三十九話 三十八日目
ユリシアを出航から一日。
昼食を食べ終えて甲板に出ると、旅の終着点を間近にとらえた。
「スプリさん!遂にきましたよ!」
「おぉ~! えっと……ふぃゆる島だっけ?」
「はい! 僕が調べた中で一番面白い島です!」
――フィユル島
ユーラ海に浮かぶ、人口百人程度の小さな島。
島独自の豊かな生態系を築いており、かつては貴重素材の宝庫として冒険者達の狩場となっていた。
でも数十年前に島を購入した資産家が多数の冒険者を雇い保護を行っていることで、今や動物達の楽園として人気の観光地だ。
「おもしろいって、どんなの?」
スプリさんが可愛らしく小首を傾げる。
「ん~……ひみつです!」
「え~!気になるよぉ」
「まあまあ。着いてからのお楽しみです」
教えて教えて、と駄々をこねるスプリさんを躱しながら、視界の中で徐々に大きくなる島を見つめた。
船は日が高いうちに島に到着。
「走ったら危ないですよ」
「大丈夫~!」
荷物を持って桟橋を渡り、『フィユル島へようこそ』と書かれたアーチをくぐる。
すると、藁葺き屋根が印象的な家屋が並ぶ素朴な村が迎えてくれる。
「アナた、『タカトビのグラフト』チャンですネ?」
原始的な服装の男が手を叩きながら現れる。
フィユルの先住民だ。
今は島主が執り行う観光業と環境保全業を支える社員であり、実は先住民風の衣装を着ているだけで、実の暮らしは全然原始的じゃなかったりする。
この男は、入島者の管理を任されている者だろう。
「はい」と答えると、その男はすぐさま踵を返し、
「『島主』サマがお待ちデス。こちらへドウゾ」
男の後ろをついていき、村を抜けて林道を進む。
木々は多種の果実を実らせて、色鮮やかな鳥が唄う。
「あっ! マルちゃんとそっくりな子がたくさんいるよ? 」
スプリさんは僕の手をぎゅっと握りながら、豊かな自然を謳歌する。
木陰で裏返る数匹のマルネコが気になったらしい。
「この島にはたくさんいるんですよ。 マルにも友達が出来るかも」
「そうなんだ!良かったねえマルちゃん!」
「ンゥ~」
マルが僕のお腹でだらしない顔で鳴く。
何を考えているのかが一切分からない。
「「「ンゥ~ン」」」
すると、木陰のマルネコ達が鳴いた。
「挨拶したみたいですね」
「えらいねぇ! よしよし」
それからしばらく林道を歩くと、開けた場所に出る。
そこに、村で見たような小さな小屋がぽつんと立っていた。
「ここデス。 中にイルとオモうので、待っててネ!」
男が小屋の扉をノックして島主の名を呼ぶ。
すると、中から大柄な女性が出てきて、こちらを見るや否や、
「もぉ~グラフトちゃん!!! いきなり手紙なんて寄越すもんだからビックリしたのよ!? 」
と、ややご立腹。
「スプリさん。マルと一緒にちょっと遊んでてもらえますか?」
「わかった! ママとあっち行こうね~」
「フゥ~ン」
スプリさんにマルを預けてから、島主に頭を下げる。
「すいません……。なにぶん急ぎだったもので。 ご無沙汰してます」
「ホントよぉ!全くもぉ!」
でも、すぐに笑顔になって、
「それにしても一年ぶりかしら? また背が伸びたんじゃない? あの頃はまだガキンチョって感じだったけど、なんだか随分大人びたわ」
「ありがとうございます。まあ色々あったんで」
彼女とは僕が十六の頃、島に巣を作ったワイバーンの駆除を依頼されてからの付き合い。
僕の『鷹飛び』という通り名も、ワイバーン駆除の依頼が届きやすいようにと彼女が広めてくれた。
僕が十八歳で冒険者として名を馳せることが出来たのは、彼女のお陰。
今回の急な新婚旅行も、彼女の存在あってこそ実現できたものだ。
「それで、あの子達が手紙に書いてあったエルフの女の子と、マルネコちゃんね?」
「はい……」
僕が肯定すると、島主は「そう……」と悲し気に頷く。
「マウントホークは島には来させていないので、ユリシア港に着いた時にまた」
「ええ。分かったわ」
島主はため息交じりに頷いた後、
「一応お願いされた通りに準備しておいたわ。とりあえず四日分の水と食糧だけ小屋の冷棚に入れてあるから、残りの分は四日後に持ってくるけどそれでいい?」
「ありがとうございます。それで大丈夫です」
「わかった。あと……」
少し溜めたあと、にやりとする。
「ちゃんと咲いているわ。ここ数年で最高じゃないかしら」
僕は胸を撫で下ろした。
「そうですか……。よかった」
「それで、いつにする?」
「明日でお願いします」
考える間もなく答えた。
島主は「だと思ったわ」と穏やかに吐き捨てて、
「それじゃあ明日の朝に来るから、今日は目いっぱい楽しんで? 何かあれば屋敷に来てくれればいいから!」
と僕の肩を叩き、その場を去って行く。
「本当にありがとうございます!」
彼女の背中に向かって、もう一度深く頭を下げた。
一つ息を入れてから、スプリさんに視線を向ける。
「こんにちは、って言うんだよ?」
「ンゥ~オ」
彼女はマルを抱え上げて、木で羽休めをする鳥を見せてあげていた。
「お待たせしました。それじゃあ一旦中に入りましょうか」
「うん!」
彼女の手をとって、小屋の中へ。
「こないだのお宿よりずっとキレイだねぇ」
「はい。それに結構広いです」
二人で住むには充分な広さの空間に、キッチン、二人用の食卓、大きめのベッドにクローゼット。
扉が二つあって、それぞれ風呂とトイレ。
年季はそれなりに入っているが、だからこそ穏やかな色合いの木材が心地よく、自然に囲まれた家らしさがある。
島主は良い場所を繕ってくれたみたいだ。
「一息いれてから探検に行きましょうか!」
「はーい!じゃあお茶入れるね!」
荷をほどき、おしゃべりをしながら探検用の装備を整える。
スプリさんは湯が沸くのを待つ間、キッチンや冷棚の食材を見ながらしきりに頷いていた。
今日の夕飯は久しぶりにスプリさんの手料理が食べられそうだ。
お茶を飲みながら一休みし、いざ出発という時。
「そうだぁ!」
とスプリさんが手を叩く。
なにやら閃いたらしい。
「どうしたんですか?」
「ふふふ。見ててね?」
そう言うと、マルを抱きあげるスプリさん。
すると、彼女が手を離しても、マルが浮いたままだった。
「ンゥ~」
マルは自分が浮いていることに気付いてもない。
「浮く魔法、ですか?」
正直、なんの為に?と思ったのだけど、彼女が得意げな顔で首を振る。
「これはねぇ……吸着魔法と浮遊魔法を基礎とした追随型自律移動魔法――ずばりマルちゃん楽々おさんぽ魔法です!」
「……ほぉ~」
あまり何を言っているか分からないけれど、とりあえず頷いてみる。
「ほら! こうやって私が動くとね? ふわふわってマルちゃんがついてくるの!」
「フゥ~ン」
飛んだりはねたり歩いたりするスプリさんの動きに合わせ、マルがゆったりと追従する。
なるほどたしかに便利な魔法だ。
マルも恍惚としているから、少なくとも嫌がってはいないだろう。
「どうグラフトくん!? すっごいでしょ~?」
それにしても、自分について回るマルを振り返っては嬉しそうにするスプリさんが、何かに似ている気がする。
なんだったか。
はしゃいでて、飛んだり跳ねたりしてて、嬉しそうな……。
そうだ。
自分の尻尾を追いかける子犬に似ているのだ。
「かわいいなぁ。スプリさんは」
「そうでし……え? 」
やや息を乱しはじめていたスプリさんが、驚いた様子でこちらに振り向く。
「スプリさんが、かわいいです」
重ねて言うと、固まったまま赤くなる。
そんなスプリさんも、
「かわいいです。すごく」
大人しくなったスプリさんの肩を優しく掴むと、彼女が潤んだ眸で見上げた後、きゅっと目を瞑る。
そんな彼女がまた可愛くて、
――胸が張り裂けそうになる。
こんなに生命力が、若さが、感情が、幸福が。
全てが満ち溢れているというのに。
スプリさんの寿命はあと数日しかないなんて。
目頭が熱くなって、思わず手に力が入る。
「グラフトくん……?」
待ちわびた彼女がまた目を開けて、心配そうに見上げていた。
「なんでもないですよ、スプリさん」
気持ちを抑え込むようにキスをして、見つめ合う。
「行きましょっか。探検」
「うん」
手を繋いで、寄り添うように歩く。
僕は空を見上げて、笑顔を作った。
悲しんでなんかいられない。
これは別れの旅行じゃなくて、幸せな日々をスプリさんに送る為のものなのだから。
スプリさんに、最高の思い出を。
全ての不幸をかき消すような、輝かしい幸福を。
泣くな。笑おう。
悲しむな。楽しもう。
「西に二足歩行のカエルがいる川があるんです」
「え~? ウソだぁ!」
「ホントですよ! 結構スタスタ歩きますよ? たしかこんなかんじで……」
「アハハハ! へんなの~!」
この日は、夜遅くまで島の西側を見て回った。
二足歩行のカエル、大きなカメ、マルネコの群れに、平たい犬。
危険の少ないフィユル島はとにかくのどかで、動物達も穏やかだった。
スプリさんは見たことのない動物に大はしゃぎ。
僕もそれが嬉しくて、つられるように大はしゃぎ。
二人で走り回って、たくさん笑って、最高に楽しかった。
もし僕達が幼少の頃に出会っていたら、こんな風に遊んでたのかな。
そんなことも考えたりして、やっぱり寂しくなって。
でもそれを吹き飛ばすくらい笑った。
暗くなった頃、二人は汗だくのクタクタで小屋に帰ってきた。
「はぁ~ふらふらだぁ~……」
「足パンパンです……」
笑い過ぎて顔も痛い。
食卓に腰かけると、二人同時に大きく息を吐き、なんだか可笑しかった。
「おなか空いたねぇ」
「そうですね。でも先にお風呂ですかね。汗でびちょびちょですもん」
「たしかにそだね。きもちわるいもんねぇ」
「それじゃあ一緒に入りましょう」
流れるように、自然に。
何も考えていないかのように。
そう見えるよう努めて、言った。
気まずい沈黙が流れないよう、続けざまにマルを抱き上げ、
「今日はマルも入るか?」
「ンゥン」
「よし。じゃあお湯を張りにいこうな」
荷物から石鹸を取り上げて、滑らかに風呂場へ向かう。
「水と炎よ――暖かなる清流を顕現せよ」
浴槽に湯を貯め、温度を見る。
ややぬるめ。
「スプリさぁん! 先に入ってますねぇ!」
扉越しに言ってから耳をそばだてるが、返事は聞こえない。
少しだけ待ってから服を脱ぎ、壁際のかごに投げ込む。
「先にお前を洗ってやろう」
「ンゥ~」
マルの身体に少しずつお湯をかけていく。
猫は水を嫌がる印象があったが、マルに関してはどこ吹く風。
気付いてすらないんじゃなかろうか、このふわふわ。
「泡立てていくぞぉ」
「フスフス」
石鹼の香りには気付いたようで、しきりに鼻を鳴らす。
全身くまなく泡だらけにして、むにゅむにゅの身体をもみほぐしていく。
「ナァ~ン」
裏返されようが、もみくちゃにされようが、まるで意に介さずといった様子。
毛が濡れたら意外と細いなんてこともなく、ずんぐりとしている。
「ははは、変な生き物だなぁお前は」
「ンゥ~ン」
一緒にいればいるほど愛おしくなる、不思議な生き物だ。
「何日も不自由でごめんな。 もうちょっとだけ我慢しててくれる?」
「ンゥ~」
「ごめんな。本当に」
詫びるように、労うように。
「本当にごめん」
身体を洗う。
すると、扉を叩く音がした。
「はーい」
思わず声が上ずってしまう。
扉が開いて、スプリさんが俯きがちに入ってきた。
何か言いたげな彼女に微笑む。
「一緒に入りましょう」
「……うん」
家族水入らず。
二人と一匹で、お風呂に入った。
ただ身体を洗いあって、流しあって、湯舟に浸かって身体を癒す。
それだけのことが、僕達にとっては非常に意味がある。
「きもちいねぇ」
狭い湯舟に向かいあい、スプリさんが穏やかな表情で言った。
憂いが無くなってくれていたらいいな、と思う。
「そうですねぇ」
心の奥の奥まで分かり合って、全部含めて好き合えたら。
それ以上幸福なことなんて、何も無い。
「なあマル? お前もそう思うだろ?」
「ンゥ~ン」
マルもそう言っている。
夜は二人で向かいあって眠った。
僕はもう泣かなかった。




