第13話 変幻自在の貌
王都ベルティナから、底が見えない渓谷を越えた先。アナム心臓城に繋がる大橋は一つだけ。
その、王都と心臓城を繋ぐ大橋を、ゆったりとした足取りで渡る長身の男がいる。男は人々が行き交う中で、己の斜め前を歩いている、己と同じくらい周りから頭一つ抜けた長身の女性へと声をかけた。
「ねえ、ミカ。もう少しゆっくり歩こうよ? このままじゃおれ、足が疲れそうだ」
男の溌溂とした明るい低音の声を受けても、女性は振り向きもしない。男は「やれやれ」と小さく苦笑を漏らして女性の真横にまで追いつくと、つばの広い大きな帽子を目深に被った女性を歩きながら覗き込んだ。
「ミカ。そう焦ることないって。そんなんじゃ、すぐにバテるぞ? もっと肩の力抜いて行こうぜ」
「……その呼び方を止めよ。僕はハルミカだ。そも、なにゆえ僕が斯様な動きづらい恰好を……」
低い声を唸るように絞り出した女性——否、女装したハルミカが如何にも嫌そうな顔をして男を振り向く。
ハルミカは女吟遊詩人の長いスカート衣装を身に纏い、カシュガルから借りた栗色の長髪かつらを着けていた。目深に被ったつば広帽子の下にある白皙の美貌は薄い化粧で彩られている。呪いで縫われた両目も綺麗に白粉で隠されていた。
ぶつぶつと唸るハルミカに、隣に並んだ男が小さく笑い声を上げる。
「これも作戦の内なんだ。仕方ないだろ? 今のおまえは吟遊詩人の若夫婦の奥様、ミカ。おまえは心臓城でも顔が割れてるんだから、女装くらいはしてもらわないと。まあ確かに、これくらい背の高い女の子は目立つが……おれもおまえに合わせて、厚底靴で盛ったからさ。こうなったら二人でそこそこ目立とうぜ。逆に目立てば、潜入しやすくなるってもん。これが還し屋流、隠密術ね!」
群衆の中でも頭一つ背が高い二人は、確かに歩くだけで注目を浴びている。しかし目立てば目立つほど、「派手な吟遊詩人の若夫婦」という認識が誰しもに刷り込まれ、「エーディーン王国第二王子」という本性は彼らの脳内で欠片も想像することなどできなくなるのだ。
人の第一印象の刷り込み、つまりは初頭効果というものは強ければ強いほどいい。
それをよく理解している男は、こちらを頬を染めて見つめてくる女性たちに片目を瞑って見せ、黄色い歓声を受けながら、意気揚々とハルミカの隣を歩く。
そんな男の軽薄な所作を目が見えなくとも察したのか、ハルミカが酷く怪訝そうな声を男に向けた。
「声の高さに抑揚の癖、喋り方に歩調の音……何もかもが違う。誰だ、貴様は。やはり別人か?」
「そりゃまあ、今のおれは、いつもとは別のおれだからなあ。こういうの、おれすげー得意なの。男でもあり、女でもあるおれはおれが思うが儘に操る七色の声と、変わり続ける数多の顔を持つ——だからおれは、〈奉還の魔王〉に〈貌漂し〉っていう名前を戴いた還し屋なわけ。お解りいただけた? 奥さん」
派手な吟遊詩人の男——に完全に化けた〈貌漂しのイルダナ〉は、いつもの表情筋が死んでいると評される無表情からは考えられないほどの、弾けるような笑みを浮かべた。
「ほんとはさ。還し屋の兄弟子たちがいれば、あいつらの変装術も借りてもっと体格も変えられたんだけど。まあ、おれは表情変えるだけでも別人らしいから。ナーザ殿下も『いや誰じゃこの軽薄野郎……知らん……一周回って怖……』って怯えてたし! これで上出来だろ」
イルダナは今回、大して変装のための化粧もしていない。強いて大きく変えたものと言えば、カシュガルの魔法によって碧眼へと変えてもらった〈梟の目〉くらいだろうか。
それに加えて、いつもうなじ辺りで括っている髪を解き、額には派手な飾り布を巻いた、いつもとはまた雰囲気の違う民族的な男らしい吟遊詩人の装束。そこにハルミカの背丈に合わせた厚底靴を履いて、あとは「吟遊詩人の若夫婦の派手な夫」を演じるために表情やら所作を作るだけ。
こうしてイルダナは化粧も殆ど用いず完璧な別人の顔へと変貌して、今回の潜入作戦に臨んでいるのだった。
「あ、でも。あとで顔めちゃくちゃ痛くなるのやだな~。だから表情筋使うの苦手なんだ、おれ」と苦笑するイルダナの、男のものにしか聞こえない低音の声に耳を傾けながら、ハルミカが独り言ちるように呟く。
「貴様の顔は、性別をも超えて無数にあるのか。何とも不可解な……他人の顔を見てみたいと思ったのは、初めてだ」
先日の喧嘩まがいの一件から距離を置かれていたハルミカからの、半歩ほどだけでも歩み寄ろうとしているようにも聞こえる独り言。
それを鋭い聴覚で拾い上げたイルダナは、思いがけず声色をいつもの状態——少年のような中性的で抑揚のない無機質な声音に戻して、ハルミカの独り言へと勝手に応えた。
「私も、誰かに顔を見てみたいと言われたのは初めてです。多くの人々は、梟の忌み仔の判別のつかない性別や〈梟の目〉を忌み嫌い、恐れますが——私は己の身体とこの朝焼け色の瞳、結構気に入っているので。ハルミカには私の顔がどのような顔に思えて、この瞳が何色に見えるのか。ちょっと気になりますね」
イルダナの応えに、ハルミカが微かに息を吞んで一つ間を置くと、静かに語りだす。
「……僕の目は、胎児の頃より幾度も暗殺されかけたゆえに、父と母が〈奉還の魔王〉に依頼してまじないをかけさせたのだと聞いている。胎児の頃より精霊魔法を宿していることが判明していた僕は、〈太陽の目〉を持って生まれるやもしれなかったゆえ。『何色かもわからぬ目』を隠すことで、少しでも王位継承権を巡る争いの危険から遠ざけるためにと」
初めてハルミカ自身の口から語られたハルミカの過去に、イルダナは思わず目を丸くして帽子で半分隠れたハルミカの横顔を見つめた。
(ハルミカの目のまじない、というより呪いは〈奉還の魔王〉……先生が掛けたものだったのか。否、それにしては呪いから嫌な気配がするので……ハルミカが成長した頃合いを見計らって、先生がアランロドに命じて新たに強力な呪いを掛けさせたんでしょう。アランロドは先生をも凌駕する呪術の腕を持つゆえ……どうりで憎たらしい気配がすると思いました。まったく、どこにいても嫌でも存在を感じて最悪ですね。あの男は)
イルダナがそんなことを密かに確信していると、ハルミカがどこか意気込むような様子で鼻を鳴らして、イルダナにいつもの不機嫌そうな顔を向けてくる。
「だが、我らが〈太陽王〉の即位は目前だ。ナーザが王と成れば、直に王位継承権争いの危険など微塵も消え失せる。ゆえに、カロスを失脚させた暁には、僕もこの目のまじないを解くつもりだ。……呪術師の手を借りる必要があるが」
「そうですか。ならばいずれ、私が呪術師を紹介しましょう。とんでもないカス野郎ですが、腕は確かです」
どうやら今日のハルミカは、まともにイルダナと意思疎通を取ってくれるようだ。
そのことに内心で密かに安堵しながらも、イルダナはいつの間にかいつもの無表情に戻っていた顔をにこやかに笑う男の顔へと変貌させ、声色も明るい男の声へと切り替えた。
「さて。んじゃまあ、おまえの目が一刻も早く解禁されるためにも。まずはこの作戦を成功させなきゃな! もうすぐ心臓城だ。いけそう? ミカ」
イルダナとハルミカのすぐ目の前には、まさに「心臓」の形をした山の如き巨岩と一体化するように造られた〈アナム心臓城〉が迫っていた。その幻想的で荘厳な城の城門は、大きく開かれている。
本日は〈バード祭〉と呼ばれる、エーディーン王家がいにしえより一月に一度は催すことをしきたりとしている祭りのために、アナム心臓城の城門が大々的に開かれているのだった。
〈バード祭〉とは、精霊たちを定期的に祀る小さな感謝祭。そして、エーディーン王家を守護する〈火の精霊〉たちへの感謝の意を精霊たちの好む音楽にのせて伝えるため、多くの吟遊詩人が心臓城へと招待される。つまりは、イルダナたちにとって絶好の潜入の機会とも言えるのだ。
還し屋は〈歌術〉を扱うため、吟遊詩人にも扮しやすいと考えて、ナーザは還し屋を雇うことを決めたのかもしれない。しかも、還し屋の中でも特にイルダナは変装術や隠密行動に長け、路銀を稼ぐために吟遊詩人として歌を歌うことも多かったので、今回の潜入にはぴったりの人選だ。
そんなナーザの意図を何となく推測していると、隣を並んで歩くハルミカがイルダナからの声掛けへと深く頷いて見せて、今の可憐な姿に到底似合わない地を這うような声で応えてきた。
「無論。ゆくぞ——目にもの見せてやる」
「隠密には相応しくない台詞過ぎて笑える。あんまりはしゃぐなよ~? ミカ。あと、城内では声出すのも控えめに、ね。おまえ、声低いから。声かけられることがあっても、応えなくていいぜ。おれが何とかする。よろしい?」
「承知した」
そんなやり取りをしながら、二人はアナム心臓城へと続く巨大な城門をくぐった。




