第27話 恐怖を知り、恐怖を手に
◇◇◇
「魔女酒場」に到着してからの二日間は、慌ただしいものだった。
ナーザが捕えられる前に、来たるべきカロス王との決戦に備えて協力を仰いだ軍勢はイルダナの想定以上に多かった。「魔女酒場」には十年前まで第七師団に所属した隊士たちは勿論、ナーザたちの大叔母であり最大の協力者である元敏腕宰相グラチア一派の私軍までもが集った。
これだけの戦力が揃えば、カロス王の率いる第二師団にも引けを取らないうえ、「樹海焼き」もある程度阻止できる可能性が高まった。ゆえにイルダナたちはリエン大樹海の入り口に軍を構えることに決め、二日をかけてカロス王を打ち破るための作戦を綿密に立てたのだった。
そして、現在。カロス王との決戦を控えた昼時。
イルダナは一人、魔女酒場のテラスにて、ディンデルから借りたギターを爪弾きながら深い物思いに耽っていた。
(……アランロド)
アナム心臓城で再会し、殺し合うことを腹に決めた兄弟子を思う。
イルダナは、昔からアランロドがどこか危うい一面を持っていることは確かに察していた。
アランロドの生まれは「月闇の民」もしくは、「闇の呪術師一族」と世間からも疎まれたドルイド一族。
アランロド曰く、ドルイドは自分たちを追放したエーディーン王家だけでなく、自分たちの呪術の力を恐れ、蔑んだ世界をも呪い、その果てに滅亡したのだと云う。そして、ただ一人生き残ったアランロドは——「世界を滅ぼす」ため、産まれた時から何度も殺されかけながらも、呪術をその身に叩きこまれたのだと。
それを果たすために、生き残ってしまったのだと。世界を怨み、憎悪し、呪う。それだけが、生きる意味だったのだと。
いつかのアランロドとの取り留めのない会話が、イルダナの脳裏をよぎる。
『おれが、世界を滅ぼしたいとか。何もかも殺しちまいたいとか。そういうヘンなこと考えてたらさ——あんた、どうする』
『正気に戻るな、と横っ面を引っ叩いてやります』
『痛!? ちょ、おい! もう叩いてるって!』
『黙れ。とにかく正気に戻ったら、おまえ——こんな憎たらしい世界。赦せなくて、容易く壊してしまうでしょう。ですがおまえはもっと、おまえ自身が望んでいる〈おまえの世界〉に夢を見ていい。自分勝手に期待していい。そして私と共に、もっと夢を見ろ。夢を追い求めろ。こんな世界で生きていくには、くるって夢見るくらいがちょうどいいんです』
『……あんた、そんなにおれと宝探ししたいのか?』
『はい。アイティナラント・ルグという最高の浪漫を教えてくれたのは、アランロドでしょう。ゆえに私とアイティナラント・ルグを手に入れるまで、正気には戻るな。戻ったらくるうまで叩き倒します』
『……ふ……理不尽、こわ~』
『? 何笑ってるんですか。気色悪い』
『いや? でも、まあ……それも案外、悪くないかもなあ』
目蓋を閉じれば、いつでも容易く思い出せる。アランロドの笑う横顔、吐息と一緒に漏らす低い笑い声。
何故、アランロドがカロス王のもとについているのか。
ドルイド一族を滅亡に追いやった一端である、エーディーン王家への復讐の機会をうかがっている?
それともやはり、カロス王を利用して大陸大戦を勃発させ、世界を滅びへと導きたいのか。
今のアランロドの真意は、そのどれもが当てはまる気がするし、どれでもない気もする、とイルダナは内心で矛盾した思いをぼやく。
ふと、何故だかアランロドの覚束ない歌声が鼓膜の奥で蘇ってきた。その低い歌声に合わせ、イルダナも同じメロディを歌い出す。
「モア チュイル 光弾ける 目覚めは暁
モア チュイル 燃ゆる眼 雲の糸 そのすべてが君のかたち
白銀帳が溢るる場所へ この手を引き 連れ出した
暁の雫 落つる灰の眼に 四季が還る
モア チュイル 震わすは 牛呼びの音
モア チュイル 気高き百獣 まろい遠吠え そのすべて 肌撫ぜる痛み蘇らす
鳥の羽ばたき 遠雷の歌 木々のさざめき
静寂破りし 破壊の音 凪の鼓膜に風を齎す
モア チュイル
すべてを揺さぶる 君の弦
モア チュイル
すべてが蘇る 君の熱
モア チュイル
すべてを殺す 君の言の葉
モア チュイル
半分 君が溶けた」
ティリリリリリ。と小鳥のさえずりのような甲高い弦の音色を鳴り響かせて、ギターの演奏を終える。
アランロドが初めて作ってくれた歌の詩を久々に全て歌って、イルダナは「ほう」と息を吐く。ふと、気が付くといつの間にかテラスには、ハルミカとディンデルが出てきていた。
ディンデルがこちらに近づいてくると、イルダナの〈梟の目〉の目元を撫でて、するりとイルダナの銀灰色の髪を一束梳いて見せる。
「ステキ。『燃ゆる眼』に『雲の糸』、『そのすべてが君のかたち』……ふふふ、何て情熱的な歌なのかしら? その歌を作った人、随分とロマンチストなのね」
「え。そうでしょうか。ロマンチストというより、ド屑のカス野郎だと思うんですが……」
首を傾げるイルダナをやさしげな目で見つめた後、ディンデルは「イルダナちゃんの歌、最高だったわ。ありがとね」と残して、酒場の中へと戻ってしまった。
「イルダナの歌は不思議だ。耳にしていると、力のようなものが湧いてくる気がする……僕は変わらず無力なままで。斯様なことはないはずだというのに」
一人分の間を空けて隣に座ったハルミカが、独り言ちるような声を零す。イルダナはハルミカを一瞥した後、ギターをまた軽く爪弾きながら応えた。
「いいえ、力は確かに漲っているはずですよ。力とは魂から湧き出るもの。音楽は、魂を震わせる——そして音楽とは、異人類も人間も問わず。誰しもが自由自在に使うことができる、唯一の魔法です」
「誰しもが平等に扱える魔法が音楽……イルダナはその魔法を、最大限に生かしている。いつか僕も……」
白銀の陽光が溢るる空を見上げていたハルミカがまた、独り言のように小さく呟いたかと思えば、イルダナを振り向いて、張りのある真っ直ぐな声を向けてくる。
「イルダナ。貴様にとって、アランロドという男は……どのような存在だ」
イルダナは首を僅かに傾けて、ハルミカを流し目で見返す。
「いきなりどうしたんですか。きみらしくない質問ですね」
「……」
「何か悪いものでも拾い食いしました? いくら大好きな兄上とはいえ、ナーザ殿下の真似は止めた方がいいですよ。明日の決戦が終われば、おやつも食べられるようになりますから」
「喧しい。殺されたいか? ……疾く、答えよ」
イルダナの軽口に、少しだけハルミカが本来の調子に戻った。それにイルダナは満足して、今度は素直にハルミカの問いに答える。
「そうですね。アランロドは私にとって——生きる術を教えてくれた恩人。還し屋の兄弟子。手に負えないカス野郎。ド屑。まあ色々ありますが、私の人生を左右する大きな存在であることは確かです。非常に気に食わないことに、ですが」
「……そうか」
「はい。ですが、それでも——ハルミカとナーザ殿下を守るため。きみたちの『国盗り』のため、明日は殺す気でアランロドに立ち向かいますよ」
それは紛れもない、イルダナの本心であった。揺らぐことのない決意だった。
しかし、それを聞いたハルミカは、いつにもないほど表情を曇らせて、顔を俯かせる。
「僕やナーザよりも、より長い年月を共にした……僕にとってのナーザのような。家族にも等しい者なのだろう、イルダナにとってのアランロドは。そのような相手に、まことにイルダナは立ち向かうことができるのか? イルダナは、逃げ出しても良いのだぞ。僕たちがイルダナを巻き込んだ……そのうえ、イルダナに家族も同然の兄弟子と殺し合えなどと……そのようなことをさせたいとは、微塵も思っておらぬ。あまりにも酷だ」
「おや。本日のハルミカは本当に珍しいですね? 私に気遣いなど。全くもって似合いませんよ」
どんどんと顔を俯かせていくハルミカの顔が少しでも上がらないかと、イルダナはいつもの調子でハルミカを茶化す。しかし、ハルミカは本当に心の底から落ち込んでいるような様子で、力ない掠れた声を振り絞った。
「僕がナーザと殺し合うと考えれば……心底ぞっとする。そして、ナーザを失ったことで、ようやくイルダナの言う『恐怖』とやらが理解できた……ナーザが僕の所為で囚われてしまったあの日から、震えが止まらぬ」
あのハルミカが、イルダナと同じく恐怖を知った——知ってしまった。やはりそのせいで、王都を離れてからずっと顔色が悪いのかと、イルダナは己の推測が的中してしまったことに、密かに小さく息を吐いた。
ハルミカの身体は、確かにカタカタと小さく震えている。それを押さえるように、ハルミカは両腕で己の身体を抱え込みながら、イルダナに向かって深々と頭を下げた。
「以前、イルダナの恐怖を煽るような……愚か極まりない真似をした。今ならわかる。僕は、イルダナの強さが羨ましく、妬ましかった。ゆえに僕はイルダナを、傷つけた……許さなくていい。誠にすまなかった、イルダナ」
イルダナはハルミカの謝罪に一瞬目を丸くするが、すぐに微かな笑いの混じった吐息を小さく吐いて、相変わらずの無表情のまま、淡々とハルミカに言い返した。
「怖いもの知らずだった王子さまも、とうとう恐怖を知ってしまいましたか。謝られるのも正直困りますので、代わりにハルミカには私の重い秘密を共有してもらいましょう——私が私を恐怖するようになったきっかけは、実の母をこの手で殺したことです。しかも、母を殺したことを微塵も後悔していないのが私の本音です。あんなにも大好きだった母を殺しておいて。そんな自分が、酷く恐ろしいのですよ」
「!」
「梟の忌み仔には、〈親殺し〉の伝承が太古から根付いていますが……実際にその通りになってしまって、自分は本当に怪物なんだと痛感しました。ハルミカもよく覚えておいてください。私の本質は紛れもない、怪物なのだと」
息を呑んで、ようやく俯いていた顔をこちらに向けたハルミカに、イルダナは「まあ、とにかく。色々と怪物相手に気にすることはないというわけですよ。怖がり王子さま」と軽い調子で言った。
「アランロドと戦うことも、私自身が前から望んでいた事だったのやもしれないと、今では思うのです。そしておそらく、アランロドも望んでいる。彼とは長い付き合いなので解ります。きっと私たちは、いつかこうやって殺し合いでもしないと、互いの腸すら見せ合えない。どうしようもない馬鹿なんです」
イルダナの語り口は、これまでになく明るいものに思えた。
「母の頸を何の躊躇もなく刎ねた時。太陽奴隷として飼われ、数多の紛争に駆り出された時。嫌というほど思い知らされました。私には——どうやっても隠すことすら困難なほどに、人殺しの才があると。世界中の人々が私を梟の忌み仔と恐れ、人殺しの怪物だと口々に言うように。どれだけ私が否定しようとも、思い込もうとも……私は生まれながらの生粋の人殺しだった」
目を伏せていたイルダナは〈梟の目〉を上げて、遠い大空を一瞥した後に、ハルミカへと視線を移す。
「しかし、アランロドとハルミカ。きみたちだけは違った。きみたちは私に、こう言ってくれたんです——私が生まれながらに持っているそれは、人を生かす才だと。人を救い、掬い上げる才だと。その言葉は、醜い己を恐怖するだけの怪物だった私を変えてくれた。呪いを祝福へと転じさせる、勇気をくれた。ゆえに私は、再びこの才を手に戦います。ハルミカとアランロドの言葉を証明するため。恐怖を手に、アランロドと戦う。きみと共に戦います」
淀みなく言い切ったイルダナは、内心で思いがけず苦笑した。
ハルミカと出逢ったばかりの頃は「死んでも戦いたくない」と必死だった自分も、ここまで変われるものなのかと。
きっとハルミカも、そんなかつてのイルダナを思い出したのだろう。ハルミカが心底感心したような、感慨深そうな声をぽろりと漏らす。
「まことに変わったな、イルダナは……その薄気味悪い、無機質な声色は変わらぬが。まるで別人のようだ」
「あらゆる面での豹変こそが、私が〈貌漂し〉たる所以ですから」
どうやらハルミカも、いつもの調子を取り戻してきたらしい。声にはハルミカらしい覇気が戻ってきたうえに「薄気味悪い」なんて毒も吐けるようになっている。
イルダナはそれに密かにほっとしながらも、再び白昼の空を仰いだ。
ハルミカが自問自答するように、最後に問いかける。
「僕に、できるだろうか。あの男から——カロスから、全てを取り戻すことが」
「できます」
間髪を容れずに、イルダナが空を見つめる目を細めてハルミカの問いに答える。
「私と共にハルミカが戦ってくれるように。ハルミカには、私がいます。ゆえに、私たちであればできる——ですから『僕は無力だー』なんて泣きべそかかないでください。泣き虫王子」
「な……! 泣いてなどおらぬ!」
「ほぼ泣いてましたよ。ナーザ殿下が帰ってこられたら、慰めてもらえるよう報告しておきますね」
「断じて止めろ。殺されたいか?」
「ははははは」
「気味の悪い笑い声を出すな! 不快だ……」
そうして、数刻後。大いなる太陽が地平線に沈みゆく黄昏時。イルダナたちは第七師団を筆頭とした、第一王子派閥の軍勢——ナーザ軍を率い、薄暗闇に紛れてクノク砦へと出陣した。




