三十二話 三十三日目②
二日寝てない。
雨が服に染みて重い。
それなのに、足が止まることは無い。
ずっと、思い悩んでいた。
何も出来ず、うずくまっていた。
そんな僕に、マルがきっかけをくれた。
僕と彼女を繋いでくれた。
マルが頑張ってくれたのだから、僕も頑張らないといけない。
ちゃんと、最期まで、自分の想いを貫かなければならない。
でも、僕はどうしようもなく心が弱い。
すぐに悩むし、落ち込むし、抱えきれなくなって泣いてしまう。
無力さに打ちひしがれて、動けなくなってしまう。
だから、もう一押しが欲しい。
立ち止まれなくなるくらい強烈な一発を、背中に食らわせてほしい。
そう考えた時に思いついたのは、いかつい顔だった。
酒場の扉を開くと、同じ顔が出迎える。
「全然顔出さねえと思ったら、なんだそのナリはよぉ?」
客が一人もいない酒場のカウンターの奥。
「びしょ濡れでぇ、クマもひでぇ。それに……そりゃあ血か? まあマトモじゃねえっていうのだけは分かるが……」
白い煙を盛大に撒き、カタギとは思えない鋭い眼光を放つ男。
「いい顔してんじゃねえか」
名も知らぬ店主である。
「ア゛ァ!! 濡れたまま入ってくんじゃねえよ! まずは拭け!」
猛獣のような剣幕でありながらも、厚手のタオルを投げてくれる。
僕は怒られないように、その場でしっかり身体を洗った後、カウンターに座る。
すると、
「酒は要らねえだろ?」
と頼んでいないミルクが出てきた。
「ありがとうございます……!」
「金は払えよ。前みてえに二倍な?」
「……はい」
早速軽めに一発食らった気がするが、早速本題に入る。
「僕を殴ってください!!」
「オラァ!!!」
刹那の内に視界が拳で覆われた。
少しは躊躇うと思ってたから、僕は受け身も取れずに後方の床に叩きつけられた。
「……きょ、虚無が見えました」
「見えてねえから生きてんだろうが! まあ座れや」
「……はい」
文句と鼻血を抑え込んで、元の場所に腰を下ろす。
「それで? 用はこれだけか?」
「ま、まあそうと言えばそうなんですが……」
本当は背中をバシンと平手で欲しかったのだが、それを言うとまた酷い目に遭いそうだ。
正面から顔を殴られて後ろにぶっ倒されるのは、縁起的に悪い気もするけど……。
これを喝をもらったと見なすべきか、もう一発思惑通りのものをもらうか。
脳内で意見が割れているところ、
「んだよモジモジしやがって! さっきのいいツラはどこいっちまったんだァ? アアッ!?」
冷静に考えたらめちゃくちゃ怖いなこの人。
この人に会っていきなり恋の話を聞かせた僕は相当視野が狭かったのだろう。
「実は、スプリさんのことでさっきまで凄く悩んでたんですけど、吹っ切れて、頑張ろうってなって、それで頑張る為に喝をもらいにきたんですが、ちょっともらった喝の種類が違ったと言うか、前のめりになりたいはずが後方に吹き飛んでしまったのはもらうべき喝として良いのか悪いのか、みたいな……そんな感じでして」
なんだか話の通じない化け物に見えてきてしまって、言葉を上手く繋げない。
怖い。
「ほぅ……」
彼はそう頷いてからタバコを二本吸った。
死刑宣告を焦らされているような気分になって、本当に嫌だった。
「お前が来てから三十三日か……」
彼が呟いた。
僕に聞いた、という言い方では無かった。
認識と数日異なるが、一部曖昧な記憶があるから否定できない。
一応返事をすることにした。
「そうです」
「……そうか」
彼はそう言ってまた何度か頷いて、タバコに火をつける。
長い一息を吸った後、神妙な面持ちで話し始めた。
「俺の母ちゃんはエルフなんだよ」
表情さえ違えば、冗談だと思っただろう。
エルフの特徴である金髪青い目長い耳は、他ならない彼から聞いたのだ。
彼は若い頃は男前だったかもしれないが、どこをとってもエルフとは違う。
「まあ信じねえわな。だけど事実なんだよ。 エルフの女は、相手の男がエルフじゃねえとエルフを産めねえんだ」
「エルフがエルフを産めない?」
「ああ。まずエルフの男の話からするが、エルフの男は相手の女がエルフだろうが人間だろうが、必ずエルフの子を産ませることが出来るんだ。だから大抵の男エルフは集落の外から人間の女を買って、エルフを産ませるんだよ」
スプリさんが家族を描いた絵を見せてくれたことがあった。
「……もしかして、何番目のお母さんってやつですか?」
「……そうだ。男エルフってのはそうやってやりたい放題してるってこった。胸糞わりい話だ」
淡々と話しながらも、彼の眸が揺れていた。
そこには只ならぬ憎悪が秘められているように見えた。
「それで女エルフの話に戻るが、女エルフは相手の男がエルフならエルフ、人間なら人間を産む。俺の場合は父親が人間だったから、人間に産まれた、ってこった」
エルフという種族について、なんとなく分かってきた。
子孫を増やす為には男のエルフさえいれば何も問題はない。
外から人間の女を連れて来れば、一人の男エルフの種で何人も子供を作れるからだ。
だから女のエルフは必須ではなく、男のエルフにとってはあくまでも番相手の選択肢。
この男女感での繁殖における価値の差が、極度な男尊女卑的風習を造り上げた、ということのようだ。
「スプリさんが父親に酷い目に遭わされたのも、追放されたのも、代わりが効くから、ということか……!」
はらわたが煮えくり返る気分だ。
代わりとか、価値とか、そんなことでスプリさんが苦しめられたっていうのか?
あまりにも惨すぎる。
「あんなに優しくて愛らしい人が、人を幸せに出来る人が、なんでそれだけのことで……!」
激情に駆られる中、ふと気付いたことがあった。
エルフの男は外から人間を買う。
その対価は……
「まさか……! 追放っていうのは……!」
「そうだ。要らなくなったエルフを大量の人間と交換する――それが追放だ。 なまじ見た目が良くて老けねえから、外の人間からすりゃ相当価値があったんだろうよ」
彼の話を聞く度に、頭で組みあがっていくものがあった。
スプリさんの追放。
父の暴力。
大量の人間との交換。
「スプリさんが父親から暴力を受けていたのは……人間が欲しかったから……?」
店主は何も答えなかった。
その沈黙は明らかに肯定を意味していた。
スプリさんの父親は、ただ新しい女が欲しかったというだけで、スプリさんを産めない身体にしたのだ。
「――ふざけるなよッ!! スプリさんがどんな目に遭ったか!? どんなに悲しんだか!? ……どれだけ絶望したと……思うんだ……!」
あまりの憎悪に、涙が出た。
エルフのことを知る度に、スプリさんの凄惨な人生が浮き彫りになる。
スプリさんが夜の泉で言ってくれたことを思い出す。
『わたしの……あったかい思い出は……ぜんぶ、あなただったんだね……?』
どんな思いで言ってくれたのか。
今になって、言葉の重さを理解する。
やっぱり、スプリさんをこのまま逝かせてはいけない。
苦しいまま、悲しいまま逝っていい人じゃない。
何より、好きな人をこのまま、死にたいなんて言わせたまま別れるなんて、絶対にしたくない。
僕は、決意のままにミルクを喉に流し込んだ。
「覚悟決めたみてえだな」
店主がギラついた笑みを見せる。
「はい……!」
覚悟は決まった。
決意も出来た。
憎悪を全部力に変えて、やってやる。
「ありがとうございました……!」
三倍の金を置いて、席を立つ。
その時、
「だが、その顔じゃダメだな」
店主が呆れたように言ったのだ。
「え……?」
高めた気持ちに水を差されたような気がして、思わず顔をしかめた。
「まあ座れ。ミルクをサービスしてやるからよ」
店主は三倍のミルク代をポケットにしまい、空いたグラスにミルクを注ぐ。
サービスじゃないだろうそれは。
むかむかとしながらも、世話になっていることもあり素直に従う。
「で、この顔の何がいけないって言うんですか!? 」
食ってかからないわけではないが。
すると、店主は大きく息を吸い込んでから、
「ここに初めて来た時テメエが言ってたんだろうがァ!! 人を笑わせるならァ!?」
怒鳴り声をあげた。
答えはすぐに分かった。
子供の頃に父に教えられ、ずっと胸に誓っていた言葉だから。
だからこそ、自分の過ちが悔しくて仕方なかった。
思わず顔を下げ、唇を噛む。
「テメエはこの数十日で山ほど辛え経験をしたんだろう!! それを何とか乗り越えて、歯ァ食いしばってきたんだろう!! 初めて来た時と顔つきがまるで違うから、俺は分かる!!でもなァ!? 初めて来た時のテメエと、今のテメエ、どっちが人を笑わせられるかってなりゃあ俺は迷わず最初のお前を選ぶ!! この意味が分かるかァ!?」
分かる。
分かるに決まっている。
カウンターに置かれた酒瓶に、自分の顔が映る。
これは、人を笑わせる人の顔じゃあない。
――看取る人の顔だ。
「人を笑わせる人は、笑ってなきゃいけない……」
「そうだァ! テメエは笑ってねえんだ!! 笑えッ!!」
分かってる。
ここまで言われて、理解できないほど馬鹿じゃない。
「笑うまでここから出さねえッ!!笑えッ!笑えッ!!」
でも、笑えないのだ。
スプリさんの悲しい事実を知って、頭の中は怒りと悲しみで満たされている。
笑うなんて余裕はどこにもない。
「早くしろオラァ!!」
「うるさいなぁ!? 笑えないから困っているんですよ!!」
「うるさいってなんだテメエこの野郎!! ブチ殺してやろうか!?」
「そもそも笑えっていう人が笑うならアンタも笑ってくださいよ!? 顔が凶悪過ぎるんですよっ!! だからこの店には客がいねえんだ!!」
「テメエ言いやがったな……! もう殺してやる!! 今から十秒以内にテメエは虚無ン中だぜ?」
まずい。本気の目をしている。
あの拳は人に向けていいものじゃない。
「……嘘!うそです!ただ笑顔になれるような、なんかそういう小話はないでしょうか?あると非常に助かるのですが!」
「アァ!? ……まぁそうだな。じゃあバカなお前に一個だけ気づかせてやるとするか」
彼は自身を落ち着けるようにタバコに火をつけて、語り始めた。
「いいか?五百年生きるエルフを一生幸せにしてやることなんか、人間に出来るはずねぇんだ。でもその例外が一つだけある――最後の数十日だ。その数十日だけが、エルフのなげえ人生を丸ごと幸せにできるかもしれねぇ唯一の機会なんだよ。そこに二十年も生きてねえガキがたまたま鉢合わせたんだ。それも十年も返事のこねぇ手紙を送り続けるようなイカレ野郎だ」
彼は紫煙をたっぷりくぐらせてから、
「こんなもん、人生丸ごと変えてくれって言ってるようなモンじゃねえか」
ニヤリと笑った。
「行ってこいクソガキ!十年溜めたもん全部ぶつけて、幸せにしてこい!」
力強い。それでいて温かい言葉の喝。
全身に熱が迸って、感情が昂る。
そうだ。これだ。
これが
――人を笑わせるってことだ。
「行ってきます!」
十倍のミルク代を置いて、店を飛び出した。
「二度とツラみせんじゃねぇぞ!!」
背中に受ける罵声が、なぜかこそばゆく感じる。
こういうこともあるのか、と思った。
雨も止んでいた。




