三十三話 三十四日目
朝になると、丸太小屋の内装が変わった。
屋敷の寝室には他ならないが、明らかに劣化したのだ。
床はガラス片や砂が散らばっており、部屋の隅にはクモの巣が張ってある。
普段スプリさんが隅々まで掃除していた屋敷が、まるで廃墟のようだ。
記憶の場面が変わった、ということだろう。
ベッドの上で眠る彼女に、恐る恐る手を伸ばす。
「あ……!」
触ることが出来た。
僕はまた彼女の記憶の誰かとなって、スプリさんと同じ世界に存在しているのだ。
すると、スプリさんの目がゆっくりと開かれた。
虚ろな眸が僕を視界に入れたのが分かった。
「アコニット……くん?」
スプリさんが、そう呟いた。
聞いたことがある名前。
確かエルフの集落にいた、スプリさんが可愛がっていた男の子。
でも、そんなことは関係なかった。
僕が誰に見えていようと、僕は僕として彼女と接する。
「スプリさん!」
名前を呼ぶと、スプリさんの表情がピクリとする。
「ぐら……ふとくん?」
「はい!そうです!グラフトです!」
「あ……あぁ……!」
眸がじわりと潤っていくのが分かって、たまらず彼女を抱きしめた。
「ぐらふとくん……!」
身体をしゃくりあげながら、スプリさんが話し始めた。
「はい……!」
「ぐらふと……ぐん……!」
声がだんだん辛そうになっていく。
それでも何かを伝えようとしていて、抱きしめる力を強める。
「はい……!」
「いだがったよぉ……!」
彼女はそう言って、堰を切ったように泣き出した。
泣きながら、弱弱しく言葉を漏らした。
「しんじゃうくらいいだかっだ……!」
「はい……!」
「こわぐて、かなしかっだ……!」
「はい……!」
「だがら……っ! しんじゃいたいっておもっだの……!」
「はい……!」
悲痛な叫びが、こぼした言葉が、僕の頭をいっぱいにする。
抱きしめたくて、救ってあげたくて、それでも何も出来なかったあの時の悔しさが、涙になってあふれ出す。
「やぐそくじだのに……っ! やぶろうとしちゃっだの……っ!」
「スプリさん……っ!」
「ごめんなざいっ! ごめんなざい……っ!」
「僕だって……何も出来なかったっ! ずっと一緒にいるって言ったのに……! ごめんなさい!ごめんなさい……ッ!」
互いに謝り合いながら、身体を二度と離すまいと力の限り抱きしめあう。
二人とも悲しさと安堵を噛みしめながら、ひたすら泣きじゃくった。
落ち着いてから、僕達はベッドに並んで手を繋ぐ。
マルを二人の間に連れてきて、再会の喜びを分かち合う。
「マルのおかげですね」
「うん……。ありがとねぇマルちゃん」
「ンゥ~ン」
心なしかマルが頼もし気な表情をしているように見えて、少しおかしかった。
スプリさんも笑ってるかな、と彼女を見て、チクりと胸が痛む。
彼女は笑っていなかった。
というよりも笑えていなかった。
マルを見つめる時の慈しむような微笑みに近い顔をしている。
でも、それを笑顔と呼ぶにはあまりにもぎこちない。
まるで、笑い方を忘れてしまったようだった。
「スプリさん」
「ん?」
僕が呼ぶ声に優しく応じるスプリさん。
取り繕う為の妙な間を隠しきれていない。
彼女を燃やした痛みは、彼女の様子からしてもう無いようだ。
でも、その身に刻まれた悲しみは消えていない。
そしてそれを僕とマルに見せないように努めている。
それがたまらなく悲しかった。
だから、決めた。
「これから新婚旅行に行きましょう!」
彼女の本当の笑顔を取り戻す。




