第12話 王子たちの常夜
◇◇◇
夢を、見ていたようだった。
生まれ故郷であったエーディーン王国と、そこで共に過ごした兄弟子たちから、たった一人引き離され、奴隷として生きた三年後——今から七年ほど前。アランロドと再会して間もない頃の、夢。
夢から醒めたイルダナは、重い目蓋を持ち上げる。今は夕暮れ時だろうか。梟の目と同じ色をした黄昏の色が、天井を染めている。どうやらイルダナは寝台で眠っていたらしい。
「おォ。目が覚めたか。気分はどうじゃ、イルダナ」
すぐ傍から明るい声がかけられて、イルダナは声がした方へと首を傾ける。そこには、寝台の横に備え付けた椅子へどっしりと足を開いて座る、ナーザの姿があった。
イルダナは寝台から上体を起こしながら、ナーザの声に答える。
「……私は、大丈夫です。すみません、裏庭で気分が悪くなって、倒れてしまったようで……」
「よい、よい。事情は全部知っとる。ハルミカが気を失ったお前を連れて、申告してきたからな。己がイルダナの恐怖をあおって、無理をさせたと」
「ハルミカが……? そうでしたか」
どうやらナーザは、ハルミカからあの一連の騒動の理由を既に聞かされているらしい。
イルダナはあの後のハルミカの行動に思わず小さく目を丸くしながらも、頷く。
(全くもって、何を考えているのかは理解不能ですが……つくづく、本当に生真面目な人だ。あんなにも私に対して怒っていたというのに)
内心でイルダナが苦笑を零していると、ナーザが椅子を引いて、イルダナの方へと身を乗り出してきた。
「喧嘩するほど仲が良いとはよく言うが……今回ばかりはハルミカがすまんかった、イルダナ。兄として謝らせてくれ」
頭を深々と下げてくるナーザに、イルダナは首を横に振って顔を上げるよう促した。
「いえ。お気になさらず、ナーザ殿下。その、何と言いますか。今回のご依頼に対する、私の姿勢が悪かったのもありますので……こちらこそ。申し訳、ございません」
ハルミカはもしかすると、自分たちが命を懸けて挑む「国盗り」の仕事に、戦う術があるにもかかわらず、イルダナだけが「戦わない」選択肢を取ろうとしている姿勢にも怒ったのかもしれない。
それは紛れもなく、イルダナの悪いところだ。ハルミカが怒るのも当然といえる。
そこまで思い返して、イルダナは改めて深く自省した。
だがそこに、顔を上げたナーザが僅かに顔を俯かせているイルダナを覗き込んできて、困ったように眉を下げて笑う。
「いいや。今度ばかりはハルミカが悪い。あいつもそれを自覚しとる。だから、俺に事のあらましを申告してきて、お前をおぶってここまで来たんじゃ。まあ結局、頑固すぎて直接謝りには来んがのお。ハルミカは他者との接し方が不器用極まりなくてな。悪気があったわけではないんじゃが。あいつはどうにも……生き急ぎすぎて、空回っとる節がある」
「……生き急いでいる、というと?」
ナーザの気になる発言に、イルダナは首を傾げた。
イルダナの疑問に、ナーザは再び椅子に座りなおしながらも「少し長くなるが、いいか?」と答えてくれたので、イルダナはナーザに頷いて見せる。そしてナーザは、珍しく神妙な面持ちをして語り始めた。
「イルダナ。お前は『エーディーンの常夜』を知っとるか?」
思いがけない単語がナーザの口から飛び出してきて、イルダナは微かに瞠目しながらも首肯する。
「ええ、勿論。私もこの国の出身ですので。十年前に起こった——先代女王夫妻の不審死事件、及びそれと同時に勃発した、王都の民が起こした大規模暴動事件のことですね」
エーディーンの常夜。それは大陸大戦後、最も死傷者が出たとされる、大陸史にも残る大事件である。イルダナもこの事件にある種巻き込まれた挙句、奴隷商人に売り飛ばされてしまい、かつてはエーディーン王国から無理やり引き離されることとなった。
当時のエーディーン王国を治めていたナーザとハルミカの両親、先代女王夫妻は突如、二人揃って〈頸無し〉かつ、四肢の全てが切断された変死体となって発見された。そのうえ二人の遺体は、互いに争ったような痕跡があり、無理心中かとも推測されたが、その真実は未だ明らかになっていない故の、不審死。
そして、女王夫妻の遺体が発見されて間もなく。その日の夜に王都に住まう国民の一部が突然、正気を失ったような様子で他の国民を襲い、街に火をつけ始めた。まるで王都全体を蝕んでいくかの如く、正気を失った国民たちは伝染するように増加して、大暴動と化した——イルダナの母も、正気を失った国民の一人だった。母も、親しかったたくさんの人々を突如として殺し回り始めた。
そして、そんな母を止めるため──イルダナが頸を刎ね落としたことで、母は死んだ。
この大暴動事件にかかわった、或いは鎮圧にあたった当時の王国軍の団長四人も殉職及び生死不明となっている。
「非業の死を遂げた女王夫妻による呪い」とも恐れられるこの惨劇の夜を、大陸では主に「エーディーンの常夜」と呼ぶのだった。
昼と見紛うほどに明るい夜。それは、王都を燃やす炎の赤い光。
あの夜の異様なまでの明るさと、母をこの手で殺した時の記憶が生々しく蘇ってきて、イルダナは身体中の血の気が引いていくのを感じながら一度目を伏せる。
同じように当時の夜を思い出したのであろうナーザも、明らかに顔色が蒼ざめていた。
「そうじゃ。『エーディーンの常夜』……あの夜ほど、恐ろしい夜はない。あの夜の夢を見て、眠れないことは今やもう数え切れん。そして、あの夜は……俺たち兄弟の運命を大きく変えた」
ナーザが眉を顰めさせて、俯きがちだった顔を上げる。
「あの夜。ハルミカは母上と父上が死んだ場所に一人残されておった。そして、恐らく二人の死を間近で目の当たりにしたんだろうハルミカは——エーディーンの常夜以前の記憶を、全て失ってしもうた。医術師によると、心的外傷によるものだそうじゃ」
「……! ハルミカに、そのような過去が……」
衝撃的なハルミカの過去に、イルダナは僅かに眉を動かすと目をしばたたかせて、驚愕の滲んだ吐息を零す。
ナーザもイルダナに頷いて応えた後、片手で短い髪を掻き乱しながら唸るように低い声を絞り出した。
「エーディーンの常夜以降、カロス王の勢力が一気に台頭してきてなあ。カロス王はまるで全て読んでおったかのように、つつがなく王位に就いた。恐ろしく順調で、穏やかな王位継承じゃったよ。そんで、カロス王は俺たちを養子にすると宣言してすぐ、あろうことか記憶喪失となったハルミカを監禁しおった。ハルミカは、当代の王家ではたった一人の精霊魔法をその身に宿した子どもだったからじゃろう。ゆえに俺は、あの手この手でカロス王に反抗したんだが……そん時に、カロス王と揉み合いになっての。王を害しようとしたと、スレン姫に片腕を持っていかれてしもうた。おかげで五体満足じゃあなくなった俺は実質、王位継承権剥奪。罰としてアナム心臓城を追放されたというわけじゃ」
ナーザが銀の義手を見つめて、自嘲のような笑みを小さく零す。
エーディーン王家には王祖ダナンの時分より伝わる、いくつかの古い掟が存在し、その一つに「五体満足でなければ、王たる資格はない」といったようなものがある。
つまりナーザは幼いハルミカを利用され、カロス王の策中に嵌ってしまったのだ。
「近年、密かに口説いた諸侯たちの力添えもあり、第四師団団長にまで成り上がったおかげで、俺はハルミカと接触を図れるようになった。そして一年前、ようやくハルミカをアナム心臓城から連れ出すことができた。半ば、二人で脱走するような形だったがな。十年近く監禁されておったらしいハルミカは、俺が城から連れ出したことを……随分とデカい恩だと、思っておるようじゃ。加えて、俺の片腕や王位継承権の事も、己のせいだと負い目を感じておる。……どちらも、全くもってハルミカがそのように思わんでいいことだというのに」
十年近くアナム心臓城に監禁されていたのだというハルミカの話に、イルダナは思いがけず微かに目を細める。
ハルミカは確かに世間知らずなところが目立ち、常識にも囚われておらず、どこか子どものような言動も少なくない。その訳が、まさかカロス王によって長年監禁されたことにあったとは。以前、イルダナがそんなハルミカを「箱入り王子」と称したこともある意味、言い得て妙だったのかもしれない。
そう思うとイルダナは何となく、罪悪感が胸を突くのを感じた。
ナーザが膝の上で手を組んで、眉間に深い皺を刻むと、心底悔しそうな声で語った。
「ハルミカは力に酷く固執しておる。その訳は、力を以て全てを救いたかったからじゃろう。王位継承までの経緯を見るに、おそらく……カロスに弑逆された両親。まんまとカロスの計略に嵌ってしまった俺。そして、カロスによって十年近くも非道を受け続け、記憶も奪われた己自身——無力ゆえに戦うことすら出来なかった俺たちが奪われた全てを。ゆえにハルミカは、力というものに拘る。そのうえ俺に恩やら借りを返すため、憎くて堪らんカロス王を王位から引きずり降ろさんと、それらばかりに意識を取られておる。その道中や戦いの中で、何かを失ってしまう危険や可能性など、考える余裕もないのじゃろうな」
「……成程。それでナーザ殿下は、ハルミカが『生き急いでいる』と感じておられるのですね」
イルダナは兄弟の壮絶な過去の一端を知って、得心がいったと深く頷く。
ハルミカが痛いほどに苛まれたのであろう「無力感」とは、イルダナにも深く覚えがあることだ。
故にイルダナは力を身に着け、そしてついには——力に溺れ、それを恐れた。
イルダナは改めて思いなおす。
確かに自分とハルミカは、理解し合えないことが多いのかもしれない。それでもイルダナはやはり、ハルミカのことをもっと知りたいし、理解したいのだ。どうやっても、そう、思い続けてしまうのだ。
何故ならハルミカは、今思えば見世物小屋で独り腐っていた——悪意に満ちた世界にたった一人きり、置いてけぼりにされたように思えて、寂しくて傷心中だったイルダナを一番に見つけ出してくれた。イルダナの恩人に違いはないのだから。それに「空を飛びたい」という禁忌の思想を密かに抱く、数少ない共感者でもある。
故にイルダナは、ハルミカを理解したい。そのうえでハルミカの隣に胸を張って立ちたいし、ハルミカを守りたいのだ。
そんな決意を内心で新たにしていると、不意にナーザが、またイルダナへと頭を深々と下げてきた。
「そういうわけで、イルダナ。どうか、明日の潜入作戦ではハルミカのことをよろしく頼む。あいつは俺も手に余るほどの相当な頑固者なうえに危なっかしく、色々と気を揉ませることも多いだろうが……あいつもお前と同じく、エーディーンの未来を担う一人じゃ」
ナーザが微かに顔を上げ、赤茶色の双眸を真っ直ぐにイルダナへと向けてくる。その眼差しは今まで見たことがないほどに、真剣そのものであった。
「俺は、カロスが奪っていったもんを全て取り戻す。そのために、古の掟を破ってでもエーディーン王と成り、この国に生きる遍く民を、この国の全てを命を懸けて守り導いてゆくと決めた。だが俺はデカい身体も、黒髪も、雪の肌も、偉大な太陽の目も、王家の証は何一つ持っとらんし、ましてや片腕を失って王の資格さえ無い。民意も踏まえるとおそらく、繋ぎの王となるじゃろう。故に、次なる正統なエーディーン王——この時代の〈太陽王〉となるハルミカを、失うわけにはいかん。そして何より……」
ナーザの真剣な眼差しに、黄金の光が差した気がした。
「ハルミカは、俺のたった一人の弟——俺の〈太陽〉ゆえ。どうか、どうかよろしく頼む。イルダナ」
太陽こそが至上とされるラナリエン大陸。そんな大陸においても「太陽王の国」と呼ばれるエーディーン王国の生まれだからこそ、イルダナはナーザの言う〈太陽〉の重みと深みがよく理解できた。
そしておそらく、ナーザは己が五体満足ではないこと、王家の証となる身体的特徴を何一つ持ち得ていないことを「王たる資格はない」とまで思い込んでしまうほどに、心の澱みとなってしまっている。それをイルダナは密かに察した。
イルダナはゆるりと一つ瞬きをして見せると、珍しく肩肘張っている様子のナーザへ、己の梟の目の下をトントンと指で叩き示しながら、軽く首を傾げて見せた。
「たかが髪の色、目の色、でしょう。あと、古い掟だのなんだのそれらのような些事、気にする必要ありません。何故なら、ナーザ殿下。あなたは変革者であり、変革者とは掟を破るものです。そのうえ何より、私がハルミカより重々承知せよと仰せつかったのは、あなたを次代の〈太陽王〉とすることですので。あなたには確かに、王たる器がある。見る目には自信があります」
淡々と語るイルダナの言葉に、ナーザがぱっと顔を上げて、その大きな目を更に丸くする。
イルダナは心底驚愕しているのであろうナーザにも構わず、ナーザの胸を、片手の甲で軽く小突いた。
「私はそう腹を決めて仕事を遂行しますので、ナーザ殿下もそこはしっかり腹を括ってください。そして無論、ハルミカのことも私にお任せを。確かに彼は色々と厄介ですが、ムカつくクソ野郎……ではなかった、じゃじゃ馬の手綱を握るのは得意です——何があろうと、必ずや作戦を成功させ、弟君をあなたのもとへ無事にお帰しします。私、還し屋ですから」
イルダナなりの、次代の〈太陽王〉への激励は届いただろうか。
そんなことを思いつつ。真顔で胸を張って見せるイルダナに、ナーザは驚愕の表情からみるみるうちに、微かに目尻に水を滲ませた泣き笑いのような顔になると、イルダナの身体を引き寄せて肩を組んだ。
「はあ~……お前、カッコイイのお……! 本当、イルダナが俺の還し屋で良かったわ」
「勝手にあなたの還し屋にしないでください。厄介なので。……それにしても、弟こそが己の〈太陽〉とは。ハルミカも大概でしたが。ナーザ殿下も相当な兄馬鹿ですね」
「ハッハッハ! じゃろう? それに関しては自信がある。だが、ちょいと情熱的過ぎたか?」
「いえ。あなたらしくていいんじゃないですか。他の誰かが聞いて、何を思うかは知りませんけど」
「おォ、何じゃあ。イルダナも俺に手厳しくなってきたのお。これは俺の副官その二にする流れじゃな」
「勘弁してください。嫌です。絶対」
こうして、夕暮れ時はとっくに過ぎ、夜が更け。
イルダナとハルミカは、アナム心臓城への潜入作戦実行日の朝を迎えた。




