四十一話 三十九日②
穏やかな陽気が花々を優しく照らし、そよぐ柔風が花弁に遠くの空を見せる。
鳥や虫の息遣いが心地よい昼下がり。
楽な恰好に着替えた僕達は、花の丘でピクニックを始めた。
パンと彼女が作ってくれた赤いジャムをバスケットから取り出して、お互いのパンにジャムを塗る。
「甘くて美味しいです」
「ね!」
スプリさんと一緒にいると、何を食べたって美味しい。
それなのに、スプリさんが早起きして作ってくれたものだって考えると、これが世界で一番美味しいんじゃないかと思えてくる。
「マルちゃん、ちょうちょは食べちゃダメだよ?」
「ンゥ~」
花の匂い確認を続けていたマルの鼻に小さな蝶が止まっている。
マルは気になってはいるようだが、どうするということはないらしく、じっとしている。
「はい。ちゃんとマルちゃんの分も作ってあるよぉ」
「ンゥ~ン」
スプリさんがバスケットから蒸鶏を取り出して肉をほぐすと緩慢な足取りで近づいてきて、蝶を鼻に乗せたまま食べ始めた。
「器用だねぇ」
「器用っていうのかなぁ?」
「どうだろ? 分かんない!」
なんでもないことを話しているだけなのに、可笑しくて笑ってしまう。
しばらく他愛もない話をしていると、マルについていた二種の花びらを眺めながら、スプリさんが言った。
「ほんとにグラフトくんの言ってた通りのお花だねぇ」
「そうでしょう? でもあの時はスプリさんが小っちゃかったから、まだ教えてないことがあるんです」
「そうなの?」
彼女は僕を覗き込むように首を傾けて、にやりと笑った。
「はい。日月花っていうのは、ヒノハナっていう昼に咲く赤桃色の花と、ツキノハナっていう夜に咲く淡黄色の花がお互いを支え合うように咲いている状態のことなんです。元々ヒノハナもツキノハナも一日で枯れる花なのに、この状態だと数十日も枯れずにいられるんですよ」
昔見た植物の本の受け売り。
あの頃はスプリさんを笑顔に出来そうなものを手当たり次第調べ回ってた。
今はこうして、その中の一つを笑顔の彼女と一緒に眺められている。
「なんでずうっと咲けるようになったの?」
「ヒノハナは夜が苦手、ツキノハナは昼が苦手で、咲いたらその日のうちに倒れちゃってたんですけど、二つの花が隣合えば、お互いが得意な時間帯の時に倒れないよう踏ん張ることが出来るんです」
スプリさんはなるほどと頷いて、赤桃色の花弁を手のひらに乗せる。
「じゃあ今はヒノハナが頑張ってるってことだね」
花弁を慈しむようなまなざしで言った。
「その通りです。太陽が出ているウチはヒノハナが、月が出ているうちはツキノハナが、倒れそうなもう片方の花を支えてるんです。そうやって、お互いの見れなかった次の朝の太陽を、次の夜の月を、一緒に眺めることが出来るんです」
「わたしたちみたいだね」
彼女の耳を少しだけ赤い。
「ちょっとツキノハナのほうが、よっかかりすぎだけどね」
照れくさそうに笑って、そう付け足した。
「そんなことないですよ。ヒノハナなんか十年もツキノハナによっかかってたんですから」
「そんなこと言ったら、私なんかもう何百年も……あ」
「私、って言っちゃいましたね?」
言葉でくすぐりあうような、そんな掛け合いが楽しい。
二人でニコニコしあって、手を繋ぐ。
「でも、夫婦ってそういうものなんだと思うんです。辛い時やしんどい時、それを乗り越える時。楽しい時や嬉しい時、悲しくなっちゃう時。色んな時間が人生にはあって、倒れそうになることはたくさんあって。そういう時を二人で過ごして、支え合いながら前に進むんです」
スプリさんが僕に生きる理由をくれたように。
スプリさんを笑顔に出来たように。
「よっかかりすぎちゃってもいいんです。お互いよっかかりすぎたり、過ぎなかったりしながら前に進もうとして、横によれちゃったり戻っちゃったりもすると思います。でも、そうやって自分達しか歩かない道を歩んでいければ、終わった時に楽しかったね、って二人だけで言いあえるような、そんな人生が送れるんだと思うんです」
僕とスプリさんの人生が触れ合ったのは、出会いを合わせてほんの四十日。
でも僕にとっては十八分の十年で、彼女にとっては五百年。
僕達だけしか紡げない、たった二人だけの、一生分の四十日。
「もちろんマルも一緒だぞ?」
ごはんに夢中のマルが、不思議そうにこちらを見上げている。
「な?」
「ンゥ~」
ちょっと浸りすぎたかな?
言い終えてすぐ少し不安になって、スプリさんの様子をちらり。
すると、僕が映りそうなほど大きな涙の粒を瞼にこしらえて、じっとこちらを見つめていた。
今にもそれが零れそうで、息遣いに合わせて揺れている。
「ぐらふとくん……ぎゅーして?」
震えた声を出した時、ポロポロと落ちていく。
彼女を上から包み込むように抱きしめた。
何も言わず、ただ互いの実在を確かめるように抱きしめあった。
この温もりが生涯を温められるように。
この想いが忘れられない記憶になるように。
スプリさんの五百年に、僕の一生分の愛を込めて。
「スプリさん! 新婚旅行はまだ中盤! これからバシバシ楽しみますよ!」
気を取り直し、全身で笑顔を作る。
「……そうだね! うん! 楽しむぞ~!」
彼女も涙を吹き飛ばすような笑顔を向けてくれた。
まだ時間はある。
余すことなんてないように、目いっぱい幸せを贈ろう。
今日の予定を話し合いながら、ピクニックを楽しんだ。
夕暮れまで探検して、小屋に帰ってきた頃には月が出ていた。
今日もスプリさんが夕飯を作ってくれて、お風呂も家族全員で入った。
「風と炎よ。暖かなる風となりてそよぎたまえ」
「ニャアア!」
「こら逃げちゃダメだろ……っておっそいね?」
緩慢な動きで逃げ惑うずぶぬれのマルを乾かしながら、居間でスプリさんが風呂から上がるのを待つ。
本当は最後まで一緒に入りたいけれど、マルがのぼせないようにしないといけない。
「ンゥ~」
一応逃げているように見えたマルだが、ころんとお腹を向けて恍惚としはじめた。
「もう慣れたの?」
「ンゥ~オ」
順応性が高いというか、なんというか。
不思議な生き物だ。
「おまたせ~!」
そうこうしているうちに、ぽかぽかのスプリさんが風呂場から戻ってきた。
濡れた髪をタオルで挟みながらベッドに腰かける。
「ちょっと待っててくださいね?」
「うん! マルちゃん大人しくなってるね?」
「そうなんです。昨日はあんなに嫌がってたのに」
タオルを投げたスプリさんがぴょんと飛んできて、
「賢いねぇマルちゃん!」
「フゥ~ン」
マルと顔を見合わせ、うんうんと頷いている。
マルがふんわりまんまるの姿に戻ると、次はスプリさん。
彼女が魔法を使えば簡単に乾くけれど、マルが羨ましいらしい。
椅子に座ってもらい、
「乾かしていきますね~」
「は~い!」
足をパタパタさせる彼女の髪に、後ろから温風を当てていく。
「んふふ」
「んふふふ!」
手櫛で髪を梳かしていると、中から漏れ出るように笑うスプリさん。
それがなんだか可笑しくて、
「んはははっ! ……もう!それなんなんですかぁ?」
「くしゅぐったいの!んふふふふ!」
「……じゃあこれは?」
頭皮を揉むと、
「んひひひひっ!」
聞いたことのない笑い声を出しながら、びくびくと身体が跳ねまわる。
「……これはどうでしょう?」
「んふふひ! もうだめっ! くしゅぐったいよぉ!」
たくさんじゃれあいながら、寝るまでの時間を過ごした。
「そろそろ寝ますか?」
「う~ん。次の日も早い?」
ベッドに並んで腰かけると、一日の終わりを実感する。
スプリさんはなんとなく、まだ寝たくないみたいだ。
「まあ決まった予定で動かなくてもいいですし、夜更かししましょっか!」
そう言うと、彼女の顔が晴れ渡る。
「うんっ! ごろんしながらおはなししよ!」
ベッドに横になり、向かい合う。
すると、彼女が目を瞑る。
「お話じゃなかったでしたっけ?」
少しイジワル言ってみたりして、彼女の恥ずかしがる様子を思い描く。
でも今夜の彼女は強いらしく、涼やかな顔をしている。
透き通るような肌は少しだけ桃色を帯びていて、神秘的なほどの美貌を愛らしくしている。
顔にかかった髪の毛を指先で避け、唇を合わせる。
じんわりと優しい熱が広がって、キスをするたびに笑ってしまう。
嬉しくて、恥ずかしくて、何度しても慣れはしない。
「……スプリさん?」
慌てて、呼吸を確認する。
口元に手を添えると、穏やかな吐息に指先が濡れる。
続けざまに胸に耳を当てて、心音を聞く。
彼女のゆっくりとした脈拍がしてくれていた。
――生きてる!
ようやく呼吸を取り戻した僕は、肩で息をしながら安堵に耽る。
勘違いで良かった。
ただ寝ているだけだった。
急だったものだから、つい慌ててしまった。
「よかった……よがっだぁ……!」
恐怖が過ぎ去って、安堵が涙になって溢れ出る。
まだ数日はある。
あるに決まってる。
だってスプリさんはあんなに元気なんだから。
一瞬のことだったのに、背中に汗が伝う。
「着替えよう……」
やっと冷静になって、立ち上がる。
――その時だった。
「――ッぐ!?」
突然首に強烈な圧迫感を覚えた刹那、身体が宙に浮かびあがる。
違う。
自分の全体重が、首に巻き付いた何かによって吊り上げられているのだ。
焦りから何度も空気を掻き、ようやく首元に手を触れる。
素材までは分からない。
でも何かをより合わせた強固な縄が、僕の首を締めあげている。
「――ッ!」
顔が破裂しそうなほど熱い。
視界が明滅して、耳も遠くなっていく。
それでも首からぎりぎりとイヤな音が鳴っているのが聞こえた。
僕は縄を引きちぎろうと、必死に指が入る隙間を探す。
でも、隙間はおろか徐々に縄と皮膚の高さが変わらなくなっていて、掴むことすら叶わない。
このままでは窒息する。
それも近いうちに。
なぜこうなっているかの原因も判断つかないまま、僕は全身を使って縄を揺さぶる。
切れろ!切れろ!
でも、縄は軋む音すら立てずに僕の首を絞め続ける。
周囲を見渡して、刃物を探す。
ダメだ。
短剣も包丁も、手の届くところにはない。
――スプリさんを起こすしかない!
「――ぅ゛ぅ゛!!!」
「――ぅ゛ァ゛ァ゛!!!」
懸命に、出せる限りの呻りを上げて、スプリさんが気付いてくれるのを願う。
「ぁ゛……!」
でも、彼女はピクリとも動かない。
――そこで、僕はようやく可能性に気付いた。
この縄は、スプリさんの走馬灯が見せた『再現』なんじゃないか?
つまり、アコニットは何らかの理由で首を吊り、自殺した、ということ。
そうとしか考えられない。
スプリさんが起きていないのがその証拠だ。
スプリさんはかつてアコニットと寝室を共にし、朝目覚めた時にアコニットの首吊死体を見た。
だから、その記憶を『再現』しようと、今アコニットであるこの僕を、首吊死体にしようとしているんだ。
「ぁ゛ァ゛――ッ!!!」
ダメに決まっている。
ここで死ねば、また彼女が傷つく。
一緒にいると約束した。
笑顔にすると決意した。
明日も明後日も明々後日も、彼女の心臓が止まる瞬間まで、隣で寄り添うと誓った。
だから、死ねない。
絶対に、絶対に、こんなことで死ぬわけにはいかない。
明日になれば、絶対にスプリさんは目を覚ます。
スプリさんは早起きするからおはようを言われるのは僕のほうだけど、絶対にその瞬間を迎えなければならない。
彼女が朝食を作りながら僕が寝ているのを少しだけ気にかけてくれて、起きたのに気付いたら「おはよう」を言ってもらう。
そんな残り少ない当たり前の日常が僕の自殺で唐突に終わりを迎えるなんて、
――そんなこと絶対にさせない。
「――ぅ」
魔力が体内を流れるイメージをして、
「――ぁ」
それを手のひらから溢れ出させる。
「――ぅぅ」
光よ。
「―――ッ!」
かの者を癒せ。
もう一回。
「――ぅ」
魔力が体内を流れるイメージをして、
「――ぁ」
それを手のひらから溢れ出させる。
「――ぅ」
光よ。
「――ッ」
かの者を癒せ。
もう一回。
もう一回。
もう一回。
もう一回……。




