三十七話 三十六日目
目を覚ますと、先に目覚めていたらしいスプリさんと目があった。
「おはよぉ」
柔らかな言い方で、優しく微笑んでいた。
朗らかな朝日に照らされ細めた目元が優しい、本物の笑顔。
ぎこちなさはすっかり取れて、朝から暖かい気持ちになる。
でも、
「おはようございます。……その、昨日はすみませんでした」
気恥ずかしさが猛烈な速度で追い抜いて、つい目を逸らしてしまう。
すると、彼女は僕の頬を撫でながら、
「んーん。もっとあまえんぼさんしていいからねぇ」
と、いつぞやのママスプリさん復活である。
嬉しいようなちょっと違うような、むず痒い感覚を覚えながら、朝の支度をした。
この日は、昼頃までゆっくりしてから出発した。
天気も良く、海へ向かって飛ぶ形だったから、南沿岸の形や遠くの島々がよく見えた。
スプリさんは昨日とは打って変わって、空の旅を目いっぱい楽しんでくれた。
僕が言った島の名前をマルに教えてあげたり、遠くを飛ぶ赤龍に手を振ったり(気付かれたら危ないんだけど)。
移り行く景色と一緒にコロコロと表情を変える彼女が可愛くて、僕にとっても本当に楽しい旅になった。
ビーツ村跡から港町ユリシアまでは、大鷹を休ませながらでも半日かからない。
朝早く出れば日が暮れる前の町を散策出来ただろうけれど、そうしなかったのはどうしても見せたい景色があったのだ。
「スプリさん」
はしゃぎ疲れたらしく僕の胸にもたれかかる彼女を起こす。
「ん……? あ、ごめんね寝ちゃってたぁ」
とろけた声を出しながら、目をこすっている。
「見てください」
まだ寝ぼけた様子の彼女は、僕の言葉に「んぇ」と可愛い声を出しながら、それを眸に映し、
「……うわあ!」
感激の声を上げた。
空から見る、大海へ沈む太陽。
藍色の空と海、その境界だけに茜色が滲み、役目を終えた太陽が地平線の奥に隠れていく。
まるで、この世界に嵌め込まれた大きな宝石のように見えた。
僕は少しだけ景色を堪能して、すぐにスプリさんの様子を横目に見る。
風景美に酔いしれる美女でありながらも、宝物を見つけた子供のようでもある、そんな彼女らしい表情だった。
「きれいでしょ?」
「うん……! すっごいきれい!ありがとね!」
彼女は満面の笑みを見せてくれた。
僕が見せたいどんな景色よりも尊くて価値があるものだ。
「こちらこそ」
聞こえないように呟いた。
ユリシアに着いた頃には、すっかり夜になっていた。
まずは宿を取ろうと町を歩いた結果、寂れた小さな宿屋の一人部屋にしか空きが無かった。
黄ばんだベッドと、埃の被ったテーブル、誰のものとも分からない下着が入った小棚。
信じられないくらい安かったから期待はしていなかったけれど、信じられないくらい汚かった。
「やっぱり野営にしよっか?」
さすがにスプリさんを泊めたくはない、と思っていたら、
「大丈夫! こういう時のお掃除魔法だよ!」
スプリさんはなんだか漲っていて、無詠唱でいつぞやのスライムを呼び出す。
「おお……」
スライムはのそのそと部屋中を這いまわって、汚れを体内に吸着していく。
あっという間に部屋がきれいになった。
「さすが侍女さんだ」
「えっへん!」
胸を張るスプリさんが可愛さに見惚れていて、マルの毛ヅヤが良くなったことに気付いたのはしばらくしてからだった。
荷物を置いてひと段落した後、僕達は夜の町に繰り出した。
折角だから海鮮料理を食べさせてあげたいのだ。
マルも魚が好きだから、きっと喜ぶだろう。
ユリシアは港町だけあっていくつもの料理店が店を構えている。
どの店も漁港や市場での仕事を終えた漢衆が明日に備えて酒盛り中だ。
数年前に一度だけ来たことがあったけれど、その時も活気があったなぁと懐かしく思う。
「おーい!そこの若いお二人さん!」
声の出所に目を向けると、通りかかった店の窓から顔を出した男が、こちらに手を振っていた。
「ウチで食っていきなよ!」
「ネコがいるんですけど大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫!」
男は快活に笑ってからマルを指さして、
「だがテーブルにクソするのだけはやめてくれよ?」
「フゥ~ン」
マルの返事に頷くと、扉を開けて迎え入れてくれた。
中に入ると、いかにも漢達の酒場、といった雰囲気の内観であった。
至る所で酒を頼む声が飛んでいて、店員が右往左往している。
席数は二十席ほどだけど、ほとんど席が埋まっていて、客引きなんてしている場合じゃなかったのでは、と思ったが、言わないでおいた。
男に導かれるまま小さな丸テーブルに座り、マルはスプリさんの膝の上。
注文をどうしようか、と考えていた矢先、
「ちょいと待っててくれ? 美味いメシをたらふく食べさせてやるからよ!」
と、厨房へ入っていった。
どうやらおまかせ、ということらしい。
「お魚の匂いがするねぇ?」
「ンゥ~ン!」
スプリさんに撫でられながら、漂う香りにご満悦のマル。
どんな料理が出てくるかを二人で予想しながら待った。
以外にもそれほど待たず、テーブルに所狭しと料理が並んだ。
フライに焼き物、スープなど、計八品。
どれも数種の魚や貝が使われていて、一皿が大きい。
そこに遅れてきたのが、樽ジョッキに並々注がれたエール。
漁師の晩御飯はコレに限る!と言わんばかりの豪快な食卓である。
「すっごーい!いっぱいだねー!?」
「ニャー!フスフスフス!」
一人と一匹は目を輝かせている。
「食べていい!?」
「いや……その前に、ジョッキ持ってください」
今にもかぶりついてしまいそうなスプリさんを制し、ジョッキを掲げる。
「かんぱーい!」
「……か、かんぱーい!」
ジョッキを突き合せ、港町の晩餐が始まる。
どの皿も流石は港町といったところで、自分達では作れない本格的な味がした。
量が多いと思ったけれど、脂の甘味がエールとよく合って、どんどん食べれてしまう。
彼女は終始頬をとろけさせながら美味しい美味しいと呟いてくれて、僕は胸が先にいっぱいになった。
マルも、いつもの緩慢さが嘘のようにがっついていた。
「スプリさん! これ食べてみてください!」
「ん……?」
一本の串焼きを彼女の取り皿に置く。
「げげっ!? なあにこれえ!?」
白身魚のフライにご満悦だったスプリさんだが、異形な食材に目を白黒させる。
「それはですね? 海に住んでる触手――キュウバンアカニョロニョロです!」
「きゅうばなかにょ……なにそれ――っ!?」
吸盤がついた赤い触手。
ユーラ海沿岸部のみで食用される謎の生物である。
僕が調べた世界の面白生物の中でも特に珍妙な見た目をしているのだ。
「食べてみてください!美味しいですから!」
「ん~……分かった!」
彼女はそう言うと、目を瞑りながら口へ運び、一噛み。
咀嚼しながらじっくりと考えた後、
「~~!」
頬をとろけさせる。
「美味しいでしょ?」
「うん!変なのに美味しい!なんでだろね~?」
「ね~?」
想像以上の反応に内心拳を突き上げる。
彼女の笑顔が満開に咲く夕食だった。
山ほどあった料理を全て胃袋にしまい込んで、心地よい満腹感と共に店を出る。
「またきてくれよ!」
また、という男の言葉に少しだけ心をざわつかせながら、手を振り返す。
「美味しかったね!」
「そうですね。お腹もいっぱいだし、今日はぐっすり眠れそうです」
感想を言いながら通りを抜けると、浜辺が見えた。
今日は月がキレイに出てて、黒い海に光の道が出来ていた。
「うみだ!」
スプリさんは近くで見る海にも感激してくれたようだ。
「行きましょうか?」
「うん!」
飛ぶように歩くスプリさんと手を繋ぎながら、浜辺の砂を踏みしめる。
「うわぁ!やらかくて歩きにく~い!」
「ブーツ脱いで、ちょっとだけ海にもはいりましょう!」
「やったー!」
僕達はブーツを投げ捨て、パンツを膝まで上げてから、海に向かう。
「ニャアア!」
マルは海が怖いみたいで、ブーツの見守り役をしてもらうことに。
海水が足に触れるところまで近づくと、スプリさんは僕の手を握りしめたまま、恐る恐る海水に手を伸ばす。
「しょっぱーい!」
指を舐めて、可愛い顔がしわくちゃになった。
波の押し寄せる度に「つめたーい!」と笑い、波が引くと「いっちゃった……」と寂しそうにする。
コロコロと表情を変えるスプリさんが可愛くて、僕はずっと笑っていた。
マルが寂しがるといけないからと、しばらく遊んだ後は浜辺に座る。
砂の上に重ね合わせた手は濡れていたから砂まみれだ。
特に何かを話すこともなく、ただお互いの存在だけを感じながら海を眺める。
少し酒が入っているから海風が心地よくて、穏やかな波音が一日の疲れを癒してくれるようだった。
「今日もありがとね」
しばらくして、スプリさんが口を開いた。
「僕のほうこそありがとうございます。今日も本当に楽しかったです」
そう返すと、彼女が体重を預けてきた。
細やかな髪が頬を撫でて、少しだけくすぐったい。
「明日は何するの?」
「明日は朝から船に乗ります。この海を真っすぐ行って、着くのは明後日になります」
「船かー。初めてだ」
「思い出になると思いますよ。色んな意味で」
「楽しみだね」
「そうですね。楽しみです」
「じゃあ今日は早く寝なきゃなんだ?」
「はい」
「今日もぎゅーしながら寝ようね?」
「……ありがとうございます」
なんだか可笑しくて、笑ってしまう。
するとスプリさんも一緒に笑ってくれて、幸せな気持ちになる。
でも、幸せを感じる度に考えてしまう。
――この幸せには期限があるのだ、と。
怖い。
スプリさんが居なくなってしまうのが、怖い。
綺麗に見えていた夜の海が、僕からスプリさんを奪いさっていく怖いものに見えてくる。
まるで世界が僕達を引き剥がそうとしているように思えてくる。
こんなに幸せなのに、なんであと数日しか一緒に居ちゃいけないんだろう?
なんで二人で生きていけないんだろう?
なんでもっと早く生まれなかったんだろう?
彼女と寄り添う今が眩しくて、だからこそ孤独が蛆のように湧いて僕を貶める。
「ぁ……」
気付いた時には、涙が溢れ出していた。
「う゛うっ……」
堪えようとしても、無駄だった。
「グラフトくん……?」
「ごめ……なさっ……い゛……!」
拭いても拭いても乾いてくれない。
「ごめんね……?」
謝らないでと言いたいのに。
謝るのは僕のほうなのに。
嗚咽が邪魔して喋れない。
「……さび……しいね……?」
スプリさんの声も震えてて、一層悲しくなる。
「もっどいっしょに……いだいね……?」
言葉にされて、もうダメだった。
「わあああああん――!」
声を上げて泣いた。
彼女も僕を抱きしめながら、涙を流していた。
僕はこれから、毎晩泣いてしまうのだろう。
彼女が居なくなってしまうまで。




