第9話 国盗り作戦
テーブルに〈ラナリエン大陸地図〉とエーディーン王国内の地図を広げて見せたナーザが、「新顔もおることだし、とりあえずエーディーン王国内外どちらともの情勢を再確認しようかの」と一同に視線を巡らせた後、義手の指を地図上へと滑らせた。
「まずはエーディーン王国内の情勢じゃな。現在、カロス王の招集に応じる王国軍は三個師団しかおらん。国王が団長を選定する権限のある第一師団、第二師団、そんで一応この第四師団だけ。他の四個師団の団長は、それぞれエーディーン王国四大都市の長じゃからのお。各四都市の長とカロス王の仲は今のところ最悪と言ってもよい。そのせいで、王都以外の四都市を上手く支配できんことに業を煮やしたカロス王が講じようとしておる一手がなんと——南の超大国〈アウレア帝国〉への宣戦布告じゃ。王はかの国を打ち負かすことで、己が絶大な権威を得たと主張したいのじゃろう」
「は? 権威なぞのためだけに、アウレア帝国に宣戦布告? ……驚きが一周回って、感心を覚えそうです。カロス王は正気ですか?」
イルダナは思いがけず、驚愕と呆れの混じった声を上げた。
アウレア帝国とは、ラナリエン大陸最大の軍事国家及び侵略国家である。先の大陸大戦では、最も多くの国々を滅ぼし、大陸全土を蹂躙した列強国の筆頭。
(あのアウレアと戦をしようなぞ……自殺行為極まりない)
イルダナは、かつて数年ほど滞在したことがあるかの国を思い出して、全身から血の気が引いていく思いがした。
「イルダナの言う通り、正気とは思えんよなあ。だが、カロス王は己が手にしているという〈アイティナラント・ルグ〉さえあれば、アウレア帝国に勝てると強く思い込んどるようだ。あのお人は十年前までは外にも出られんほどの病弱体質で、大陸大戦中もほとんど辺境の城に籠っとったゆえか、少しばかり世間知らずなところもあるからのお。エーディーン王国内が一枚岩にすら成れておらんというのに……強大な軍事力だけでなく、かの国が誇る大陸最悪の生物兵器、〈奴隷王〉と〈太陽奴隷〉という怪物たちを擁するアウレアに、敵うはずもない」
「奴隷王」と「太陽奴隷」——かつて大陸中を震撼させた、アウレアが誇る国滅ぼしの奴隷将軍二人。
この二つの単語を耳にしたイルダナは、密かに唇を嚙んで、顔を蒼白くさせた。
それに気が付いたのであろうカシュガルが、珍しく神妙な顔をして「大丈夫か。イルダナ」と声をかけてくる。イルダナはそれに「ええ、何ともありません。続けてください」と短く答えて、ナーザに続きを促した。
ナーザが頷いて、再び地図を指し示しながら語り始める。
「そんで、だ。カロス王がこのままアウレア帝国に宣戦布告をしてしまえば、十中八九、好戦的な西の超大国〈魔喰のフランベルジュ王国〉も動き出すはず。そうなれば、北、南、西の超大国三国が衝突し、第二次大陸大戦勃発、というわけじゃの。しかも既に、カロス王はアウレア帝国との開戦を見据え、国境へと第一師団の全軍と第二師団の過半数以上の軍勢を配備しとる」
地図上にある、エーディーン王国の国境線をナーザが指でなぞる。そこから視線を外して顔を上げたイルダナは、小さく息を吐いた。
「成程。だいたいの現況は把握しました。国境へ既に軍が配備されているということは、我々に残された時間は少ないこと。しかし、これは絶好の好機とも捉えられますね——国境に、カロス王の配下である第一師団と第二師団が集中している今、カロス王がおられる〈アナム心臓城〉の守りは手薄だと」
そう言ってイルダナはナーザに顔を向ける。するとナーザは、にやりと悪戯っ子の如く笑って、深く頷いた。
「流石。その通りじゃ、イルダナ。しかもカロス王は、何やら〈アイティナラント・ルグ〉を使うのにもたついておるようでの。宣戦布告も引き延ばしておる。この隙に、我々は今や薄氷にしか守られておらんカロス王を直接叩き、〈アイティナラント・ルグ〉とやらを奪取するつもりじゃ。だが、まずは〈アナム心臓城〉に忍び込み、カロス王陣営についてもっと詳細な情報収集をしようと思うておる。情報戦こそが、戦の勝敗を分けるゆえ。カロス王が無敵の兵器だと豪語しとる〈アイティナラント・ルグ〉の正体も未だ掴めておらんからな」
あらかた語りたいことは語り終えられたのか、ナーザは地図を見るために上げていた腰を下ろして、元の席に着く。イルダナはナーザが語る大まかな作戦内容に納得して、ナーザへと小さく頷いた。
「今の作戦に、私も異論は特にありません。しかし、一つ確認しておきたいことが。現在、カロス王の守りが手薄なのはわかるのですが、それでもやはり、あちらにはそれなりの戦力があります。スレンさんという、手練れの兵もいらっしゃいますし。それに対抗できる、ナーザ殿下擁する第四師団の戦力はどれくらいのものなのでしょうか」
「ん? そんなもん、今一目見ればわかるじゃろ」
「は?」
ナーザの意味不明な答えに、イルダナは怪訝な声を上げると共に首を傾げる。
ナーザは何やら、イルダナ、ハルミカ、カシュガルの順に指をさしていって、最後に自分自身を親指で指し示すと、にかりと笑った。
「第四師団の全戦力は、この四人! いやあ、心強い面子が集まって喜ばしい限りじゃのお」
そう朗らかに笑うナーザに、イルダナは真顔のまま何度か軽く口を開閉させた後、愕然とした声音を以て、ハルミカとカシュガルの二人を交互に見やる。
「まじですか」
「ああ。まじだぞ」
「……はあ……」
カシュガルは意気揚々と肯定し、ハルミカは深いため息を吐き出したことで、同じく肯定の意を察する。
イルダナは想定外の事実を受けて、鼻から細く息を漏らしながら思わず片手で頭を抱えた。
「……作戦の粗が見えましたね。こうなれば、私以外の他の〈還し屋〉たちにも協力要請をしたいところですが……」
「ああ、イルダナ。それも勿論考えたさ。だけど、お前たち〈還し屋〉って基本的に全員が常に消息不明だろ? 草の根分けて捜しても、全然見つからないくらい。だから、お前を捜すのにも苦労したぞ」
「ですよね。すみません、私たち皆そういう性質なんです」
「でも、今回は楽な方だったよ。見世物の梟の忌み仔が目を晒さないって噂を聞いて、すぐにイルダナだとわかったからな!」
「ああ。それは全面的にアランロドのカスのせいで……」
そこまで言いかけて、イルダナはふと伏せていた目を上げ、カシュガルへと首を傾げて見せる。
「カシュガル。私のその噂とやらは、どこで知ったのですか?」
「ん? それについては、わたしがいつも贔屓にしている情報屋がいてな。その情報屋が自分から、『梟の忌み仔の見世物の噂』を売り込みに来たんだ。本当にちょうどいい時に情報を買えて、運が良かったよ」
「……そうでしたか」
カシュガルがイルダナの情報を掴んだ経緯を聞いて、イルダナは何となく妙な感覚に陥った。
カシュガルが〈還し屋〉を捜しているちょうどその時に、カシュガルが常日頃から贔屓にしている情報屋がイルダナの情報を自ら売り込んでくるなど——どうにも、出来過ぎな経緯のように思える。無論、カシュガルが噓を吐いているということはあり得ないが。
何だか胸に引っかかるような違和感を覚えつつも、イルダナは再びナーザへと顔を向ける。
「それにしてもまさか、第四師団がここまでの少数精鋭とは思ってもみませんでした。ナーザ殿下、あなたが〈還し屋〉を即戦力として頼りにしていらっしゃるのであれば、私は謝らねばなりません。私は武器すら持つことができない、世界一の怖がりですので、到底戦力とはならないでしょう。依頼を請けたのが他の〈還し屋〉であったならば、また大きく違ってきたのだと思いますが……申し訳ありません」
イルダナがナーザに深く頭を下げるのと同時に、ハルミカが何か言いたげな様子で眉を顰め、口を開閉させていたが、すぐに固く唇を引き結ぶのが視界の端に見えた。
頭を下げるイルダナに、すぐさま「顔をあげてくれ、イルダナ。それと、謝るのも大きな見当違い。そんなもん、いらん」とナーザの声が降ってきて、イルダナはゆるりと顔を上げる。
すると、自信に満ち溢れた微笑みをたたえるナーザの強い眼差しと、目が合った。
「一目見て、俺はお前を気に入った。イルダナ、お前はいい目をしておる。お前のその〈梟の目〉は、今まで幾度となく逆境を己のものとして利用し、むしろ楽しんできたような者の目──それは、類稀なる傑物の目じゃ。俺はずっと、そのような傑物を捜しておった」
ナーザが更に艶やかな笑みを深めて身を乗り出すと、イルダナに義手ではない左手を差し出してくる。
「俺の国盗り仲間となる〈還し屋〉が、お前で良かった。お前しかおらん。これからは、よろしく頼むぞ」
イルダナは、久方ぶりに見えた「王者」の風格と、その王たる者の人誑しっぷりに、いつもの真顔は崩れぬまま苦笑の混じった吐息を漏らすと、差し出された手を軽く握った。
「これで、随分と一抜けしづらくなりました。遣り手ですね、ナーザ殿下は」
「ハッハッハ! これでも、国盗りを目論んどる王子じゃからなあ。まあ、戦力については安心せい。数は確かに今は多勢に無勢だが、伝手は確かにある。それに何より、うちにはスレン姫にも劣らぬ女傑がおるからな!」
「のお! カシュガル」と再び席に着いたナーザがカシュガルに笑顔を向ければ、目を伏せて静かに微笑んでいたカシュガルが打って変わって、獰猛な笑みを浮かべて頷いた。
「そうだ、イルダナ。お前は戦わなくても全く問題ない。むしろ、ナーザ殿下が窮地に陥ってもほっぽらかしておいていいぞ」
「おーおー、相変わらず俺には手厳しいのお。カシュガルは」
「わたしがナーザ殿下の副官だからな。厳しくして当然だ。それに、ナーザ殿下のことは誰よりもわたしが信頼している。だから、ナーザ殿下のことは特に心配していないが。お前たち皆に、これだけは伝えておく」
カシュガルがイルダナたち三人を見回して、少女の如く眩しく笑った。
「死にそうになったら、すぐさまわたしを呼べ。何があろうと、何を殺してでもお前たちのもとへ駆けつける。ナーザ殿下はついでだけど」
「おォ、もうやめとけカシュガル。それ以上カッコつけられたら、惚れちまうじゃろうが」
「ナーザ殿下はついでと言っただろ。勝手に惚れるな」
ナーザとカシュガル、主従二人の頼もしい宣言に、イルダナは「似た者同士の主従ですね」と内心で思いながら、無意識にほっと息を吐く。そこにふと、すぐ隣にいるハルミカが、顔はこちらに向けぬままではあるが、淡々と独り言ちるように話しかけてきた。
「ナーザの言う伝手というのは、我らの大叔母——グラチア一派のことだ」
イルダナはハルミカの「グラチア一派」という言葉に、微かに目を瞠る。
ハルミカたちの大叔母にあたる「グラチア」という人物は、カロス王の姉であり、先々代国王を支えた敏腕宰相の才媛である。グラチアは現在、辺境の城に隠居していると聞くが、宰相時代に築き上げた人脈は相当のものらしく、彼女の城には文官や軍人を問わず、様々な優秀な人材が集っているという。
才媛グラチアが率いる一派は、確かに味方に付いてくれれば大きな後ろ盾となるだろう。しかし、グラチアは非常に気難しい人物で、王族であろうとも、滅多に己の城に余所者を入れることはないと云われている。そんな人物を、どうやら既にナーザは口説き落としていたらしい。
イルダナは素直に感心して、ハルミカへと顔を向けた。
「そんな大物を密かに後ろ盾にしていらっしゃったとは。ナーザ殿下はやはり、相当の遣り手ですね。流石です——って、何ですか。その顔」
「……」
イルダナを見下ろしてくるハルミカの眉間には、まるで切れ込みでも入っているかのような深い皺が刻まれており、凄まじい形相だ。
イルダナは思わず身体を微かに仰け反らせると、ハルミカは重い沈黙を置いた後に「貴様は……戦えぬと言っていたが……」と何か言いかけるが、すぐに口を噤んで、イルダナから顔を背けてしまう。
「ちょっと。何なんです、いったい。言いたいことがあるのでしたら、はっきり言ってくださいませんか?」
「……」
イルダナがハルミカの顔を覗き込んで問いただすが、とうとうハルミカは顔を背け続けたまま、だんまりを決め込んでしまった。
イルダナはハルミカの口を割るのを諦めて、再びナーザとカシュガルの方に目を向けると、ナーザが小首を傾げてイルダナへと尋ねてくる。
「さっそくじゃがイルダナ。さっきも言った通り、まずお前にはカロス王陣営の情報収集を頼みたい。隠密であの鉄壁の城、〈アナム心臓城〉に忍び込み、たーんまりと機密情報を盗んだうえで、無事に城から脱出するという至難の業を達成してもらうことになるが……やれるか?」
ナーザの問いかけに、イルダナは二つ返事で答える。
「できます。〈アイティナラント・ルグ〉以外にも、知っておきたい情報はごまんとあるでしょう。それらも無論、全て盗んで参りますので。詳細を教えてください」
「流石は還し屋じゃ。頼りになるのお」
その後、イルダナたちは一日をかけて綿密に〈アナム心臓城〉潜入における作戦を立て、イルダナが第四師団基地を訪れて三日後の日に、作戦を決行する運びとなったのだった。




