三十六話 三十五日目②
太陽が沈みゆく中、僕とスプリさんは両親の墓の前に並んで座る。
マルは足元で裏返って久しぶりの地面を堪能していた。
「お父さん、お母さん。この人が僕の奥さんのスプリさんです」
「は、はじめまして……! しゅ……すぷりですぅ……!」
スプリさんは緊張しているらしく、落ち着きなく身体を揺らしている上に声が上ずるわ噛むわ。
三十代で死んだ僕の両親よりずっと年上だろうに、と思うと可笑しかった。
「これから二人で幸せにやっていくので、どうか見守っててください」
「み、見守っててくだしゃい!」
あまりの緊張ぶりが可愛くて、思わず吹き出してしまう。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ? 僕の両親はずっと笑ってて優しい人達でしたから」
「そ、そうなんだ……!」
「はい。だから僕と接するときみたいに、普通でいいんです」
「わ、わかった……!」
そう言いながらもガチガチな彼女を愛おしみながら、カバンから酒瓶を取り出して、墓に供える。
両手を結び、目を瞑る。
どうかスプリさんを暖かく迎えてあげてください。
祈りを終えて立ち上がろうとすると、スプリさんも同じように祈ってくれていた。
何を祈っているのだろうと思ったけど、聞かなかった。
「じゃあ行こうか」
「うん」
「マルも行くよ」
「ンゥ~オ」
マルを抱き上げて、少し離れたところまで歩く。
「このへんでいいか」
傾斜があまりなくて、適度に軟草が生えた場所。
「なにするの?」
スプリさんは、何もない場所で止まった僕が不思議らしい。
「もうすぐ暗くなるから、今日はここで野営をします」
「やえい?」
野営を知らない彼女にざっくりと説明してあげた。
スプリさんは外で料理をする、というのがすごく斬新に感じたようだ。
スプリさんに手伝ってもらいながら、今夜の拠点を設営する。
といっても、火を焚いて、その側に布団を敷くだけなのだが。
土魔法で屋根を作ってもいいのだけれど、それだと風情がない。
僕はスプリさんと旅をするのが夢だったから、野営一つでもちょっとしたこだわりがあるのだ。
「光よ。魔を退ける障壁となりて我らを守りたまえ」
魔除けの結界を張り、準備完了である。
その後は、一緒に料理を作った。
スプリさんは外での調理に少し手こずっていたけれど、いざ作ったスープを口に運ぶと、柔らかい表情をした。
二人で焚火を見ながらおしゃべりをして、ゆっくりとした時間を過ごす。
マルも炎が怖くないみたいで、焚火の側で裏返って寝ていた。
「グラフトくんはすごいね」
夜も更けた頃、スプリさんが唐突に呟いた。
「そうですかね?」
「うん。お料理も出来るし、色んなこといっぱい知ってるし。それに絵も上手だったよね?」
彼女の似顔絵を描いたことがあった。
スプリさんにとっては遠い昔の記憶のはずなのに覚えていてくれたようだ。
「全部スプリさんに好きになってもらいたくて、覚えたんです」
照れそうになるのを堪えて、攻めた。
「そ、そうなんだ……!」
彼女は炎を眺めたまま、たどたどしく言う。
「はい。なんでも器用にこなせたらカッコいいよな、とか、物知りだったら頼りたくなるかな、とか、子供の時からずうっとそんなことばっかり考えて過ごしてきたんです。今日も乗ったマウントホークも、スプリさんと空を飛びたい!と思って雛から育てたんです。まあ調教が大変でしたけどね」
何度も手をついばまれた記憶が思い起こされ、思わず苦笑いしてしまう。
「他にも何かしてたの?」
彼女は興味を持ってくれたらしく、こちらを食い入るように見つめていた。
炎の揺らぎが黒い眸に映っている。
僕は少し考えた後、
「じゃあ僕のこれまでの人生の話をしましょうか。詳しく話して無かったですし」
「うん……! 聞く!」
身体を少しほぐしてから、炎の先に過去を見据えるように話し始める。
ビーツ村での生活、ワイバーンの強襲とスプリさんとの出会い。
そして、物語はスプリさんとの別れを終えてからの場面。
「孤児院にいた子たちはみんな僕より年下で、院長もほとんどいなかったから、僕がその子達の世話をしていました。ごはんを作ったり、破れた服を縫ったり、泣いた子を慰めたり。大変でしたけど、全部スプリさんとの生活に活きたのでよかったです。でも孤児院は十歳になったら出ていかないといけなくて、仕事を探さなくちゃいけなくなったんです」
「それでどうしたの?」
「冒険者ギルドに入ったんです」
「ぼうけんしゃぎるど?」
スプリさんが小首を傾げる。
「はい。簡単に言えば、困ってる人を助ける人達の集まりです。悪い生き物を退治して、とか危ない場所の調査に行って、とか、そういうお願いがギルドに届いて、冒険者はそのお願いを叶える為に世界を旅するんです」
「危ないお仕事?」
「そうですね。確かに危ない仕事ですが、その代わりにたくさんお金がもらえるし、強くもなれる。僕にピッタリの仕事だったんです。僕は剣と魔法の訓練をしながら、たくさんの仕事をしました。貴族の家に来る泥棒を捕まえたり、大きな蜘蛛を退治したり、火山地帯に貴重な石を探しに行ったり、毎日どこかに行っていましたね」
そこまで話して、ふと自分の語り口調があまりにもしんみりとし過ぎていることに気が付いた。
スプリさんは何度も頷きながら話を聞いてくれているが、こんなことではじきに眠ってしまうかもしれない。
もっと彼女が楽しい話し方にしなければ。
そう思い立った僕は、声量を跳ね上げる。
「でも一番僕が受けていた仕事が――ワイバーンの討伐なんです!!」
「えっ!? ワイバーンってすごく強いんでしょ?」
スプリさんは目を見開いて驚く。
「そうなんです。僕の両親の仇でもある、すっごく悪い生き物です……! 僕はスプリさんに救われたあの日、スプリさんのことが大好きになったと同時にその圧倒的な強さに憧れました。いつかはスプリさんみたいにワイバーンを倒せる男になりたい! そう思い続けて七年。僕が十五歳になった時に機会が巡ってきたんです……!」
語りの流れで立ち上がった僕は、身振りを交え、情熱的に言葉を紡ぐ。
「『ワイバーンの依頼が届いてます!』ギルドの受付が開口一番に言いました。やっとこの日が来たか……! 闘争心がみるみる湧き上がり、すぐにその依頼を受けたのです。ワイバーンが目撃された場所はここよりずっと北に聳える大山――ウィーブル山。僕は二人の仲間と共に馬で駆けました。でも馬で進めるのは麓まで。僕達は岩山の厳しい環境に傷を負いながら、山頂を目指して進みました。そして入山から数日経ったある日のこと。ひとたび足を踏み外せば瞬く間に地の底へ落ちてしまうだろうか細い断崖を進んでいた時でした。消耗した僕達は足元だけに集中し、吹きすさぶ風音だけが聞こえていました。そんな時、僕の後ろを進んでいた一人が言ったのです。『おいグラフト、あれ見ろよ』と。 当然見ている場合じゃありませんから、僕は無視しようとしました。でも、繰り返し彼は言うのです。『頼むから見てくれ』と。彼の只ならない様子に、僕は彼のほうを振り返りました。すると、彼は東の空を指さしていたのです……!」
あえて間を作り、スプリさんに視線を送る。
すると、彼女はそわそわと身体を揺らしながら、
「もしかして……!」
「彼が指し示す先にいたのは、ワイバーンだったのです! 僕は絶望のあまり言葉を失いました。身動きの取れない最悪の状況で、目標と相対することとなったからです! 僕達が立ち尽くす中、ワイバーンはまるで僕達をあざけ笑うように鳴いたあと、とてつもない速度でこちらに飛んできます。僕は皆を守ろうと慌てて魔法の盾を作りましたが、ワイバーンの勢いが凄まじく、僕達は空に吹き飛ばされてしまいました!」
両手を広げ、目を瞑る。
「浮遊感の中、まるで時間が止まっているような気がしました。ワイバーンは僕達がいた断崖を踏み崩し、僕に狙いを定めています。僕はこの絶体絶命の状況を打開する魔法は何も持っていませんでした。だからワイバーンに食われるか、このまま地面に落ちるのを待つことしか出来ません。あぁ、僕は死ぬんだ。そんなことを考えました」
「――その時でした!」
刮目し、スプリさんを見つめる。
不安そうに眸を揺らす彼女の背がずいと伸びあがった。
「呼んでいないはずのマウントホークが駆けつけたのです! 彼はワイバーンの攻撃を華麗に避けながら、落下する僕達を次々と救ったのです!彼はそのまま僕達を安全地帯まで連れていきました。でも、彼の目的は僕達を救うことだけじゃありませんでした。彼の鋭いまなざしが、僕にこう訴えかけていたのです。『一緒に倒そう』と! 僕はすぐさま彼の背に乗り、ワイバーンの元へ舞い戻りました。そこから始まったワイバーンとの激戦は苛烈を極めていました。炎の息吹や獰猛な牙が絶え間なく命を脅かす中、僕達は間一髪で猛攻を躱し、討伐の好機を待ち続けます。途方もなく長い時間が過ぎ、体力が限界に近づいた頃、マウントホークがワイバーンの横をすり抜け、ついに背後を取ることに成功したのです! ここしかない! 僕は覚悟を決め、マウントホークの背中を蹴って跳躍しました! そして振り向こうとするワイバーンの首めがけ、渾身の力で剣撃を叩き込んだのです!」
「そ、それでどうなったの!?」
祈るように手を組み合わせたスプリさんが固唾を飲む。
たっぷりと時間をかけてから、
「見事ワイバーンの首を切り落とし、僕達は初のワイバーン討伐を達成したのでした!」
「わああ……!」
安堵と興奮を全身に宿したスプリさんが歓声を上げてくれた。
僕は心地よい充実感を感じながら、彼女の隣に戻る。
「そのあとはマウントホークと一緒に大陸中のワイバーンを討伐して回ったんです。ワイバーン狩りと言えば『鷹飛びのグラフト』って呼ばれるくらいには、有名になったんですよ?」
「すごーい! やっぱりグラフトくんはすごいねぇ!」
彼女の一切含みの無い誉め言葉がむず痒くて、顔が熱くなる。
口ごもっていると、
「もっと聞きたい!」
お気に召したらしいスプリさん。
それから、僕達は夜空の下でずっと語りあった。
彼女のぎこちなさはすっかりと取れて、笑いこそしなかったものの随分表情が豊かになった。
「そろそろ寝ましょっか?」
もっと話をしていたいが、色々あって彼女も疲れただろう。
名残惜しさを覚えながら立ち上がろうとすると、スプリさんが袖を掴んだ。
「どうしました?」
「んとね……その」
焚火に照らされる彼女はもにょもにょと何かを呟く。
「もうちょっとおしゃべりします?」
「う……うん」
彼女は僕を見ないまま頷いて、そのまま黙り込んでしまった。
だから何かお話してあげようと思ったけど、二人で過ごす静かな時間が心地よくて、黙ったまま焚火を眺める。
ふと、炎を見て思い出す。
村が焼けた日の、スプリさんの横顔。
僕はちらりと彼女の方に視線を送る。
彼女はゆらめく炎に心を委ねているようだった。
美しい横顔は、あの頃と全く同じだ。
でも、僕がそこに覚える感情はずっと複雑になった。
「スプリさん」
呼ぶと、彼女は身体をピクリとさせてからこちらを向く。
「なに?」
穏やかだけど、少し寂し気な表情。
愛おしくてたまらない。
「ちゅーしてもいいですか?」
「うん」
彼女はそう言って、目を閉じた。
長い睫毛がキラキラと輝いている。
僕は彼女を抱くように近づいて、僅かに触れるキスをする。
触れた瞬間に、甘さが全身にゆったりと広がっていく。
余韻が残ったまま目を開ける。
その時、
「ぁ……」
僕の口から感嘆が漏れ出した。
身体は微動だにせず、呆然と居尽くした。
僕の眸が映すものが、あまりにも心揺さぶるものだったからだ。
「ふふふっ」
スプリさんが笑っていたのだ。
目が細くなって口角も弧を描く、満面の笑顔。
まるで太陽のように輝く、本物の笑顔。
色づいた頬が可愛くて、優しさに溢れた彼女だけの笑顔。
「す、すぷりさん……!」
ずっと見たかった光景だった。
「す……ぷりっ……さん!」
十年前の誓い、景色。
抱え続けた思い、苦しみ。
スプリさんへの感情全部が急激に膨張して、涙になって溢れてくる。
「わら……っでぐれだぁ!すぷりっ……さんが……!」
止められなかった。
心が完全に制御を失って、涙が視界を遮る。
「ぼくは……っ!」
「おいで?」
スプリさんの穏やかな声がして、僕はその方に手を伸ばす。
すると、柔らかくて暖かな感触が僕を包んだ。
「ずっと……!ずっとスプリさんにわらっでほしぐで……っ!」
「うん」
「じゅうねんかん……っ! がんばっできて……!」
「うん」
「やっど……やっど! わらっでぐれで……っ!」
「う……んっ」
「よかっだぁ……! よかっだぁ……!」
「う……ん! うん……っ!」
「ぐら…ふとくん……あり、がとね……?」
スプリさんはずっと僕の話を聞いて、頷いてくれた。
彼女の胸に抱かれながら、子供のように泣いた。
スプリさんが笑ってくれたことが本当に嬉しかった。
でも、寂しさも隣にあった。
この日は、眠る時も抱きしめてもらった。
穏やかな心音が聞こえて、また少し泣いた。
まるで、残りの命を数えているように聞こえたから。




