第23話 金枝の
イルダナが地を這うような声で、呪術師の名——アランロドを呼ぶ。それを耳にしたハルミカが「……何だと?」と声を上げ、己の耳に掛けた魔法を解いたカシュガルは酷く驚愕したように目を大きく瞠った。
アランロドという名を呼ばれた途端、呪術師と破れた常闇のベールがどろどろと一体化するように溶け合い、原型が留まらなくなる。
如何にも軽薄な、男の低い声がため息と共に漏れ出した。
「まったく……最悪だ。やっぱり歌術は、呪術師の天敵だな?」
「……〈奉還の魔王〉とエーディーン王家より直々に、還し屋の二つ名を戴いておいてよく言う。〈金枝のアランロド〉」
還し屋七月卿が一人〈金枝のアランロド〉。還し屋七月卿で唯一、歌術を使えないために不還の巨霊を鎮めることができない、「最弱の還し屋」を自称する呪術師。
イルダナが改めてその名を呼べば、どろどろに溶けていたアランロドは一瞬にして、さっきと同じ常闇色のローブとマントを身に纏った長身痩躯の男の姿へと変化する。
肩のあたりで綺麗に切り揃えられた白金の髪。それと同じ色をした金糸のような睫毛は伏せられ、閉じられた目蓋は濃い隈で塗られている。アランロドは目蓋をゆるゆると持ち上げ、イルダナたちを真っ直ぐ見据えた——その双眸は、黄金の色をした紛れもない〈太陽の目〉であった。
「ど、どうしてアランロドがこんなところに!? というか、アランロドの目……あれは、〈太陽の目〉じゃないか! いったいこれはどういうことなんだ、イルダナ!」
カシュガルが酷く困惑した様子で、イルダナとアランロドを見比べる。
そういえばカシュガルは、確かにアランロドとは顔見知りではあるが——アランロドが〈ドルイド〉であることを知らない。アランロドは基本的に身内である還し屋以外の者には、その黄金の〈太陽の目〉は呪術で隠して見せていなかった。それを思い出して、イルダナはカシュガルの問いに答える。
「アランロドは〈ドルイド〉と呼ばれる呪術師一族の生まれです。そして、ドルイドとは——エーディーン王家と同じく、王祖ダナンの血族。彼らドルイドは数百年前、エーディーン王家によってこの国を追放されたゆえに、その怨みと怒りを長年募らせた果て、エーディーン王家を呪詛しようとしました。しかし、その呪いはエーディーン王家ではなく、ドルイド一族へと襲い掛かり、遂にはドルイドは滅んでしまった……その唯一の生き残りが、アランロドです」
静かにイルダナが語り終えると、アランロドが「ご丁寧にどうも。おれより解りやすく解説してくれるな」と相変わらず軽薄な笑みを浮かべた。
イルダナはいつもと変わらぬ調子のアランロドに、呆れたように息を吐く。
「はあ……最悪の事態です。まさか、おまえがカロス王のもとにいるとは。誰かの下につくような器でもあるまいに……スレンさんに、私がいる奴隷市へ向かったハルミカの居場所を教え、同時に私の抹殺を命じたのもおまえですね?」
「まあな。だっておれ——あんたなんか、死んじまえばいいって。ずっと思ってたからさ」
軽薄に笑いながらも、殺意の籠ったアランロドの言葉。それにイルダナはぴくりと眉を僅かに動かすが、すぐに不敵な物言いで言い返した。
「相変わらず下手くそな嘘だ。私と同じく臆病者かつ弱虫でしょう、おまえは」
「……ああ、そうだな。おれ、嘘吐いた」
イルダナの返しにアランロドは軽薄な笑みを収めて、一つ間を置いた。そして、刃物の切っ先のような酷く冷めた眼差しでイルダナを見返すと、口角も上げず低い声で嗤う。
「ずっとこの手で殺してやりたかった。あんたを」
「……」
あまりにもの深い憎悪と殺気を向けられたイルダナは、思わず目を細めて押し黙る。
アランロドから初めて向けられる激情にイルダナが気を取られてしまった、ほんの一瞬。アランロドがトン、と軽く長杖で地面を突くと、アランロドの足元の影がぞろぞろと凄まじい速さで蠢き出して、ハルミカの身体を捕えた。
「!? ぐっ、あ……!」
ハルミカがあっという間に足元から伸びる影に全身が呑み込まれて、底無し沼に嵌ってしまったかの如く、そのままずぶずぶと闇の中にゆっくり沈んでいく。
「ハルミカ殿下!? クソ!」
そばにいたカシュガルがすぐさまハルミカに駆け寄るが、ハルミカの周りを取り囲む影が鋭い刃を持つ「寄生木」の形を成して、カシュガルへと襲い掛かる。カシュガルはすぐさま長剣を引き抜いて、ハルミカを取り戻そうと影の寄生木へと応戦した。
あれはアランロドが操るドルイド呪術──己の魂を影と共鳴させて操る、闇繰りの異能だ。
(! 狙いはハルミカか)
イルダナは反射的に、カシュガルと同じくハルミカのもとへと駆け出そうとするが、その足は一歩踏み出したところで、止まってしまう。
わかっているのだ、イルダナは。ハルミカを救い出す最適解が。しかし、その最適解は——。
(私自ら……アランロドを直接攻撃することが、大前提)
ふと、イルダナの脳裏に、走馬灯の如く遠い日の記憶が鮮やかに流れる。
それは七年前のこと。大陸最強とも恐れられるアウレア帝国軍の大軍一個を容易く壊滅させたアランロドが、〈太陽奴隷〉と成り果てて蹲り、動けないでいるイルダナに、大きな白い手を差し伸べてくる姿。
『あんたを——兵器から〈人〉に、還しに来た』
そんなことを言って、かつて「兵器」であったイルダナを救い、掬い上げた張本人が今は、ハルミカを「道具」にしようとするカロス王のために、ハルミカを攫っている。
イルダナは一瞬前までずっと、躊躇っていた。アランロドと殺し合うことを。
だが、かつてのアランロドを鮮明に思い出したイルダナはもう、迷うことはなかった。
(私は、今のアランロドを許せない。許さない。アランロドは、そうじゃないだろう。殴り飛ばしてでも、喧嘩してでも——殺し合ってでも。私は今のアランロドを、否定しなければ)
矛を握りなおしたイルダナは風を切って駆け出し、真っ先にアランロドへと飛び掛かった。そして勢いのまま、仰向けに倒れ込んだアランロドの胸へと跨ると、太腿と股でアランロドの頭と首を挟み込み、絞めるように固定して組み敷く。
アランロドは呪術に関しては相当な腕だが、体術などはめっきり弱い。いとも容易く組み敷かれたアランロドは、黄金の双眸を眩しそうに細めて、軽薄な笑みを浮かべたままイルダナを見上げる。
「絶景だな」
「当たり前だ。最期に見る絶景が私であること。泣いて喜びなさい」
「ええ……悪い冗談のつもりだったんだがなあ?」
「大腿愛好の変態が、嘘を吐け。下手くそ」
いつにも増して、否、アランロドにだけは極めて大胆かつ不敵な態度になるイルダナの返しに、アランロドがくつくつと低く笑う。
圧倒的に己が不利な状況下になろうとも、如何にも余裕綽々といった様子のアランロド。そんないつもと微塵も変わらないアランロドにイルダナは微かに眉根を寄せながら、この機に少しでも情報を得られないかと、アランロドの額を矛の刃の腹で叩く。
「おまえがよりにもよって、エーディーン王に与するとは思いもしませんでした。それもこれも全て、王が手に入れたというアイティナラント・ルグが目的でしょう? 吐け、アランロド。王の手にあるアイティナラント・ルグはどのようなものか? 何処に在る?」
声を低めて矛の刃を額に突き立てながら脅してみるが、アランロドは今にも口笛でも吹きそうな上機嫌な顔で眉を上げて見せる。
「おや? 何だ。まだ気付いてなかったのか、あんた」
「……何が言いたい?」
「珍しく鈍いな。思い出してみろよ。七年もの間おれたちが散々調べ上げた、アイティナラント・ルグの諸説の数々を」
イルダナは内心でアランロドの言う通り、今までに大陸中を巡って調べ上げた、アイティナラント・ルグの正体についての仮説のいくつかをなぞる。
莫大な財宝。伝説上の精霊。大陸全土を火の海にできるという古代兵器——。
「顕現しているのさ、この国に。かつて〈太陽王〉が契約を交わし、その身に宿した炎の御子が」
「〈太陽王〉が契約を交わした? 炎の御子? それはまさか、四大精霊の……!」
イルダナはそこまで言いかけたところで思いがけず口を噤み、大きく目を瞠る。
ようやく、イルダナも理解したのだ。カロス王とアランロドが「アイティナラント・ルグ」と呼ぶものが、いったい何なのか。
他人は滅多に気が付かない、イルダナの微かな表情の変化にも当然気づいたのであろうアランロドが、にやりと笑みを深める。
「あと、これだけは言っとくが。おれはアイティナラント・ルグのために、あんな俗物王に取り入ったわけじゃないぜ?」
ふと、アランロドがイルダナから視線をそらし、遥か遠い空を見上げる。
「何もかも、この世界の破滅のためさ。おれはもう、我慢できなくなったわけだ」
遠い目をしていたアランロドの焦点が、イルダナに合って、その黄金の瞳が冷たく、残酷に笑う。
「ぜんぶ。死んじまえばいい」
刹那。アランロドがイルダナの頸を目掛けて、隠し持っていた短剣を突き出してくる。
イルダナはそれを矛の石突で軽々と弾き飛ばすのと同時に、アランロドの額を叩き割る勢いで、矛を振り下ろした。
すると、矛の一撃を食らったアランロドの身体はみるみるうちに崩れて、土くれと成り果ててしまう。
それに併せて、アランロドが展開していた影の呪術も途端に消え去り、ハルミカの身体は解放され、カシュガルを襲っていた影の寄生木も大地に溶けて無くなった。




