四十五話 四十四日目③
草花の色が空気に滲んでいくような、穏やかな光が漂う中、
「本当にここでいいの?」
島主が、深刻そうな面持ちで言った。
「はい。きっとスプリさんも喜びます」
日月花の丘を眼下に望む高台。
木々と断崖に阻まれたここなら、静かに眠れるはずだ。
「本当にいいのね……?」
念を押す島主が、少し不可解だった。
フィユル島に部外者の墓を建てることも了承してくれたのも、人目につかないこの場所を教えてくれたのも、他ならぬ彼女だったから。
なんで今更。
そう思いながらもう一度頷くと、「そう」と伏し目がちに答えた。
「マル。ちょっと待っててね」
マルを傍に降ろして、カバンからスコップを手に取る。
崖からある程度距離を置いた場所に穴を掘る。
子供が宝物を隠す時のような、小さな穴。
そこに、十年前にスプリさんから貰った葉っぱのアップリケと翠玉の指輪、龍の牙で作った短剣を埋める。
ここが、スプリさんの墓だ。
墓標は建てない。
これでいい。
彼女の墓の前で跪き、祈る。
祈りの言葉は無い。
これでいい。
「マル。ここの場所は覚えておいてね? たまに会いに来てほしいから」
「ンゥ~」
柔らかな感触を確かめるように、抱いた。
抱きながら、地面を一緒に見る。
今朝、僕はスプリさんの亡骸を燃やした。
全ての魔力をつぎ込んで、灰も残さなかった。
スプリさんから奪い続けたこの世界に、彼女を残したくなかったのだ。
彼女の一部でもここに残っていたら、また奪われるんじゃないかと思ったから。
彼女の亡骸は、マルにも見せなかった。
温かい彼女だけを覚えていて欲しかったから。
マルを地面に降ろしてから、島主に歩み寄る。
「終わったの?」
島主が、そう言った。
「はい。全部終わりました」
全部。
自分で言った言葉に、少し感傷的になった。
島主は飲み込むように何度も小さく頷いて、じっとりとした間を置いてから、何か言おうとして、言わなかった。
だから、僕から言うことにした。
「マルのことを宜しくお願いします」
「マウントホークは、二日以内には貴方の元に向かうようにします」
「七日間、ありがとうございました」
深く、頭を下げた。
言った日数よりもずっと昔の分まで、感謝を込めて。
「じゃあ、僕は行きます」
何やら言いたげな島主の言葉を押し込むように、最後の挨拶をする。
振り返ることなく、歩きだす。
「ンゥ~ン!」
背中から聞こえる鳴き声に、胸がじくじくと痛むのを感じた。
悲壮感を帯びたマルの声。
「ンゥ~ン!ンゥ~ン!」
次第に遠く、小さくなっていく。
ごめんね。
そう念じながら、決して振り向くことはない。
君にはここで、新しい家族を見つけてほしいから。
「待って」
林に踏み入ろうとした時に、島主の声がした。
「……どうしましたか?」
少しだけ迷って、背を向けたまま応える。
「やっぱり、マルちゃんは連れて帰りなさい」
「どうしてですか?」
話が違う。
そう思って、少し苛立った。
「宿の手配と結婚式の準備。それからマルを島に迎え入れてもらうことが、マウントホークを譲る条件だったはずです」
言葉が尖らないように、淡々とした口調を心掛けた。
「ええそうね」
「一度了承していただいた以上、反故にされるわけにはいきません」
「そうかしら?」
「そうです。貴方への恩義はもちろん感じておりますが、こればかりは断固としてお断りします」
「そう。でも、ダメよ」
さも当然のような口ぶりに腹が立って、島主の方を振り返る。
「どうしてですか!?」
言葉を荒げ、睨みつけた。
すると、冷淡な視線を返す島主が、
「マルちゃんは元いた場所に返すべき。そう思ったからよ」
「なんで今更そんなことを……」
「仕方ないじゃない。この目で見て、そう思ったの」
思い通りにいかなくて、憤る。
マルのことを思って、考えた結果、ここがいいと結論づけたのに。
ふと、視線を落とした時。
「ンゥ~」
マルが僕を見上げていた。
毛に土がたくさんついていて、転がってきたんだなと思った。
「そのほうがいいか?マル」
「ンゥ~ォ」
抱えあげると、恍惚とした表情を浮かべながら喉を鳴らす。
頬の辺りの毛が濡れていて、思わず抱きしめる。
「マウントホークも、すぐにじゃなくていいわ。ちゃんとマルちゃんとお別れして、それからまたここに、貴方が連れてきなさい」
貴方が。
その部分に力を入れた言い方だった。
まるで僕の考えを見透かしているように思えて、黙って頷いた。
僕とマルは帰路につく。
島主が手配してくれた魔動船は帆船が一日半かけた道程を半日で終え、夜のユリシア港に着く。
スプリさんと見た夜の海を一瞥。
『明日は何するの?』
まろやかに明るい彼女の声が、頭の中に滲む。
それをかき消すように、寄せる波の音が聞こえた。
町の中は、こないだと少しも変わらない活気に溢れていた。
煩いと思って、逃げるように足を速める。
「あ……」
自然と左手を握りしめたことに気付き、足を止めた。
僕を温めてくれる華奢な手も、僕よりも小さな歩幅も、もうこの世界には無いのに。
思いがぐるぐると巡る。
彼女と見た景色がある度に、孤独が蛆のように湧いてくる。
振り切るように、喧騒の中を走った。
走って走って、町の外に出て、指笛を三回鳴らす。
大鷹に乗って、夜空に飛ぶ。
月も星も見えない夜だった。
どこまでも暗黒が蔓延る世界の中で風切り音が僕の鼓膜を激しく揺らす。
大鷹の翼の先が白いから、手のように見えた。
真っ暗な何もない場所で、何かを掴もうとしているように見えた。
「ここには何もないよ」
僕の呟きは、風の中に消えた。




