第25話 花山羊の民
イルダナがナーザを救い出す手はないかと思考を巡らせていると、スレンの宣言が耳に入ったのであろうハルミカが、額に青筋を浮かべて低く唸る。
「ナーザを痛めつけるなどと、言ったか? ……ふざけたことを。僕は逃げも隠れもせぬわ」
今にも人を殺してしまいそうな形相で、ナーザのもとへと駆け出そうとするハルミカを、イルダナが強く腕を掴んで引き留める。
「いけません。連中の狙いはハルミカの身柄確保。もしハルミカを確保できたならば、人質として用済みとなったナーザ殿下は殺されてしまう可能性があります。きみが出て行けば全て、彼らの思うつぼです」
ハルミカが己を掴むイルダナを振りほどこうともがくが、イルダナの細い手はびくともしなかった。
「私が一人で行きます。おそらく向こうは交渉を持ち掛けてきますので……隙を見てナーザ殿下を取り戻しましょう。とにかく今は、ハルミカが連中に捕えられてしまう事態だけはどうしても避けねばならないのです。私を信じて、任せてはくれませんか? ハルミカ」
イルダナのいつにも増して真剣な物言いにハルミカが動きを止めて、イルダナに顔を向けると、小さく息を吐いて頷いた。
「……承知した。イルダナのことは信じているゆえ、任せる。しかし、貴様にも何かあれば、僕は必ず駆け付けるぞ。よいな?」
「はい。ありがとうございます、ハルミカ——カシュガルも、私に任せてくれますか?」
カシュガルはナーザの副官だ。ハルミカと同じくらい、ナーザのもとに駆け付けたいに違いない。しかし、誰よりも敵に狙われているハルミカを一人にするわけにはいかないうえ、敵であるアランロドの手の内をよく知るのはイルダナだ。それを即座に理解したのだろうカシュガルが、イルダナに頷いて見せる。
「……わかった、そうしよう。ハルミカ殿下はわたしに任せろ。必要ならすぐに合図を送ってくれ、イルダナ。魔法はいつでも使えるようにしている」
「助かります。では、行ってきます」
イルダナはハルミカたちと別れると、建物の陰に隠れながら、ナーザが捕えられている大橋前へと近づいていく。
そこでふと、イルダナは捕えられているナーザが笑っていることに気が付いた。しかも何やら、繰り返し口をぱくぱくと動かして、声を出さないまま何かを言っているようにも見える。
イルダナは目を凝らし、ナーザの口の動きを観察する。読唇術と呼ばれるものだ。
『機を改めろ。今は退け。民を巻き込むゆえ、王都で戦はできんからな。カロスは今日より三日後、クノク砦に軍を率いて現れる。その時が好機だ。我が、第四師団の援軍も既にお呼びしている。ディンデルという男と落ち合ってくれ。そして三日後、クノク砦にて……国盗りの決着をつけようぞ。ハルミカには、案ずるなと伝えて欲しい。お前が捕まらん限り、俺が殺されることは絶対にないと』
読唇術でナーザの伝言を読み取ったイルダナは、目を細めて小さく息を吐きながら「兄弟揃って、無茶ばかりをする」と独り言ちて、視線をナーザからアランロドに移した。
(アランロドがナーザ殿下の口の動きに気が付いていないはずがない。わざと、ナーザ殿下の前でカロス王の動向についての情報を漏らし、私に伝えさせたな……つまり、アランロドは三日後にクノク砦にて、ナーザ殿下を餌にハルミカを釣りたいわけか。それにしても何故、そんな回りくどいことを……? クノク砦は確か、リエン大樹海の傍にある城のように巨大な砦だったか……)
頭に過った「リエン大樹海」の名前に、イルダナははっと息を呑む。
(そうか……異人類たちを虐殺し、不還の巨霊を大量に生み出そうとカロス王が企てた『樹海焼き』。おそらくあの作戦の決行日が三日後。拠点はクノク砦。ゆえに、カロス王は軍を率いてアナム心臓城から出てくるわけか。そしてアランロドは、その樹海焼きに合わせてナーザ殿下を人質に私たちを呼び寄せ、何かしら善からぬことを企んでいる。何にしろ、ナーザ殿下の言う通り、王都でアランロドと殺り合うわけにはいかない。今は戦略的に、退くべきだ。ナーザ殿下だけでなく、ハルミカとカシュガルにも辛い思いをさせてしまうが……)
イルダナが深く思考を巡らせていると、不意に、背後に見知らぬ人物の気配が近づいてきたことを察知して振り向く。そこには、頭から全身にかけて分厚い外套を身に纏った男が馬を連れて立っていた。
「ええと、イルダナちゃん。あなたがそうね? その綺麗な〈梟の目〉。間違いないわ」
口調は淑やかだが、明るい声色をした男の声だ。イルダナはこの時機に話しかけられたことを怪しみながら、淡々と短く尋ねる。
「どちら様でしょうか」
「あら、警戒されちゃってる? ナーザちゃんの言ってた通り、賢い子ね——あたしはディンデル・バフォメット。ナーザちゃんの協力者で、王国軍第七師団団長代理よ。ナーザちゃんに頼まれて、あなたたちの王都脱出を手伝いに来たの」
イルダナは名乗った男の名前に目を細める。「ディンデル」とは、先程読み取ったナーザの伝言にもあった名前だ。しかも、第七師団はかつて多くの異人類が所属していた部隊。現在はカロス王の命によって欠番とされているが、未だ密かに存在自体は残っていると噂に聞いている。
(第七師団。確かにナーザ殿下なら、真っ先に口説き落としに行きそうな協力者だ。しかし……)
ナーザの伝言を読み解いた敵という可能性も捨てきれない。イルダナは警戒を解かぬまま、短く男に問う。
「あなたが、ナーザ殿下の協力者であるという証拠は?」
「やだ。疑り深い子ね~。でもあたし、そういう子好みよ。そうねえ、証拠……これならどうかしら?」
男が外套のフードを取って見せる。その中から現れた男の顔に、イルダナは微かに目を丸くした。
癖のある長い髪は、緩い三つ編みで結われて肩に流してあり、その色は人間族には滅多に見られない明るいキャロットオレンジ。垂れ目がちな栗色の瞳はやさしげ。しかし、一番に目についたのは、側頭部から生えた羊の立派な巻き角と、ふわふわの毛並みをした羊の長耳だった。
間違いない。この特徴は、異人類――結界魔法と治癒魔法の始祖たる一族。
花山羊の民〈魔女族〉のものであった。
(魔女族……山羊や羊の身体的特徴を持ち、基本的に女性しか生まれぬ長寿一族。当代には千年ぶりに生まれた魔女族の男性がいると聞いたことがあるが、この方がそうか)
極度の異人類差別主義者であるカロス王は、決して異人類を配下にすることはない。アランロドも昔から一貫して単独行動しか取らないほど、他人を信用することなど滅多にないので、協力者がいるとは思えない。
そこまで考え至って、イルダナはようやく警戒を解いて魔女族の男——ディンデルに頭を下げた。
「申し訳ございません。大変失礼いたしました、ディンデルさん。私はナーザ第一王子殿下に雇われております還し屋、〈貌漂しのイルダナ〉と申します。早速ですが、詳しくお話を聞かせていただいても?」
「いいのよ! 信じてもらえて嬉しいわ。あたしのことはディンって呼んで、イルダナちゃん。気楽なのが好きなの。そうね、詳しい話は道中でするから。取り敢えず、馬に乗ってくれる? あと、カシュちゃんとハルミカちゃんも、あたしの仲間と一緒に王都を脱出する手筈だから、安心してね」
ディンデルが軽やかに馬に乗って、手を差し伸べてくる。イルダナはディンデルが言った「カシュちゃん」と「ハルミカちゃん」の名前に小さく目を瞠って、ディンデルを見上げた。「カシュちゃん」はカシュガルのことだろう。
「カシュガルとハルミカも既に、ディンのもとに?」
「ええ。カシュちゃんはナーザちゃんとよく、あたしたち第七師団の隠れ家に来てたから顔見知りなの。すぐナーザちゃんの伝言も信じてくれたわ」
イルダナはディンデルの言うことに「成程。お教えいただきありがとうございます」と納得すると、素直にディンデルの手を借りて馬に跨る。
「では、しばらくはどうぞよろしくお願いします。ディン」
「こちらこそ。よろしくね、イルダナちゃん。さあ、行くわよ!」
フードをかぶりなおしたディンデルが、馬を走らせる。イルダナは堪らず、後ろ髪を引かれる思いで、囚われの身となったまま置いていくことになるナーザの方を振り返る。
イルダナの心配を察したのだろうディンデルが、明るい声音でイルダナに声をかけてきた。
「ナーザちゃんなら大丈夫よ。だってあの子、人間嫌いが多いあたしたち魔女をあっという間に口説き落としちゃった王子様なんだから。あたしたちが心配するほど、やわじゃないわ。それに、すぐにナーザちゃん、取り戻しに行くんでしょ? この国を盗むのと一緒に」
ディンデルの言葉で、囚われていながらも笑って伝言を口にし続けていたナーザを思い出したイルダナは、微かに笑いの混じった吐息を小さく吐く。
「そうですね。還し屋の名に懸けて、必ずナーザ殿下は弟君たちのもとへお還しします。ついでに、このエーディーン王国も」
「国がついでなの? やるわね、イルダナちゃん。あたしあなたみたいな大胆な子、大好きよ!」
こうしてイルダナは間もなくハルミカたちとも合流すると、ナーザが城門関所の役人を買収していたおかげもあって難なく王都ベルティナを脱出する。その後、第七師団に属する魔女族たちと共に、現在の第七師団が隠れ家としている拠点「魔女酒場」を目指して馬を走らせるのであった。




