第19話 明かされる怪物
しばらく中庭を進んでいた二人は、先頭を歩くハルミカが突如歩みを止めたことで、二人揃ってその場に立ち止まる。
イルダナが「どうしました?」とハルミカに尋ねると、ずっと片手で壁に触れていたハルミカが、触れていた石壁を覆う蔦や雑草を両手で取り払い始めた。
「覗いてみよ」
ハルミカに促されて、イルダナはハルミカが蔦と雑草を取り払った箇所を覗き込む。そこには古めかしい小窓があった。窓の向こう側は、玉座の間と思われる城内の広間が見える。
「あちら側からは、この窓のついた扉はただの壁にしか見えぬ。おそらく、魔法による幻術が仕掛けられているのだろう」
何と、この中庭には各部屋を覗くことができる小窓だけでなく、扉までもが造られているらしい。
ハルミカの説明に、イルダナは「ほう」と感嘆を漏らす。
「成程。これは便利ですね。それにしてもこの仕掛け、いったい何のために造られたのでしょうか。この窓の経年劣化から察するに、造られたのは相当古い時代ですよ」
「わからぬ。だが、先人たちは予見していたのやもしれぬな——カロスのような暗君が生まれ、それを引きずり下ろす王族たちもまた、同時に現れるのではないかと」
ハルミカが声を低めながら玉座の間を覗ける小窓から離れると、少し先へと進んで反対側の石壁を覆う植物を取り払おうとする。イルダナもそれに倣ってハルミカのもとに駆け寄ると、共に石壁を隠す植物を取り払った。
「機密情報を盗むならばやはり……まずは軍議室を調べるのが妥当であろう。この軍議室には、カロスの信を得た極少数の者しか入れぬゆえ。我々が知り得ぬ機密情報も、いくつか残されている可能性が最も高い」
イルダナとハルミカが次に見つけた小窓の先には、確かに会議室のような部屋が見える。中央の広々としたテーブルには、エーディーン王国やラナリエン大陸といった、大小さまざまな地形の地図が広げられているようだった。
「カロスはしばらく、〈バード祭〉のために御前広場のバルコニーから動かぬはず。調べるのであれば、今しかない。僕は他の窓より、軍議室に誰か入って来ぬか気配を探っておくゆえ、何かあれば知らせる。貴様は迅速に機密情報を盗め」
「承知しました。では、さっそく行きましょうか」
イルダナとハルミカは互いに頷き合うと、二手に分かれる。イルダナは石でできた重厚な扉をズズズ、と僅かに開き、軍議室の中へするりと身体を忍び込ませた。
軍議室に入ったイルダナは薄手の手袋を両手に嵌めると、慎重な手つきでテーブルに重ねて広げられている地図に触れ、それぞれに素早く目を通す。
(対アウレア帝国軍迎撃作戦のための資料が殆どか……命知らずにもほどがある。このような戦術では、瞬く間もなく〈奴隷王〉に攻め滅ぼされてしまう……)
イルダナは内心で呆れたように独り言ちながらも、次々と資料に目を通して、それらの情報を頭に叩き入れていく。しかしふと、イルダナはどの資料や戦略図にも共通する、不可解な点を一つ見つけた。
(これはおそらく、第一師団と第二師団の兵力と配置を示す記号……しかし、この記号は? 王国軍の兵力より数は劣っているようですが……確か、カロス王が従えることができる王国軍は第一、第二師団しかなかったはず。私たちが把握していない、未知の戦力か……?)
イルダナはこの未知の戦力が何なのかを突き止めようと、更に他の資料にも目を通す。
(この記号について、何か記述は……第一、第二師団に並んで多い単語……『不死の軍勢』?)
どうやら、第一、第二師団と共に主戦力とされるもう一つの戦力は「不死の軍勢」というものらしい。呼び名からして、どうにも胸騒ぎがする。イルダナは「不死の軍勢」についての詳細な情報を求めて、更に地図と資料を読み取る手を速めた。
そこでイルダナは「エーディーン王国北部地図」と記された地図が目について、ぴたりと手を止めた。この地図には、他の地図や資料よりも随分と多く、書き込みがしてある。
(リエン大樹海を中心に作られた地図か)
リエン大樹海とは、ラナリエン大陸の最北部に広がる、大陸の三分の一をも占める広大な樹海だ。エーディーン王国に隣接するリエン大樹海は、未だその九割が人類未踏の地であり、現在は樹海の入り口の周辺地域に、カロス王の人種差別的政策によってエーディーン王国を追われた異人類たちがひっそりと隠れ住んでいるという。
イルダナはリエン大樹海の地図に書き込まれた小さな文字列を、順番にたどってゆく。
(リエン大樹海最南端部にて、異人類の集落を複数確認。それらを本作戦『樹海焼き』において、全て掃討すべし……異人類全滅によって生じる『不死の軍勢』の獲得を以て、本作戦完遂とする)
またもや登場した「不死の軍勢」という単語。そして、「樹海焼き」と呼ばれる、カロス王が追放した異人類たちを樹海と共に焼いて殺戮するという非道な作戦。その殺戮の上に獲得できるのが、「不死の軍勢」——イルダナはこれらの作戦から連想される、机上の空論に思いがけず微かに眉を顰めた。
(『不死の軍勢』とはよもや……不還の巨霊のことか? カロス王は不還の巨霊を《《兵器》》として登用する何らかの術を確立させている? そうなれば確かに、恐ろしいほど強大な戦力にはなるが、不還の巨霊を操る術など聞いたこともない。魔法分野ならば、そのような境地の術が存在する可能性も……しかし、カロス王は極度の異人類差別主義者。魔法使いの臣下はいないでしょう。魔法も無しに、不還の巨霊を兵器として操るなど、不可能では……)
そこまで思考を巡らせつつ、イルダナは更に地図に書き込まれた文字列を目だけで追っていた。
(『樹海焼き』の指揮は総じて、『金枝』に一任する——)
不意に。思いもよらない単語が目に入ってきて、イルダナの思考を一瞬にして停止させた。イルダナは無心になって、何度もその一文を繰り返し読み直す。
「は?」
イルダナは無意識に、間の抜けた声を口の端から低く漏らす。常なる無表情が珍しく崩れて、両目を大きく見開き、魔法によって碧色に彩られたその瞳が、今までにない驚愕で揺れた。
(金枝……『黄金の寄生木』。エーディーン王国の国章にも描かれる、『白銀の太陽』に並ぶ神聖なる植物。それを〈名前〉として、扱って良いとエーディーン王家より許しを得たのは、〈奉還の魔王〉——)
イルダナは内心で「金枝」の名前の意味を辿り、茫然とした顔で掠れた声を絞り出す。
「ま、さか……」
「まさか。どうかなさったのでございますか?」
背後から、子どものようなまろい声がかけられた。イルダナは反射的にその場から大きく飛び退いて、声の持ち主から距離を取る。
そこには、身の丈に合わない見上げるほどの長杖を手にした、黒づくめのローブを身に纏う子どものような体格の人物が立っていた。顔はマントのフードによって隠されて、窺えない。
常人よりも五感が鋭いイルダナが、一切気配も感じられず、背後を取られた。あれは子どもなどではないと、イルダナは一目で悟る。イルダナの心臓が、どくどくどく、と早鐘を打つように高鳴った。
「おやおや? 随分と警戒されましたねえ。小動物のようで、可愛らしいものでございます」
子ども擬きが、ころころと笑う。
ふと、近くにある「秘密の中庭」へと繋がる扉から、微かに風が吹き込んできた。イルダナは咄嗟に声を上げる。
「動くな。……そこから一歩でも動けば、その頸を捩じり切ります」
イルダナの声に反応して、吹いてきていた風が途絶える。おそらく、ハルミカが何かしら異変を察知して来てくれたのだろうが、今はこの場に出てこない方が得策と判断し、イルダナが子ども擬きを脅したように見せて、引き留めたのだ。
「何とも似合わない、物騒な脅しでございます」
子ども擬きが穏やかに語りかけながら、シャン、と音を鳴らして横一線に長杖を振るった。すると、瞬きをする間もなく、イルダナの上半身へと強烈な衝撃波のようなものが放たれ、それをまともに食らったイルダナは弾かれたようにその場に倒れ込む。
「く……ぐっ、アァ……!」
目から首筋と胸のあたりに焼けるような痛みが走って、イルダナは苦悶の声を漏らす。梟の耳を隠す飾り布が焼かれ、両目に掛けられた梟の目を隠すカシュガルの魔法が強制的に解かれた気配がした。これはやはり、普通の人間には不可能な攻撃だと脳内の片隅で理解してしまって、イルダナは強く歯を食いしばる。
(異人類嫌いのカロス王陣営には、魔法の類は使えないと油断していた……だが、あるじゃないか。魔法という神秘なる奇跡に匹敵する、人間族が生み出した類稀なる異能が……!)
それでも、このままではいけないと。熱く痛む胸元を押さえて、点滅する視界もそのままにイルダナは肩で息をしながら立ち上がろうとする。しかしそこで、軍議室へとぞろぞろと武器を持った隊士たちが突入してきた。その中には何と、カロス王の姿もある。
子ども擬きが嫌に恭しく首を垂れて見せて、またころころと笑う。
「お待ちしておりました。王よ」
「うむ。これが件の侵入者か。捕獲、ご苦労」
どうやら子ども擬きがカロス王共々を呼び寄せたらしい。
イルダナは立ち上がる前に素早く隊士たちに取り押さえられ、数多の武器を突き付けられる。
武器が肌に触れるだけで、恐怖がイルダナの胸を突く。この武器がイルダナの手に渡れば——イルダナは、イルダナを取り押さえる隊士たちは、どうなってしまうのだろう。
だが、そんな恐怖もすぐに打ち消えた。それよりもイルダナは、今は身を隠しているハルミカのことを案じずにはいられなかったのだ。
何せハルミカは、遠くにいるカロス王の声を聞くだけでかなり精神と体力を摩耗してしまう。カロス王の存在をこんなにも間近にしてしまった今、ハルミカは大丈夫だろうか。身も心も、武器を前にしたイルダナと同じように恐怖に支配され、酷く苦しみ、動けないでいるのではないだろうか。
(今ここで、ハルミカまでカロス王に捕まってしまうのは致命的……それを、誰よりもハルミカ自身が理解しているはず。どうか、一人で心臓城を脱出してくれればいいが……!)
ハルミカが脱出する時間を稼ぐ。イルダナは最優先事項をそう切り替えて、視線をぐるりと巡らせて周りを観察した。
すると不意に、カロス王がイルダナのもとへと歩いてきたかと思えば、蔑むような目だけでこちらを見下ろしながら、王笏を使ってイルダナの顔を無理やり上げさせる。
「これが梟の忌み仔。異形の耳に何とも汚らわしい目の色よ。そなたが〈銀腕〉が雇った還し屋。〈貌漂しのイルダナ〉か……む?」
カロス王が訝しげな声を上げたかと思えば、目を眇めて、イルダナの顔を更に王笏で持ち上げる。イルダナの顔が持ち上がるのと併せて、カロス王の黄金の目が徐々に、驚愕に染まって大きく見開かれた。
「こ、れは……アウレアの太陽紋ではあるまいか……!?」
「!」
カロス王の言葉に、イルダナは弾かれたように首を下に傾けて、己の胸元を確認する。
イルダナの滅多に曝されない、白い胸元。その鎖骨の辺りから右胸にかけて、エーディーン王国のものとは異なる、異国風の太陽紋章がタトゥーとして刻まれている。
どうやら、先程子ども擬きから受けた異能の攻撃によって、服が焼かれていたらしい。
「はあ……まったく。嫌なものを見られましたね」
イルダナは思いがけず、常なる無表情を僅かに崩し、鼻に皺を寄せてため息と共に独り言ちる。
カロス王は未だに驚愕に染まった目を細めて、傍に控える子ども擬きへと一瞥を寄越した。
「我がエーディーンと同じく。太陽信仰の厚いアウレアにおいて、大空の王たる月と太陽の紋章を授けることができるのはアウレア皇帝だけ。そして、その紋章を皇帝より授かる者は、〈奴隷王〉と〈太陽奴隷〉のたった二匹……左様か。どうりでそなたがこの忌み仔を……否、〈太陽奴隷〉を『抹殺したい』などと恐れるわけだ。のう?」
「太陽奴隷」──そう呼ばれるのは、およそ七年ぶりだ。その名を耳にするだけで、ぞわぞわと総毛立つ思いがする。
イルダナは、とうに捨て去ったはずの、苦い思い出しかないその呼び名で呼ばれて、眉根を寄せずにはいられない。
「おわかりいただけましたようで嬉しゅうございます、王よ」
子ども擬きが深く頭を下げて、カロス王に応える。
イルダナは「子ども擬きがイルダナを『抹殺したい』と王に進言するほど恐れている」というカロス王の発言に思いがけず眉を動かして、子ども擬きを凝視していると、不意に、横っ面をカロス王によって王笏で殴り飛ばされた。
「ちょうどよい。まさか、〈アイティナラント・ルグ〉だけでなく。大陸最悪の生物兵器〈太陽奴隷〉までもが我が掌中に収まるとは。殺してやってもよいが、こやつも我が手で直々に調教し、我がエーディーンの兵器としてやるのもよいな……だが、諸々を決定する前に尋問だ。そなた、ハルミカの居場所を知っておるな? 可愛がってやるゆえ、言ってみよ。さもなくば、そなたの爪を全てはがし、全ての歯を抜き、生きたまま全身の皮を剥ぎ取る。さあ、疾く、吐け」
息を吐く間もなく、イルダナは頭をカロス王の足によって踏みにじられ、何度も王笏で殴打された。何が尋問。これは拷問だ。
「まずは、その汚らわしい〈梟の目〉を抉ってやろうか。そのような醜い怪物の目、我が聖なる〈太陽の目〉に映すことすら許されぬ」
イルダナは隊士たちによって顔を真上に持ち上げられ、床に固く張り付けられる。
〈梟の目〉を微かに細めて、イルダナは無表情のままほくそ笑んだ。
(拷問は好都合。私は決して口を割りはしない。カロス王が飽きるまでに、ハルミカが心臓城を脱出できれば、それでいい。このまま私がどうなろうと……)
イルダナの目に向かって王笏が振り下ろされる。イルダナは少しでも長く、カロス王の意識が自分だけに留められることを狙って、挑発するように〈梟の目〉を大きく見開いた。




