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三十四話 三十四日目②

 

「ニャアア!」

 スプリさんの腕の中で、マルが珍しく大声で鳴いた。

 普段の緩みきった様子は微塵もなく、キョロキョロと周囲を見渡しては助けを求めて叫ぶ。

 短い手足で懸命にしがみつき、未知なる恐怖と戦っている様子。

 

 というのも、僕達は今空の上にいる。

 正確には空を飛ぶ大鷹の上、マルを抱くスプリさんを僕が後ろから抱くようにして手綱を握る。

 

 つまりは新婚旅行に先駆けた空の旅である。

 荷物はカバンに詰められたものだけしかない。

 旅程は行きだけで五日ほどになるから、これではまるで足らない。

 というわけで、まずはルフタールに行って準備をする必要があるのだ。

 

 マルなら空だろうがマウントホークの上だろうが普段通り気ままに過ごしてくれる、なんて高を括っていたが、さすがに空は怖いらしい。


「大丈夫落ちないから! ほらマル?お魚干したやつ持ってきたよ? スプリさんあげてくれますか?」

「うん」   

 

 風切り音の中、彼女は小さく頷いて干魚を受け取る。

「フスフスフス」

 鼻の前を泳ぐ匂いに食いついたマルは、何もかも忘れたかのように味わいを堪能し、ご満悦といった様子。

 なんて気まま。

 

「スプリさん、左見てください!」

 彼女の耳に近づいて、声をかける。

 南に広がるユーラ海を指さして、

「あの島! 見えますか?」

「どこ?」  

「あの、ちょっと葉っぱみたいな形の島です」 

「……あ、見つけた。あそこがどうしたの?」

「この旅行の最後に行くフィユル島っていう場所です」

「そっ……か。うん。覚えてるね……?」 

 

 元気に答えようとしたけれどダメだった、そんな様子だ。

 顔同士が触れ合う距離間でも、言葉の大部分が風音に埋もれかけていた。

 

「他にも色々寄るんだけど、僕のイチオシスポットだから、特に楽しみにしててくださいね」


 そう言うと、

「うん。楽しみにしてるね」

 俯きがちな横顔がこちらを向いた。

 僕はそれを笑顔と認識することにして、笑顔を返す。

 

 空を駆ける間、僕は少し強めに彼女を挟んだ。

 

 ルフタールに到着した頃には日が暮れ始めていた。

 昨日の雨の影響なのか、往来が少し穏やかだ。


「ンゥ~」

 マルは僕に抱えられながら、しきりに辺りの匂いを嗅いでいる。

 家では嗅げない色んな匂いが漂っていて、興味津々なのだろう。

 地面に降ろしてやりたいけれど、踏まれでもしたら可哀そうだから、しばらく我慢してもらおう。

 

 スプリさんは、ずっと少しだけ後ろを歩いている。

 スプリさんに視線を送ると、

「どうしたの?」

 ぎこちなく笑おうとする。

 

「いや、手を繋ぎたいな、って思いまして」 

「あ、そっか。マルちゃん抱いてなきゃだもんね」


 寂しげで、虚ろで、そこにいるのに居ないような、希薄な存在に見えたから。 

 ふらっと居なくなっちゃうような気がするから。

 

「うん。だからキャリアを買いましょう。そうすればマルを抱っこしながらスプリさんと手を繋げます」

 

 そうだね、と彼女は言った。 

 まるで他人事のようだった。 

   

 長旅となれば、装備はそれなりに揃えないといけない。

 大通りを歩きながら、目ぼしい店に入って旅支度を整えていく。

 

 革製品の店で、マルを背負う為のベビーキャリーを購入。

 裏側はもちもちとしたソフトリザードの皮が使われていて、長時間でも赤ちゃんが辛くならないらしい。

 それと大容量のリュック。こちらはとにかく丈夫なものを選んだ。


 装具屋で、僕とスプリさんの装いを冒険仕様にする。

 魔物と戦うつもりは無いけれど、野営なんかもすることになるから普段着だと破れてしまう。

 僕もスプリさんも、丈夫な合革のベストと伸縮性のあるスキニーパンツ、中が蒸れないブーツを購入。

 明日これを二人で着れば、統一感があって良いはず。

 

 そのあとは野営道具や食材、水筒、石鹸、その他冒険に必要な諸々をかたっぱしから購入し、リュックに詰める。

 粗方買い終えた時にはちょうど夕食時になっていて、レストラン・リゼッタに足を運ぶ。


 混んでいるだろうと予感して扉を開けると、意外にも客入りはまばら。

 窓際の席も空いていて、これは運が良い、と思うのも束の間。

 

「あ~らいらっしゃいべっぴんさんとそこそこそれなりの……ってや~だ『鷹飛び』じゃなぁい!昨日ギルドの子たちも来てたわよたまには顔出しなさいって怒ってたわぁ!」

 ひどく快活な気配が猛烈に近づいてきた。

「どうしたのよネコなんて連れてウチは動物禁止よォ?まあいいんだけどね全然!あとでその子用になんか作ったげるわぁ丸くて可愛いから!それにしてもこないだぶりねぇ元気してた?その子と上手くいってるみたいじゃないあんまりちょっと可愛いから心配してたのよ? ねぇアンタ~? この子若い頃のアタシに似てなぁい?」

 ウエイターは旦那に大声で呼びかけながら、厨房へ入っていく。

 

「前と一緒のトコ座りましょっか?」

「あ……うん」


 座るのは窓際の席。

 食べるのはチーズオムレツ。

 前回と違うのは、足元にマルがいて、茹でた鶏肉を食べていること。

 それと、

「おいしいですね」

「……うん。おいしい」  

 彼女がうまく笑えていないこと。

 

「ンゥ~ン」

 食べ終えたマルがスプリさんの足に頬ずりして、抱っこをねだる。

 でも、彼女は気付かない。

 好きだったはずのオムレツを口に入れて、噛んで、飲み込む。

 それだけのことに一生懸命向き合おうとしているように見えた。

 

「どうしたマル? スプリさんに抱っこしてほしいのか?」

「フゥ~ン」

「……あ。ごめんねマルちゃん。おいで」

 ようやく気付いた彼女はマルを膝の上に乗せて、お腹を優しく撫でる。

「よかったなぁマルぅ~」

  

 スプリさんは今度はマルをいつまでも撫で続けた。

 少しだけ残したオムレツがどうしようもなく寂しく見えて、僕が食べた。


「スプリさん、そろそろ行きましょうか!」

「う、うん……」 

 

 店を出ると、ひんやりとした夜風が身体を撫ぜる。

「ちょっとだけ寒いですね」

「うん」

「早く宿を借りてあったまりましょう」

「うん。そだね」

 

 手を繋いで夜の道を歩いた。

 街灯の光が彼女の頭を照らすから、俯いているのがよく分かる。

 僕はほとんど話さずに、時折彼女の手をぎゅっと握る。

 今はそれだけ感じてくれたらいい、そう思った。

   

 宿は案外すぐに見つかって、その宿で一番いい風呂付の部屋を取った。

 大浴場だとスプリさんが入りづらいだろうと思ってのことで、別に内装に期待をしていたわけじゃない。

 スプリさんの「再現」があるだろうから。

 そう予想し、期待せずに扉を開ける。

「おぉ……」

 しかし予想は外れ、屋敷の寝室には流石に見劣りするもののそれなりに良い部屋だった。

 広々とした空間に二人でも余裕があるベッド、革張りのソファなど、店主のこだわりが見える。

 

 スプリさんの「再現」の法則がいまいち分からないけれど、とりあえず一安心。

 重い荷物とマルを降ろして、スプリさんに声を掛ける。

     

「スプリさん、先にお風呂入ってください」

「う、うん」  

 彼女は伏し目がちに頷いてから、風呂場へ入っていった。

 

 僕はベッドに腰かけて、床の匂いを嗅ぎまわるマルを呼ぶ。

「ンゥ~ン」

 コロコロと足元まで転がってきたマルを拾いあげ、膝に乗せる。

 

 毛づくろいを手伝ってあげながらも、僕はスプリさんのことで頭がいっぱいだった。

 

 マルが支えてくれたことで、彼女はどうにか心を保っているように見える。

 でも、痛い記憶や、悲しい思い、そういうものがずっと頭の中心にあるのだろう。

 目の前のことに集中して、気を紛らわそうとしているのが分かる。

 

 負の感情というのはしつこくて、陰湿なのだ。

 芽生えたからには宿主を簡単に逃がしたりしないし、他の色んな感情を食って大きくなっていく。

 

 今のスプリさんには、楽しいや美味しい、愛おしいなどの感情を抱える余裕なんてないのだろう。

 でも、それを感じたいと思っていて、追い求めるが、やがて負の感情が追い付いてくる。

 その繰り返し。


 僕も近い状態だったことがある。

 孤児院にいた時代、僕はどん底だった。

 ずっと村での暮らしが恋しかったから、他の子供達とも馴染めず、毎日寂しくて泣いていた。

 

 でも、僕にはスプリさんがいた。

 スプリさんからもらったアップリケに毎日強くなりたいと祈って、寂しさを力に変えて手紙を書いた。

 ずっと繰り返している内に僕は少しずつ強くなって、負の感情を克服出来たのだ。

 

 スプリさんには、それがなかったのだろう。

 だから、あんな暗い目をしてたんだ。


「ん?」 

 ふと、風呂場から聞こえる小さな異音に気付いた。

 耳を澄ますと、それはスプリさんの声


 ――嗚咽だった。


 彼女は今、泣いているようだ。

 改めて自分の身体を見て、それが紛れもない現実だと思い知って、打ちひしがれているのかもしれない。

 彼女の表情が浮かんで、自然と足が風呂場に向いた。

 

 扉の前に立つ。

 この先でスプリさんが泣いている。

 そう考えただけで今にも飛び込んでしまいそうになる。

 

 でも、ぐっと堪えて、堪えた分を気持ちに変えて、扉越しに言った。


「独りじゃないからね」


 すると、嗚咽がワッと強まるのが分かった。

 

 スプリさんは今、すごく頑張っている。

 辛くて、悲しくて、それでも向き合って戦っている。

 だから、頑張れなんて言えない。

 言っちゃいけないと思っている。


 でも、思わずにはいられない。


 一緒に頑張ろう。

 立ち向かおう。

 その上で、幸せになろう。

 

 扉の先の彼女の力になれるように、そう祈った。


 そのあと、スプリさんと入れ替わりで入浴。

 先に寝てていい、と伝えておいたのだけど、彼女はベッドに腰かけながらマルを撫でていた。


「もしかして待っててくれてたんですか?」

 僕の問いにこくりと頷く。

「ありがとね。スプリさん」

「んーん」

 泣き腫らした顔を左右に振って、力なく答える彼女。


 僕はスプリさんの横に腰かけて、マルを撫でる。

「スプリさんに撫でられてる時が一番嬉しそうだ」

「……そんなことないよ」

「いや、そんなことあるんです。な、マル?」

「ンゥ~」

 

 恍惚とした顔を見て、思わず表情が綻ぶ。

 でも、ちらりと覗くスプリさんの横顔には、微笑みに似たものが張り付いていた。


「スプリさん、今日は手を繋いで寝ませんか?」

 

 そう言うと、彼女は少し考えた後、

「ん」

 と頷いてくれた。


「ありがとうございます。じゃあ灯りを消しますよ」

「うん。おやすみ」

「おやすみなさい。スプリさん」

 

 暗闇の中、毛布の下で手を絡ませる。

 マルが僕達に挟まれるようにして眠るものだから、少しだけ暑かった。

 でも、二人とも手を離すことは無い。


 スプリさんが寝息を立て始めたのを確認してから、眠りについた。

 

    

  

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