも災いを招くとされる〈親殺しの梟〉と同じ黄昏時の空のような橙色の目を持つ人間は太古より〈梟の忌み仔〉と恐れられていた。
〈梟の忌み仔〉はその特徴的な目だけでなく、その他の箇所の肉体にも特異な体質を持つ。
男とも女とも言える、謂わば「中性」の如き生態に、五感は人間の何倍も鋭く、人間離れした怪力を擁している等。イルダナはこれら全ての特殊な体質を持って生まれた、正真正銘の〈梟の忌み仔〉であった。
それが鞭でいたぶられる姿に、見物客達の罵声は徐々に下卑た笑い声へと変わってゆく。
イルダナは人々の濁流のような視線、声、悪意に間近で曝されながらも、小さく鼻を鳴らしてぼやいた。
「つまらないですね。ここは」
イルダナは欠伸を嚙み殺しながら、今日はもうひと眠りしようかと一つ目紋様のまじない布の下で両目を閉じようとする。
しかし不意に、どこからともなく唐突に名を呼ばれた。
「貴様が、イルダナか?」
静かだが、不思議と耳によく通るような。冷たくも気品の溢れる声が、全ての感覚を塞ごうとしていたイルダナのぼやけた意識を再び覚醒させた。
落ち着いた低い声から、声の主は若い男だろう。そう見当をつけたイルダナは、ごろりと寝返りを打って振り向くと、己を呼んだ声がした方へ密かに視線だけを巡らす。
すると、アランロド程ではないが、大勢の見物客の中でも頭一つ抜けた長身の青年が自然と人混みを押しのけるように、檻のすぐ手前でぽつりと立っている姿が目に入った。
「還し屋のイルダナ。貴様に『還しの依頼』をするため、参上した」
黒い外套を頭まで被った青年は、はっきりとした口調で物申す。青年の周りにいる観衆達が、そんな青年を物珍しく思ったのか絡むように手を伸ばしてくるが、青年はそれらを鋭く振り払って意にも介さない。
青年の言う〈還し屋〉とは、イルダナを見世物小屋に売り飛ばした張本人、兄弟子のアランロドと共にイルダナが長年続けていた稼業の一つであった。
還し屋は依頼されれば金や装飾品、家畜に食物、奴隷として拐かされた者——モノを問わず。望まず奪われたモノを持ち主や元の場所に還すことを仕事の一つとしており、巷では盗賊擬きの何でも屋とも呼ばれている。
それにしても、〈還し屋〉の仕事は信頼できる顔見知りの依頼しか受け付けていない。そういう秘密裏の仕事であるはずだというのに、この顔も知らない青年はイルダナの素性と名前まで知っていた。
それをイルダナは怪訝に思って、青年へ淡々と尋ねる。
「うちは結構厳しい条件付きの紹介制なんですが。どちら様からのご紹介で?」
「カシュガルという軍人だ。梟の忌み仔の還し屋が、見世物小屋で何日も梟の目と耳を晒さぬと噂になっていたらしく、貴様の居場所もカシュガルが突き止めたようだ」
「……」
カシュガルはイルダナたち還し屋の古い顔なじみであり、以前に何度か還しの依頼を引き受けた得意客の一人であった。
イルダナの名前まで紹介されているということは、どうやらこの青年はよっぽどカシュガルに信を置かれているらしい。
イルダナは未だ喚き散らしながら振るってくる見世物屋の鞭を「痛いですね」とぼやいて受けつつも、ふらりと立ち上がって、檻越しに青年の目の前に立つ。
頭から被ったボロボロの外套。その中から檻の向こうにいる青年を見上げる、一つ目紋様のまじない布に覆われたイルダナの不気味な顔がぬっと近寄ってきても、青年は一切動じる気配もない。
「雪のように白い肌に、夜闇を閉じ込めたような美しい黒髪。人並み外れた大きな背丈——エーディーン王家の血族の方でしょうか。この国の王族だけが持ち得る身体的特徴の殆どを、きみも揃えていらっしゃる」
「!」
青年がはっと息を呑む気配がした。イルダナは相変わらず鞭に打たれ続ける痛みも気にせず、更に言葉を続けた。
「ですが、エーディーン王家の誇りであり、何よりもの王族の証——〈太陽の目〉と呼ばれる黄金の瞳は見られませんね。両目を随分と強力な呪いで封じられている……きみの瞳、是非とも見てみたかったです」
外套の中にある青年の両目は黒い糸状の呪いによって、目蓋が固く縫い合わされていた。視力も殆ど封じられているのだろう。それにしても、何となくこの呪いからはイルダナが慣れ親しんだ気配がするような気がした。
イルダナの言った事は、どうやら全て図星だったらしい。青年が思いがけずといったように一歩後退って、固く口を引き結んで黙り込んだ。
イルダナは一瞬にしてこちらを警戒するような緊張を纏った青年を宥めようと、もともと抑揚のない声をなるべく柔らかに紡ぐ。
「まあ、身体の大きさがどうとか。どこがどんな色だとか。きみがどこの王族だろうが、そういうのどうでもいいですけど。……話を戻しますが。還しの依頼内容は何でしょう」
「……国」
青年は檻の太い鉄格子を力強く握って、眉間に深い皺を刻んだ閉ざされた双眸を、睨むようにイルダナに向けた。
「かつての母国を取り戻すため——エーディーン現国王カロスを、玉座から引きずり下ろす。我々の国盗りに協力しろ。還し屋」




