三十五話 三十五日目
カーテンを開けると、心地よい風が頬を撫でる。
雲一つない空模様。
気温がやや高いけれど風があり、過ごしやすい天気。
旅の出発として、これ以上ない日だ。
「おはよ」
少し遅れてスプリさんが目覚める。
「おはようございますスプリさん」
眠れたからか顔色が少しだけよくなったけれど、表情に影がある。
「よしっ!今日から新婚旅行が始まるので、張り切っていきましょう!」
「う、うん」
それから、僕達は昨日買った旅装束に着替えた。
「おお……!」
普段ワンピースばかり着ているスプリさんのパンツ姿が新鮮で、思わず声が出た。
「その髪型、かわいいです」
長い髪を後ろで纏めていて、これもまた新鮮。
「あ、ありがとう」
でも、彼女の表情は晴れない。
ぎこちない笑みを浮かべるだけで、照れや恥ずかしさを見せてはくれなかった。
その後、僕達は街を出た。
大鷹の背に乗って、ルフタールから南西へ飛ぶ。
「今日はなにするの?」
マルに魚をあげながら、スプリさんが聞いてきた。
ぎこちない表情は昨日と変わらない。
「今日から二日かけてユリシア港、っていう港街に向かうんですが、その前にちょっと寄り道をしたい場所があるんです」
「よりみち?」
「はい。スプリさんに会わせたい人がいるんです」
―――
――
―
日が傾き始めた頃、
「よし。ここだ」
目的地上空に着いて、大鷹の背中を叩く。
大鷹は合図を汲み取って、緩やかに高度を落としていく。
「ここに、人がいるの?」
スプリさんは、地面を見渡しながら、信じられないといった様子。
無理も無い。
僕達の眼下には土色の丘が広がっているだけなのだから。
人影どころか建物すら見当たらず、草木がまばらに生えているだけ。
――ここがかつて村だった。
そのことを知っている人以外には、立ち寄る理由など一切見出せないだろう。
「いるんです。僕の大事な人が」
地面に降り立ち、大鷹に餌をあげた後、スプリさんを連れてなだらかな傾斜を歩く。
「ここは僕の生まれ故郷ビーツの村です」
「ここが……」
「はい。今は何も無くなっちゃってますけどね」
ワイバーンに焼かれ、僕を除いた村人全員が死んだ。
全ての家が木造だったから、ほとんどが焼け落ちて、残ったものも野盗が住みつかないようにと随分前に取り壊された。
十年経った今は、なんの変哲もない禿げた丘だ。
少し歩くと、若木を囲むように置かれた石が見える。
「お墓?」
「そうです。ワイバーンに殺された人達。僕以外のビーツの村人全員の墓です」
三年前に僕が作った墓だから、削り出した石に名前を彫っただけの簡単なもの。
そのうえ何も埋まってはいない、名ばかりの墓だ。
数十の墓の中、若木の足元に埋められた石が、
「お父さん、お母さん。久しぶり」
両親の墓。
墓前に膝をついて、声をかける。
「そのオハカ、が会わせたい人ってコト……?」
後ろで立ったままのスプリさんは、居心地が悪そうに言った。
「はい。どうしても両親にスプリさんを紹介しておきたくて」
「なんで?」
本当に意味が分かっていない、そんな言い方だった。
「なんでって、だってスプリさんは僕の奥さんなわけですから、僕の両親にとっては娘になるんです。紹介しなきゃでしょう?」
「娘、になるの?」
「そうです。僕のお父さんとお母さんは、スプリさんのお父さんとお母さんにもなるんです」
そう言うと、スプリさんは俯いたまま何かを呟いた後、
「そ、そんなのダメだよっ!」
と、声を荒げた。
「どうしたのスプリさん?なんでダメなんですか?」
「だって……だって! 娘になんかなれないよ……!」
彼女の眸がみるみる湿り気を帯びていく。
「私なんかが、なれるわけないよぉ……!」
彼女はとうとうその場にへたり込んで、泣き出してしまった。
「スプリさん!」
僕は慌てて慰めようと彼女の傍に寄る。
「なれますよ。スプリさんなら僕の両親は泣いて喜んでくれるに決まってます!」
「そんなことないもん……! ダメだもん……!」
「ダメじゃないです! 」
「ダメなの!ダメなのぉ……!」
スプリさんの様子は、まるで幼子に戻ったかのようだった。
「スプリさん。教えてください。なんでダメなんですか?」
少しでも落ち着いてくれるよう、優しく言った。
彼女は嗚咽を抑え込むように何度か大きく息を吐いてから、口を開いてくれた。
「……私ね?」
「うん」
「グラフトくんの……お嫁さんになってね?」
「うん」
「いっぱいいっぱい……しあわせだったの」
うん、と僕が頷く度に、彼女の顔がくしゃりと歪む。
「だから、見えなくても一緒にいてくれてたって分かった時、すっごくうれしくて……だから、ツラくてもがんばろうって思ったの」
「うん」
「昨日もね? お空飛んで、お買い物して、おむれつ食べて……グラフトくんが一緒にいてくれて、すごいしあわせだったの」
「うん」
「でもね……? 無いの……」
彼女の眸から涙が伝う。
「私は、グラフトくんにお返しできるものが……なにも、ないの」
彼女が悲しみを抱え、それを隠そうと努めていたことは知っている。
その悲しみの原因も目の当たりにしているから、寄り添いながら少しずつ和らげていきたいと思っていた。
この墓参りも「僕達は家族だよ」と伝えたくて、彼女の心をほぐしたいと思ったからだ。
でも、それが彼女を苦しめていたのだ。
「そんなことないです! 」
彼女の地面に転がした手がどうしようもなく寂しく見えて、強く握りしめる。
「僕はあなたが隣にいてくれるだけで、返しきれないくらいの幸せをもらってます!」
すると彼女はただ黙って首を振った。
「そもそも返す返さないの話なんだったら、僕は貴方に命を救われています! もしスプリさんが助けてくれてなかったら、僕は十年も前にここで焼き死んでたんです! 返せてないのは僕の方で――」
「私はたすけてない!」
彼女が遮るように叫んだ。
「わいばーん、なんて知らないもん!ここに来たのも初めてだもん! グラフトくんを助けたのは、未来の私だもん!」
「未来でも過去でも、貴方は貴方です! それに今の貴方だって、死のうとした僕のことを救ってくれたじゃないですか!?」
「ちがう! グラフトくんが死んじゃおうってしたのは私のせいだもん! 私はグラフトくんに何もお返しできてないのっ!」
「そんなことないですって! 僕は今も昔も、ずっと貴方からたくさんのものをもらってるんです! 僕が幸せなのがその証拠です!」
「うそだ! グラフトくんは幸せじゃない! ぜったい幸せじゃないもん!」
彼女は僕の言うことを否定してばっかりで、取り付く島もない。
理解してもらおうとしていたけれど、
「僕のどこが幸せじゃないって言うんですか!? 好きな人と一緒にいられる僕のどこが!?」
こればかりは流石に腹が立って、つい言葉を荒げてしまった。
すると彼女は表情を強張らせた後、急激に顔を歪めながら言った。
「もう、えっちでぎなくなっぢゃっだんだもん……!」
「あんまり……じかん、ないのに……っ」
「ぐらふとぐんに……もっと好きになっでもらいだがっだのに……っ」
「ぐらふどくんと……もっど仲良ししだがったのに……っ」
「だめに、なっぢゃっだの……!」
薄暮の墓場に悲痛な声が響く。
激情に駆られた自分が情けなくて、唇を噛んだ。
結婚してから、彼女は頻繁に僕を求めた。
エルフとして生まれた彼女の性質なのだろうと思って、彼女の幸せな日々を守りたくて、受け入れていた。
でも、今になって真意を知る。
僕がどれだけ彼女を愛おしく思っていても、大事にしていても、スプリさんにとって僕は、結局男なのだ。
スプリさんは僕の想いへの対価として、自分の身体を差し出していたのだ。
父親やコウヌ、彼女の周りの男達がそうであったように、男の僕にはそれが最も価値があると、そう考えて。
彼女の気持ちを思い知って、悔しさが込み上げる。
それを抑え込むように息を一ついれて、
「スプリさんは、勘違いをしています」
優しく語りかけた。
「たしかに僕は男ですから、スプリさんの裸を見たら興奮します。エッチだってしたいと思います。でも、僕がスプリさんにしてもらって一番嬉しかったことは、エッチじゃないんです」
スプリさんはすんすんと鼻を鳴らしながら、僕を見つめている。
僕はマルを地面降ろしてから、肩幅より少しだけ大きく手を広げて言った。
「抱きついてもいいですか?」
彼女は少し目を泳がせた後、小さく頷いた。
「ありがとうございます」
僕はへたりこむ彼女の胴に手を回して、耳を胸に押し当てた。
すると、とくとくとく、といつもより早い心音が聞こえてくる。
「このまま、両手でぎゅっとしてくれませんか?」
少し間が空いてから、背中に暖かい感触があった。
「こうしてもらうのが一番好きなんです。スプリさんは温かくて、いい匂いがして、心臓の音がゆっくりで、すごく落ち着くんです。昼寝の時とか、スプリさんよく抱きしめてくれて、それだけで嘘みたいに穏やかな気持ちになって、ぐっすり眠れるんです」
スプリさんは黙ったままだった。
でも、少しだけ心音が落ちついたように思えた。
「エッチが出来ないからってなんですか。抱きしめてもらったり、手を握ってくれたり、話を聞いてくれたり、そういう日常のほうが何倍も僕は嬉しいんです。スプリさんに触れるたび、話すたび、目が合うたび、僕はどんどんあなたのことが好きになるんです」
ぎゅっと彼女の腕に力が入る。
心音がまた早くなった。
「スプリさんはダメなんかじゃないです。一緒にいるだけで幸せになれる、僕の一番大事な人です。だから、僕の家族になってほしいんです」
「……ほんと?」
彼女の声が頭上から降りてきた。
躊躇いがちで、弱弱しく震えた声。
「ホントです。あなたを子供の頃から知ってる僕が言うんだから、間違いないです」
「一緒にいるの……イヤになってない?」
「イヤなわけないでしょう? このままずっと抱きしめてもらいたいくらいです」
「私なんかに家族ができていいのかな……?」
「なんか、なんて言わないでください。僕の奥さんになんてこと言うんですか?」
「しあわせになって……いいのかなぁ……?」
次々と濡れた言葉が落ちてきて、それを拾い上げていく。
でも、そのどれもが暖かさを求めているように感じて、思わず笑みをこぼす。
「なってくれるように一生懸命頑張りますから、どうか幸せになってください」
目いっぱいの暖かさを込めて、彼女の中心に向けて言葉を贈る。
でも、少ししっくりこなくて、
「いや、違うな」
姿勢を戻し、彼女の目を見て言いなおす。
「僕と幸せになりましょう」
暮日の陽光が彼女を暖かく染めている。
涙でぐじゅぐじゅの顔は生気に満ちた色をしていて、潤んだ眸がキラキラと輝いて見えた。
「……うん!」
そう言った彼女は穏やかな表情をしていた。
まだ少し硬さは残っているけれど、紛れもなく本物の彼女がそこにいた。
――おかえり。スプリさん。
心の中で呟いてから、抱きしめた。
しばらく抱きしめあっていると、
「その……ね?」
と彼女が耳元で囁く。
「ちゅーは、できるよ?」
僕の胸が飛び上がるのを感じた。
嬉しいし、したいけれど、
「親の前だから、今はちょっと……」
墓場にいたことを忘れていた。




