第18話 人をすくいあげる才
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「秘密の中庭」の入り口は、まるで隠し扉のような仕組みをしていた。
場所は御前広場のバルコニーに続く、大階段の裏側。その巨大な石壁には、いくつか押し込むことができる「石」があり、それらの石を正しい順番で押し込んでゆくと、人ひとりが通れるくらいの細い隙間が開かれる。
イルダナとハルミカは、その隙間の先へと身を滑り込ませ、「秘密の中庭」に繋がる隠された入り口を閉じたのだった。
イルダナとハルミカが足を踏み入れた「秘密の中庭」は、何とも幻想的な光景をしていた。
蔦と苔に覆われて青々とした古い石壁に囲まれ、蛇の如くうねる通路状の中庭。その中庭は、背の高い珍しい植物や低木が生い茂っており、頭上を覆い尽くしてきらきらと木漏れ日が漏れる隧道のようにも思えた。
そして現在。イルダナとハルミカは「秘密の中庭」の苔むした石畳の地面に二人並んで座り、少しの間休息を取っている。
イルダナは隣で背後の石壁に凭れかかるハルミカを横目で一瞥した。
帽子を取ったハルミカは未だに、ただでさえ元から白い顔が蒼ざめており、微かに息も乱れている。もしや、先ほど出くわしていた第二師団の隊士たちに何かされていたのではないかと心配になって、イルダナはハルミカに尋ねた。
「少しは落ち着きましたか? すみません。私が遅くなったせいで、先ほどの下衆野郎共に何かされたのでは……」
「否。何もなかった。この不調はおそらく……カロスが原因であろう。アナム心臓城に潜入した時より、奴と遭遇する可能性は考えていたが……先程、御前広場のバルコニーに向かうカロスの声を耳にした。それ以降、この城に囚われていた頃の記憶が蘇って……気分が悪くなった。それだけだ」
淡々と答えるハルミカの指先は、小さく震えている。
「一年前まで、この城に囚われている間。僕とスレンは、幾度となく……子を成せと。カロスを含む多人数から数え切れぬほど暴行を受け続けていた。まるで道具の如き扱いだった。この城に居ると、嫌でもあれを思い出す。気分が悪くなるのも当然か」
ハルミカの口から改めて直接語られた壮絶な過去に、イルダナは思いがけず、息を呑んだ。
(ナーザ殿下が仰っておられた非道とは、この事か……何と愚かな。人を何だと思っている。否、そのような事すら考えることが出来ない、外道野郎ということか。カロス王は)
確かにハルミカは当代のエーディーン王族で唯一、その身に精霊魔法を宿している。その力を手に入れようと、まさか実の娘であるスレンをも利用して、人とは思えない非道に走るとは。カロス王の愚かな所業に激しい怒りを覚えつつ、同時にイルダナは複雑な思いを抱いていた。
何故なら、ハルミカが今感じているのだろう、その苦痛は紛れもなく——心的外傷とカロス王に対する恐怖によるものに、違いなかったからだ。
ハルミカは無意識のうちにカロス王に恐怖を抱いている。それでもハルミカはその恐怖から生じる苦痛を「当然」と受け入れて、今もカロス王へと立ち向かっているのだ。
恐怖から逃げ続けているイルダナにとって、そんなハルミカの生き方は泥臭くも、途轍もなく眩しいものに思えて仕方がなかった。ハルミカは、何て凄いのだろう。
「ハルミカは……強い人だ。弱く愚かな私とは違う」
イルダナは小さく独り言ちる。すると、その独り言を拾ったのであろうハルミカが微かに眉を顰めて、イルダナの方に顔を向けてきた。
「何を言う。強いのは貴様だろう、イルダナ。僕は未だ未熟な力しか持たぬゆえ、一人カロスに囚われたままのスレンを救うことすらできぬ。己の心を見失い、カロスの傀儡となってしまったスレンを救うには、もう……殺してやるしかないと、思い至ってしまうほどに。実際、僕がスレンであれば、迷わず死を選ぶ。死は時に、救いだ。今はナーザがいるゆえ、死ぬわけにはゆかぬが……無力なままでは、人を救うことなど到底できぬ。しかし、貴様は違う」
珍しく口数が多いハルミカに、イルダナは思わず瞠目して、隣に座るハルミカに顔を向ける。
両目が閉じられたハルミカが、真っ直ぐにイルダナを見据えて、強く訴えかけるように、ゆっくりと語った。
「確かにそれは、人殺しの才なのやもしれぬ。だが同時に、その才は——人を救うことができる才だとも言える。貴様のその力を人殺しの才にするか、救いの才にするか。それは貴様次第ではないのか?」
ハルミカから紡がれる言葉に重なるように、遠い日の誰かの言葉が鮮明に蘇ってきた。
『確かにあんたのそれは、人殺しの才だ。呪いみたいなもんだ。間違いない。だけどさ、使い方によっては、誰かを生かして掬い上げる稀有な才にも成り得る。生まれ持った祝福みたいなもんにだって変えられる。力ってのは、だいたいそういうもん。つまりは全て、力を使うあんた次第ってことだな。人殺しの怪物に成るのも、そうならないのも。おれはあんたがどっちになろうが、別にどうでもいいけど』
七年前、イルダナが奴隷兵として飼われ、人殺しの怪物に成りかけていた時。三年ぶりに再会した兄弟子——アランロドも、蹲って動けないでいるイルダナに、ハルミカと全く同じことを言っていた。
どうして今まで、忘れてしまっていたのだろう。ハルミカといると、よくアランロドのことを思い出す。
ハルミカとアランロドは、どこか似ている気がする。一見、生真面目な王子と軽薄な屑野郎で、正反対な二人にしか思えないというのに。
しかし二人はかつて同じように——独りで蹲っているイルダナを、見つけに来てくれたのだ。
二人にも「イルダナには人を救う才がある」と言ってもらえて、イルダナは己の魂から骨の髄にまで刻まれていた「人殺しの呪い」が、少しずつ受け入れられるようになっていく気がした。
「……とにかく貴様は、己を卑下しすぎている。斯様な者を前にすると、腹が立つ。僕の前では今後一切、そのようなことは止めよ。でなければ先日のように、咄嗟に殺したくなるゆえ……些か休みすぎた。ゆくぞ」
ハルミカがどこか気まずそうに早口で語り終えると、すぐさま立ち上がって、片手で城の壁に触れながら中庭の先を歩いてゆく。しばらく茫然としていたイルダナも我に返って立ち上がると、ハルミカの背中を追った。
そして、足早に歩くハルミカの背中にイルダナは、心なしかすっきりとした抑揚のない声をかける。
「ハルミカ、ありがとう」
「何がだ」
「ハルミカの言葉に、たった今。私はすくわれました。ゆえに、ありがとう。です」
イルダナは己の本心を曝け出して、足取り軽やかに歩く。
そんなイルダナからの感謝の言葉に、どこかハルミカが居心地悪そうな様子でため息を吐き出して「やはり貴様の考えることは、予測がつかぬ……なにゆえ僕が、感謝されるのか……」と、何やらぶつぶつ零していた。




