第24話 黙って私に抱かれろ
呼吸を乱して咳き込むハルミカにカシュガルが駆け寄るが、それを片手でハルミカが制すると、イルダナに向き直って尋ねる。
「助かった、イルダナ……しかし、アランロドはどうなった? 死んだ、のか?」
歩み寄ってくるハルミカに、イルダナは辺りを注意深く見回しながらも、首を横に振って見せた。
「いえ。死んでいません。あれはアランロドの呪術で創り出された精巧な人形です。本体は、どこかに身を隠しているのでしょう……しかし、人形を壊されたことで、しばらくアランロドは思う様に動けないはずです。その隙に心臓城を脱出します。ついてきてください。この中庭が、大橋に近い場所で良かった」
イルダナは中庭を囲む城壁にするすると上ると、何やら手に持つ矛の柄に何重にも固く長縄を巻き付ける。そして、流れるような動作で片腕を掲げて、縄を巻いた矛を構えると、目で追いつけないほどの速さで矛を投擲した。
「ブウン!」と大気を切り裂く凄まじい音を響かせて、矛は一直線に飛んでゆくと、大橋の柱のてっぺんへと煙を立てて深々と突き刺さる。矛が「ドォン!」と鳴り響く轟音を耳にしながら、ハルミカが唖然としたような顔で城壁の上にいるイルダナを見上げてきた。
「何だ、今の音は……イルダナ、いったい何を……」
「ハルミカ、カシュガル。きみたちも城壁の上へ。飛びますよ」
「は? 飛ぶ、とは……確かに、僕の炎の翼で飛べたらよいが、僕は未だ飛ぶことなど……」
「おお! 『跳ぶ』と。そういうことか、イルダナ! よし、じゃあさっさと行くぞ、ハルミカ殿下!」
困惑するハルミカをよそに、カシュガルが納得したように頷きながら城壁に上ると、ハルミカもすぐに引っ張り上げる。
城壁に引き上げられたハルミカは、何が何やらわからぬまま、イルダナによって胴体に縄を巻きつけられていると、徐々に状況を把握してきたようで、額に汗を滲ませた。
「大橋の方から音が聞こえた……何かを投げて、そしてこの縄……まさかイルダナ、飛ぶ、とは……!」
「はい。アナム心臓城を囲む渓谷を飛び越えて、ベルティナに渡ります。文字通り、飛んで。案ずることはありませんよ、ハルミカ。私は何があっても、きみたちを離したりしません。絶対に」
「可愛いうえに男前なことを言ってくれるじゃあないか、イルダナ! わたしもわくわくしてきたぞ!」
目を輝かせるカシュガルに、イルダナは「では、さっき言った通り合図をしたら魔法を。よろしくお願いします、カシュガル」と声をかけると、カシュガルが「ああ! お姉さんに任せろ、イルダナ!」と返して、イルダナの左半身に抱き着いた。
一方ハルミカは、軽く頭を抱えて何度も首を横に振っていた。
「待て……待て、待て、待て。人二人を抱えて渓谷を飛び越える? いくらイルダナでも、斯様なことは無謀……」
ぶつぶつと零すハルミカの声を遮り、イルダナはカシュガルを抱く反対の手でハルミカを引き寄せると、縄の巻き付けられたその腰をしっかりと強く抱いた。
「ごちゃごちゃ言ってないで、とにかく。今は二人まとめて大人しく私に抱かれてください——行きますよ」
「はあ!? 待っ……!」
ハルミカの制止の声も無視して、イルダナは二人抱えて渓谷の上へと飛び出した。ハルミカが震える息を「ひゅっ」と呑み、カシュガルは「わはははは!」と豪快な笑い声を上げる。
高所から飛び降りた勢いで、大橋に繋がる縄を身体に括り付けたイルダナたちの身体は振り子の如く浮き上がるが、それでも渓谷を越えた向こう岸へは届かない。
そこで、イルダナが「カシュガル、今です」と淡々と合図を出すと、カシュガルが楽しそうに頷いて片手を掲げ、きらきらと光瞬くアイスブルーの氷の粒子の塊──凍結封印魔法を底も見えない渓谷へと放つ。魔法を使った反動か、変装のためのカシュガルの栗色のかつらが取れて、鹿の角が瞬く間に生えてきた。
すると、渓谷の遥か下で流れているのだろう川から氷柱が伸びてくる。イルダナはナイフで自分たちの身体に巻いた縄を素早く斬り落とすと、ハルミカたちを抱えて氷柱を足場に、高く跳躍する。そして、イルダナの常軌を逸した脚力によって氷柱は一瞬で崩壊し、イルダナたちは向こう岸にあるベルティナの大地の上に落下していった。
イルダナは腕に抱く二人を庇う様に体勢を整えて、土煙を立てながらも見事に着地を成功させる。イルダナが抱いていた二人を解放してやると、真っ先にカシュガルがイルダナの首に再び飛びついて、ぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。
カシュガルの豊満な胸が、柔らかにイルダナの頬を包み込む。これは役得。悪くない気分だと、イルダナは相変わらず真顔のまま、カシュガルから与えられる胸の圧迫を受け入れた。
「やったな、イルダナ! 何て華麗なる脱出劇だ。もう本当にお前は最高だ! 可愛いし!」
「ありがとうございます、カシュガル」
改めて向かい合ったイルダナとカシュガルは、互いに片手を掲げて叩き合う。その一方、未だに屈みこむハルミカが恨めしげにも、しかし呆れ果てたような声を漏らして、イルダナを見上げてきた。
「大橋を使わず、あの天然要塞を脱出できるとは……しかも、あのような策とも言えぬような馬鹿げた方法で……まことに、いったい何だ。貴様のその規格外さは」
「前にも言った通りです。私は世界一の怖がりゆえ、逃げ足にも自信がありますから」
イルダナは屈み込んでいるハルミカの手を取ると、引っ張ってハルミカを立たせながら密かに耳打ちする。
「ああ、あと。空を飛ぶ感覚は掴めましたか? いい機会だったでしょう」
「はあ……参考にはなったか。礼を言う。イルダナ」
呆れてはいるものの、少しだけ笑いの混じった吐息を漏らすハルミカから珍しく礼を言われ、イルダナは真顔のままでも得意げに胸を張る。
「ナーザ……殿下……?」
不意に、カシュガルが大橋の方を愕然とした表情で見つめながら、ぽつりと小さく声を零す。それを耳にしたイルダナは、はっと息を吞むと、カシュガルと同じく大橋の方へと顔を向け、目を凝らす。
すると、大橋に繋がる門のそばには——傷だらけになったナーザが鎖に巻かれ、力なく横たわっている姿があった。しかもナーザを捕えているのは、アランロドとスレン。その三人を固く守るように、小隊規模の第二師団の隊士たちが囲んでいる。
「アランロドにスレンまで……あいつら、よくもナーザ殿下を!」
「ナーザ? 何だ……ナーザに何かあったのか、カシュガル」
ぼろぼろに傷つけられたナーザを目にして、今にも飛び出しそうな勢いで激昂するカシュガルと、ナーザに何かあったのだと悟ったハルミカ。そんな二人の腕を引っ掴んで、イルダナは物陰に身を隠し「静かに」と二人を宥めながら耳を澄ます。
「ハルミカ殿下。この近くにいるのは、わかってる。もう逃げるのも隠れるのもやめて、今すぐ投降してほしい。さもないと……この場で、〈銀腕〉を死にたくなるほど痛めつける」
スレンが声を張って、そう宣言しているのが聞こえた。イルダナは思いがけず「やられた」と苦々しい声を漏らす。
(おそらく、私とハルミカが城内で見つかった時点で、ナーザ殿下の捜索が始まっていた……ナーザ殿下を捕えたのは、本体のアランロドに違いない。いくら身を隠すのが上手いナーザ殿下であろうと、アランロドの呪術にかかれば捕えるのも造作もない。アランロドは心臓城から私たちを取り逃そうとも、ナーザ殿下を人質に取ることで私たちを炙り出すつもりだったわけか——敵に回すと、厄介極まりない)




