二十六話 二十六日目②
「今日は大きな街に出ようと思います」
「大きな街? 馬に乗るの?」
「いいえ。違います。乗るのは別の生き物です。これからその生き物を呼ぶので、少し待っててください」
中身が屋敷の丸太小屋を背に、指笛を三回鳴らす。
「風よ、其方らの眷属から我らをお守りたまえ」
魔法を詠唱し、僕とスプリさんの周囲が凪に包まれる。
やがて上空より大翼が空気を叩く音が降りてきて、
「え~っ! あの子を呼んだの!? グラフトくんが!?」
空を見上げるスプリさんが驚嘆する。
あの子は猛禽らしい鋭い眼差しでこちらを見つけると、分厚く強靭な剛翼で小刻みに風を操りながら徐々に降下する。
空を高速で駆ける為の隆々とした肉体は、たわわな麦穂のような羽毛に包まれて、まるで大木が空から降ってきたような威圧感と烈風を大地に叩きつける。
「そうですよ? あの子が僕の旅の共――マウントホークです!」
小屋前のごく小さな庭に器用に降り立った、馬車より大きな猛禽。
龍鱗すら容易くついばむ嘴と、禍々しく光る無双の鉤爪。
彼女と旅をしたいが為だけに手懐けた、僕の十年間の成果の一つである。
「わわっ!」
彼女は魔法に守られて髪一つそよがないものの、少し怯えがちに僕の手を握ってきた。
「こいつは賢いから安心してください。ほら、良い子だ」
彼女の手を引きながら、大きな額を撫でてみせる。
マウントホークは身体を揺らして羽を落としながら、大人しく目を細める。
「スプリさんも触ってみますか?」
手元を覗き込むようにしていたスプリさんはおずおずと頷いてから、引け腰気味に手を伸ばす。
「……!」
「ふわふわでしょ?」
「……うん! ふわふわだ!」
早くも触り心地に虜になったらしいスプリさんは羽毛の中に埋まって恍惚とした笑み。
怖がってどうしようもない、なんてことにはならないとは思っていたけれど、まずは一安心。
彼女がたっぷりと極上の肌触りを堪能したあと、
「……はっ! この子に乗るってコトは……!?」
「そうです! 本日のデート。一つ目の演目は、空の旅です!」
彼女を持ち上げて鞍に座らせ、僕は彼女を脚で挟むようにして手綱を握る。
「炎よ、我々を寒冷からお守りたまえ」
魔法を唱え、大鷹の背を軽く二回叩く。
甲高い声を上げた大鷹が、空への準備を始める。
「どきどきするねっ!」
「はい! じゃあ飛びますよ!」
小さな羽ばたきから始まり、徐々に強く大きくなっていく。
僕の手をきゅっと握りしめた彼女の後頭部に微笑みかけた時、剛翼が空を掴む。
ぐんぐん高度を上げていく中、彼女はきょろきょろと視線を動かしては空に開けゆく景色に驚嘆を漏らし続けた。
何度も見上げた高樹林を遥かに見下ろして、空の旅が始まる。
「――っ!――?」
スプリさんが何かをしきりに訴えるけれど、風切り音にのまれてしまう。
後ろから抱くようにして顔を近づけると、
「すっごい!すごいすごいすごい!」
楽しんでくれていることが分かった。
「これからずうっと西に飛びます!二時間くらいかかるので、たっぷり楽しんでくださいね!」
彼女の耳元でそう言うと、
「うん!! 落ちないようにぎゅっとしててね?」
横顔同士を押し付けるようにして、彼女が笑った。
それから、どこまでも広がる大空の中を飛び続けた。
遥か北に聳えるダリア火山、南の広大なユーラ海。
小さくなった世界を見下ろしながら、ルフタリス丘陵地帯の上空を進む。
スプリさんは終始ご満悦といった様子ではしゃいでくれた。
大きな鳥に乗って空を飛べば、スプリは笑ってくれるかもしれない。
昔の僕はそんなことを考えては、いつかのデートに想いを馳せていた。
今、実現してる。
彼女と一緒に空を飛んで、ちゃんと笑顔を見れている。
夢が一つ叶った。
まだデートの序盤も序盤。
それなのに、早くも僕の胸は感動でいっぱいだった。
長いはずの空の旅は、彼女と共にするだけであっという間に終わりを迎える。
「あそこ?」とスプリさんが地上を指さした。
空から望むは、堅牢な城壁に囲まれた巨城を中心とした大都市。
赤い屋根で統一された家々が環状に並び立つ特徴的な街並みは、まるで華やかな花びらのよう。
「そうです! あれがルフタールです!」
大陸南方の経済を支える商業都市:ルフタール。
僕がスプリさんとの初デートに選んだ場所だ。
街の側に降り立つと、大鷹はしばしの自由時間に入る。
近くの森へ狩りにでも行くのだろうか、と飛び去る姿を目で追って、いよいよ僕達のデート開始。
「行きましょうか!」
「うん!」
スプリさんはごく自然に僕の手を握ってくれて、思わず心臓が跳ねる。
落ち着け。カッコよくあれ。
バレない程度に深呼吸をして、
「少し遅くなってしまいましたが、お昼ごはんを食べにいきましょう!」
「やったぁ! お外で食べるの初めてなの!」
肩を寄せる笑顔のスプリさんの体温に想いを馳せながら、街の中へと進んでいく。
ドリフトの街と比べ、ルフタールは活気に溢れていた。
街の中心へと伸びる大通りは多くの人々が行き交い、沿道には張り切った面持ちの商人が店の前を通る客候補に声をかけている。
スプリさんは大きな街へ来たことがないらしく、眸に映る全てのものに対して新鮮な感情を弾けさせた。
興味が次々と移ろいゆく彼女が急にどこかへ走って行ってしまうのではと少し不安になるくらいだったけれど、彼女は僕の手を絶対に離さなかった。
僕はこの街に何度も来たことがあったので、目的地までの道に迷うことはない。
途中で大通りを逸れ、花びらの中腹あたりの環状道を進む。
古物商や魔法雑貨店が並ぶ落ち着いた通り。
そこで店を構えるのが、レストラン・リゼッタである。
「ここでお昼ごはんです!」
「おー……」
彼女はまじまじと店の外観を眺めながら、どうとも言えない、といった声。
無理もない。華やかな街並みを見てからじゃどうしても大人すぎる佇まいだから。
でも大丈夫。レストランの良し悪しを決めるのは、何と言っても料理だ。
「ここはですねぇ? とある料理が街一番って有名なんです。入りましょう」
「とある料理、ってな~に?」
「スプリさんが好きなものですよ」
小さなチャイムがついた扉を開けると、外観通りの落ち着いた内装。
優しい木の香りが漂ってきそうな白木で統一された店内には数人の客がまばらに座っていて、時間をズラして正解だったようだ。
すると、机を拭いていたウエイターが僕達に気付いて、
「あ~らべっぴんなお嬢さんを連れてると思ったらあなた『鷹飛び』じゃないのぉ!元気してた? デート? それとも仕事? こないだ言ってた討伐はどうなったのよ大変だったんじゃない? ってあらやだお水持ってこなきゃねぇ! どこか適当に座っててちょうだ~い!」
と、氾濫した川のように大量の言葉を叩き込み、僕の返事を待たずに厨房に入っていった。
「どこでも座っていいそうですよ。どこにします?」
「あそこ!」
スプリさんは通りに面した窓際の席をご所望。
腰を下ろしてすぐに水を持ってきたウエイターが、
「はいお水!でご注文はなぁに? いつものやつ?いつものやつなら作れるし、いつもと違うものでも作れるわ。でも作ったことのないものを作れって言われたら困っちゃうからダメよ? それでどうしたの今日は?デート?その可愛らしいお嬢さ」
「チーズオムレツを二つ」
「あぁ~いチーズオムレッチイふたぁつ入りましたぁ!特急で作ってあげてぇデートらしいから!」
ウエイターが大声でまくし立てながら厨房へと消える。
「ちーずおむれつ?」
「うん。スプリさんの大好きな卵を使った料理だよ」
「たまご!!」
早くも頬をとろけさせながら、厨房に想いを馳せるスプリさん。
あれだけベラベラと喋る個性的なウエイターが近くにいたのに、彼女は一瞥もしなかった。
街を歩いている時だって、個性的な服を来た人や大道芸人のように彼女の興味を引きそうな人間はいた。
でも彼女は興味を示さなかった。
まるで僕以外の人間が見えていないかのようだった。
そしてそれはおそらく大袈裟な表現ではなく、彼女が見ている世界はそうなのだろう。
街や店に人が居なければ違和感を持つはずだがどうやらそれもないことを考えると、見えない、というよりは意識できない、といったほうが正しいか。
ともかく彼女は、僕以外の人間との接触を認識することができない、と見るべきだ。
では、彼女が買い物と称して出かけていたのはどうなる?
今回分かったことを踏まえると、彼女は店員とやり取りが出来ないはずだ。
盗んできたならば店員が家まで追いかけてくるだろうし、どうにかして購入していたのだろうか?
もしくは、食べ物すら「再現」したのか。
味や見た目に違和感は無かった。
僕の身体も食べ物として受け付けていたし、健康にも支障なし。
仮にそれほどの再現が出来るとすれば、それはいつからだ?元から出来たのか、あるいは……。
「おまちどうさまぁ!チーズオムレツふたぁつ!」
ウエイターの快活な声に、僕の思考が断ち切られる。
「うわあ! 美味しそう!!」
「美味しいに決まってるじゃない! だってウチのチーズオムレツは大陸一美味いんだからぁ! ねえアンタ!」
芳醇なチーズが香り立つトロトロふわふわに感激するスプリさん。
ウエイターは鼻高々な様子で厨房の中の誰かに伝えている。
しかし、やはりスプリさんは一切の反応を見せない。
「早速食べましょう! 熱いから気を付けてくださいね!」
「うん!」
それから、スプリさんはたびたび幸福を言葉にしながら、一口一口を大事そうに食べた。
僕も邪念を振り払い、彼女と同じペースで食べた。
何度か食べたことがある味だけれど、これまでで一番優しい味がした。




