第21話 王の罠
イルダナからの奇妙な感謝の言葉に、ハルミカはむず痒そうな顔をしてそっぽを向いたが、小さくため息を吐き出して「気持ちが悪いことを口にするな。戯け」と、呆れと微かな照れが入り混じった悪態を吐く。
しかし、ハルミカはすぐに何か考え込むと、神妙な顔をしてイルダナを振り向いた。
「先ほど、カロスが言っていたが……貴様が〈太陽奴隷〉だったということは、まことか? イルダナ」
ハルミカの静かな問いに、イルダナは己の右胸辺りに刻まれているアウレアの太陽紋のタトゥーに触れながら「はい」と頷いた。
「十年前、エーディーンの常夜に乗じて奴隷商人に攫われた私は、アウレア帝国へと売り飛ばされまして。アランロドに助け出される七年前までは、アウレアが奴隷将軍の片割れ、〈太陽奴隷〉として生きていました。今まで黙っていてすみません。もう一人の奴隷将軍〈奴隷王〉に追跡されぬようにと、このことは内密にしているのです……つまりは、まあ。私の正体は怪物兵器だった、というわけですね」
〈太陽奴隷〉。それは軍事国家アウレア帝国が主戦力として擁する二人の奴隷将軍の片割れ。そして、大陸最悪とも恐れられる国滅ぼしの兵器。
イルダナが己を恐れる所以である過去の一端を知って、ハルミカはどう思うだろうか。それを知るのが、少しだけ怖い。
そんなことを恐々と考えていたイルダナだったが、それを大いに裏切って、ハルミカは高慢な態度でいつものように鼻を鳴らした。
「何が兵器。馬鹿げた話だ。僕がカロスの道具でないように、イルダナも兵器などではなかろう。我々はこの世に生まれ落ちた時より、紛れもない人間だ。何より、貴様のような『世界一の怖がり』——国盗りはできようが、国滅ぼしなど到底できまい」
イルダナの恐怖など、いつもハルミカは容易く一蹴してしまう。それが堪らなく憎たらしくて、何故だか無性に面白く、嬉しくも思えた。
イルダナは小さく鼻から吐息を漏らして「まったく、その通りですね」と短くハルミカに答えた後。すぐに気持ちを切り替えて、辺りを注意深く観察した。
「さて。それでは脱出方法を改めましょうか。おそらくカロス王の指示により、ベルティナに繋がる大橋はもう封鎖されているでしょう」
「ああ。僕もそう思う。如何にするか……」
ハルミカの声を遮って、アナム心臓城全体が突如、大きく揺れた。それに併せて、「オオォォォ……!」と、地響きの轟音にも似た低い咆哮が響き渡る。
咆哮が轟いてから一拍置いて、御前広場の方からただらぬ悲鳴が無数に上がった。それを耳にしたイルダナとハルミカはどちらからともなく「行きましょう」「ゆくぞ」と声を掛け合い、御前広場のある中庭中央へと揃って駆け出す。
中庭の至る所は、心臓城の城内に向かって逃げ惑う人々で人混みがごった返している。そして、御前広場の中央には、黒い水の塊のようなものを纏った屍の異形——死者の魂と負の念が凝り固まって生じる不死の怪物、〈不還の巨霊〉が顕現していた。しかも、以前イルダナとハルミカが奴隷市で遭遇した不還の巨霊よりも、その姿は一回り大きい。
「何故、このような場所に不還の巨霊が……まさか……!」
僅かに眉を顰めたイルダナは、はっと息を吞んで御前広場の上にあるバルコニーに視線を向ける。そこには王笏を掲げるカロス王と、カロス王の傍にひっそりと控える子ども擬きの姿があった。
「おお、何ということだ! 我がアナム心臓城を奪わんと〈太陽奴隷〉が攻め込み、不還の巨霊を目覚めさせたのだ! アウレア帝国の狗め、何と非道なることを!」
カロス王がそんな悲痛な声を上げているのが聞こえる。しかし、その口角は微かに上がっていた。
間違いない。これはカロス王が全て仕組んだこと——イルダナとハルミカをおびき寄せる、罠だ。
「この気配は、不還の巨霊か……!? なにゆえ、心臓城に不還の巨霊などが出現する? カロスの傍に、得体の知れぬ術を使う者がいたが、その者の仕業か……?」
目が見えずとも、耳と気配で現況を察したのであろうハルミカが困惑した声を漏らす。イルダナはバルコニーにいるカロス王——その隣に控えた、異様なほどまでに気配を消して佇む子ども擬きを凝視しながら、ハルミカに答えた。
「やはりカロス王は、不還の巨霊を操る何らかの術を持っているようですね。そして、カロス王にべったりと付き従っている、あの子ども擬きは——呪術師です。間違いありません」
「何だと? 不還の巨霊を操る術をカロスが? そのうえ、呪術師を従えているとは……」
驚きと共に怪訝そうな声で訊き返してくるハルミカにイルダナは顔を向けて、その肩へ片手を置いた。
「カロス王の目論見など諸々については、後ほど話します。それよりハルミカは、カシュガルを捜してください」
「カシュガルを? 確か奴は、大橋付近で待機しているはずだろう?」
「はい。ですが先ほど、私たちが軍議室から派手に飛び出た時に、カシュガルは私たちの姿を見つけたはずです。というか、私たちの緊急時を察してもらうため、派手に出ましたから。ゆえに彼女が、私たちを見逃すはずがありません。状況が急変したのだと即座に察し、おそらくこの中庭には入って来ていると思います。大橋が使えなくなった以上、心臓城からベルティナへ脱出するにはカシュガルの力が必要不可欠になりました。そういうことで、ハルミカ。カシュガルとなるべく早く合流してください」
「なるほど。新たな脱出方法は、イルダナに考えがあるのだな。承知した……だが、これから貴様は如何にするつもりだ? 貴様と僕で、手分けしてカシュガルを捜す方が効率的であろう」
「私はきみがカシュガルを捜している間に、カロス王が操る不還の巨霊を鎮めます。不還の巨霊の出現は我々を誘い出す罠でしょうが、それでも……還し屋七月卿の一人として。あれだけは、見過ごせません」
たとえカロス王の罠に、自らかかることになろうとも。
不還の巨霊を鎮めることができるのは、世界でもイルダナを含む還し屋の七人——否、歌を嫌うアランロドを除いた、たった六人だけ。このまま不還の巨霊を放置すれば、死者が出る可能性が高い。カロス王は民の犠牲も厭わない、そういう人間だ。
還し屋であるイルダナは、どうしてもそれを見過ごすことなどできないのだ。
そんなイルダナの固い意志を察したのか、ハルミカが微かに眉を顰めて、イルダナに顔を向ける。
「……イルダナの言いたいことは、わかるつもりだ。だが、カロスには得体の知れぬ呪術師もついているのだろう? 貴様一人では、危険極まりない。死ぬ気ではあるまいな?」
きっと、ハルミカなりにイルダナを心配してくれているのだろう。イルダナはつとめて柔らかな声音を心がけて、抑揚のない声でハルミカに答える。
「死ぬ気なぞ、毛頭もありませんよ。やばくなったら、ハルミカを呼びます。その時は是非とも助けに来てください。まあ、個人的にはカシュガルを一刻も早く捜してもらえることが、一番助かりますので。よろしくお願いします、ハルミカ。それに……」
イルダナは目を鋭く細めて、己が「呪術師に間違いない」と見定めた、バルコニーにいる子ども擬きを流し目で一瞥する。
「呪術師の恐ろしさなど——この世界で一番、私が身を以て知っていますから。問題ありません」
そう独り言ちて、イルダナはハルミカの肩を軽く叩いた。
「なるべくハルミカたちには〈歌術〉の力が及ばぬよう努めますが、私の歌が聞こえたら一応耳を塞いでください。それでは、また後で。ハルミカ」
「……ああ。カシュガルはすぐに見つけ出す。それまで耐えよ、イルダナ」
「承知です」
こうして、中庭の人混みを掻き分けていくハルミカの背中を見送ると、イルダナは逃げ惑う隊士が落としていったのであろう〈矛〉をちょうど見つけて手に取り、ゆっくりとした足取りで御前広場の中央に現れた不還の巨霊のもとへと歩み寄って行った。




