第五話
西洋から伝わったとされる歯ブラシで歯を磨きながら、宿屋前で祥介は朝日を見る。
穏やかに伸びをしてから、寝惚けて目を擦る。
宿屋前の道路は綺麗になっていた。一晩のうちに誰かが片付けたのだろう。
あの忍者がやってきた時点で、一葉はどこかの観測ラインに入ったと思っていい。そしてそいつは静かに日常に紛れ込んでいる。
まぁ、暴れすぎた因果応報だなと、吐き捨てるように泡とともにつばを吐く。
そんな時、こそりと祥介の脇を抜ける、着物の少女が一名。銀色の髪を揺らして、隠れるように出ていく。
「おはよう、一葉」
声をかけると、少女──一葉は肩を跳ね上がらせる。
観念したように肩を落として、彼女はこちらに振り向いた。青い瞳はどこかバツが悪そうに揺れている。
「その着物どうした?」
「……静江さんがくれました。私の衣装は血だらけだったから洗濯したって」
「そうか。まぁ、あんなので真っ昼間から歩いてたら目立って仕方ないしな」
笑いながら言うと、彼女の肩がまたピクリと動く。
「もしかして、そんなバカなことしてないよね?」
彼女の表情が険しくなっていく。それと同時に、顔を背けていった。
やっぱりかと、祥介は視線を外す。どうやら重吉郎は彼女に基本のきも教えていなかったらしい。彼女の技術はすべて見様見真似の模倣だ。
──親心だな。
その甘さのせいで、今一葉がピンチになっていては意味がない。
それにしてもと、一葉を見直した。
模倣だけで岡引たちを殺す技術と度胸。憎しみが先行していたとしても、ただの小娘にしてはかなり上出来だ。
天性なんだろうと、結論をつける。
だからこそ、重吉郎は彼女に何も教えなかったとまで言える。
「それで、今日も刀狩りをするのかい」
「ちょ、直球で言わないで」
彼女は軽薄な祥介の言葉に驚いて、周囲に人がいないことを慌てて確認していた。
逆に祥介は何を今さらと冷ややかに思う。
バレたくなければ、もっと慎重にやるべきだ。岡引を殺した件もそうだが、公的機関の人間を斬り捨てるということはそれほど目立つという覚悟を持たなければならない。
彼女に足りないのは、そこら辺の覚悟だ。
本当にバレないようにやる人間は、日常の中に平気な面をして紛れ込んでいる。
「それならお供するけど、一緒に行っていいかな? あ、もちろん拒否権はないよ」
「……勝手にすればいい」
歯ブラシを放り捨てて、袖に手を通した。笑顔を見せて「それじゃあ行こうか」と促す。
歩き出した祥介の背中に、静江の「ポイ捨て禁止」という言葉がぶつかったが、全力で無視をする。
※※※※※※※※※※
町人は楽しく過ごす。いくら汚れていようとも土台の上に立つ人間たちは、心の持ちようで綺麗なまま一生を終える。
子どもは笑い、カップルは惹かれ、お年寄りは風景を愛でる。深淵を覗くことのないものは、一生を幸せで終われることができる。
果たして、祥介は幸せでいられるだろうか。
団子屋から買った三色団子を、一本一葉に手渡す。彼女は遠慮するように手を引っ込めかけたが、押し付けるようにして渡した。
赤い布が敷かれたベンチに座り、祥介は息をついた。隣の一葉は小さな口で団子を頬張る。
「にしても、本当よく一人でやれてたよね」
「……盗賊とか悪徳商人とかそれっぽい人を襲えば巡り会えるかと思ってたから」
「そしたら自分の顔が知られるようになって、証拠隠滅するために次は奉行所を襲ったと。笑い話だね」
祥介の薄っぺらい笑みが相当堪えたのか、彼女は食べかけの団子を肩を落としながら見つめていた。
まぁ、彼女の行動はあながち間違いではない。腐敗はそこに付け入る隙を与えて広がり、そして末端まで及ぶ。
末端を叩き続けた彼女が指名手配されたこと。それは、彼女の刃が届きうると判断されたからだ。
方法が間違っていただけで、一葉自身の理屈は合っている。皮肉なことだが。
「まぁ、他人事ではないからね。僕も手伝ってあげるよ」
「……何かあてはあるの?」
「あるわけないさ。僕はただの落ちこぼれた浪人だよ?」
薄ら笑いを浮かべる祥介の顔を、一葉は半眼で見つめていた。
その表情は、どの口が私に説教してるのかとでも言いたげだ。
「ま、少なくとも君よりは経験豊富さ」
「……本当に大丈夫?」
「僕の心配より君の心配をしたらどうかな? 手配書が出ている以上、いつ命が狙われるか分からない立場なんだから」
その言葉に、一葉はまた顔を俯かせた。団子の串を持っている手が固く握られる。
その反応を見て、自覚があるならまだマシだなと結論づける。真に危ないのは、気づかずに線を越える人間なのだから。




