二十四話 二十四日目
朝。窓から差し込む朗らかな光が、優しい目覚めを助けてくれる。
屋敷の寝室。ベッドの上。
「ンゥーオ」
恩猫マルさんは窓辺でさえずる小鳥にご挨拶中。
どうやら僕は、昨晩泣くだけ泣いて気を失ったらしい。
「……いたっ」
上体を起こそうとしただけなのに、数種の痛みが全身を走る。
めった刺しにした左大腿。
貫き壊した腹部。
爆ぜ落とした右脚。
投げ捨てた右眼球。
全部僕が壊して、スプリさんに治してもらった場所。
壊した時とは比べようもないくらい小さな痛みだけど、
「ありがとう。スプリさん」
これは確かな絶望と救済の履歴だ。
これから、この傷を眺める度に彼女のことを思い出すのだろう。
それだけのことをしてしまって、それだけのことをしてもらった。
だから、返したい。
スプリさんから貰った分、僕が彼女を傷つけた分。
そこにたっぷり想いを乗せた、幸せな記憶で。
想いが通じてか、扉をノックする音。
「失礼いたします」
無機質な挨拶が聞こえてから、扉がゆっくりと開かれる。
「ぁ……!」
深い礼から頭を上げたスプリさんの表情が、一気に熱を帯びていくのが分かった。
彼女は何も言わずに走り出して、僕の胸に飛び込んでくる。
「いたいよスプリさん」
「あとで治癒魔法かけたげるんだから我慢して!」
彼女は頭を擦りつけながら子供みたいな口調を飛ばす。
寂しかったと言わんばかりの彼女が愛おしくて、抱きしめる。
「さびしかったですか?」
「……うん。だってすごく久しぶりな気がするの」
僕にとっては連続した日々でも、彼女にとっては膨大な記憶を切り取ったものに過ぎない。
彼女の中では、コウヌという主人の中身がたまに僕になる、という感覚なのだろうか。
「どうして僕ってわかったんですか?」
「分かるよ。雰囲気がぜ~んぜん違うし。それにお坊ちゃまはそんなに包帯ぐるぐるしてないもん」
「そういうことですか……」
身体中に巻かれた包帯はおそらく彼女が魔法で作ったもの。
だからすぐに見分けがついた、ということのようだ。
「……名前」
彼女が呟いた。
「お名前教えてほしい……」
顔を僕の胸に押し付けたまま、小さな声で言った。
長い耳の先端まで赤くなっているのを見るに、どうやら恥ずかしいらしい。
「僕の名前はグラフトです。スプリさん」
華奢な身体をもう一度ぎゅっと抱きしめて、耳の側で答える。
すると彼女の耳がしきりに動いて、悶える声が肌を通して聞こえてくる。
可愛い。
「グラフト……さん。いや、グラフトくん……グラフトちゃん……? グラフトさま?」
敬称に頭を悩ませているようだけれど、それなら十年間培ってきた妄想が生きる。
「グラフトくんって呼んでほしいです」
「……グラフトくん」
「はい」
「グラフトくん!」
「なんですか? スプリさん」
「グラフトくん?」
「はい。グラフトです」
彼女が名前を呼んでくれて、僕が応える。
何度も何度も呼んでくれる。
同じ回数、僕も応える。
「ぐら……っふと……くんっ」
「はい……。グラフトです。僕の名前はグラフトです……!」
徐々に抑揚を乱していく呼び声。
シャツを濡らす涙と吐息。
それに気づいた僕も、我慢なんて出来るわけがない。
僕にとっては昨夜ぶり、彼女にとってはしばらくぶりの再会を涙と共に分かち合った。
本当に泣いてばかりだ。僕もスプリさんも。
こちらを見つめるマルも、同じことを思っているのだろう。
落ち着いた後、彼女は僕に治癒魔法をかけてくれる。
大怪我を瞬時に完治させてしまうと治り方が歪になってしまい後遺症の可能性がある、と本で読んだことがある。
スプリさんは僕がそうならないように考えてくれていたらしい。
また涙が出そうになって、必死に堪えた。
「……うん!これで朝の分は終わり!」
魔法に集中していたスプリさんが、跳ねた声で終了を告げる。
「じゃあもう動いて……ってイテテ!」
これにて完治かと思いきや、まだそれなりに痛みがある。
腰を据えて治療する、ということなのだろうか。
「ダメに決まってるでしょ! 今日はお部屋でごろんしてなさい!」
彼女は僕に毛布を掛けながらぷんすかと頬を赤くして、聞き馴染みのある口調を飛ばす。
「ごろんって……僕はもう大人ですからね!?」
「いくつなの?」
「れっきとした十八歳です!」
「はい年下だー! 言うことちゃんと聞きなさい!」
子供みたいな言い分は可愛いけれど、ちょっとムッとしてしまう。
「年下でも大人は大人です! ……赤ちゃん扱いしないでくださいよ」
言ってすぐ、少し後悔した。
彼女にとっては久方ぶりの再会なのに、こんなことで言い合いなんて。
スプリさんのしたいようにしてあげるべきなのに。
訂正しよう、と思い立った時、
「思ってない」
と、スプリさんが言った。
「赤ちゃんだと思ってないよ……?」
僕の気持ちに真摯に向き合ってくれている。
繰り返し言う彼女は、そう確信させる眸をしていた。
でもそれだけじゃなくて、僕は他の意味を感じずにはいられない。
ほっぺた、目元、耳の先。
ぜんぶ真っ赤になっていたから。
「……あ、ありがとうございます。スプリさん」
「……んーん。あ、朝ごはん!もってくる、ね?」
「は、はい! おねがいします……!」
ん、と小さく返事をして、彼女はいそいそと寝室を後にする。
僕は火照った長耳を目で追って、扉が遮った瞬間に身悶えた。
少し動くだけで全身が痛い。でも膨らむ気持ちが抑えきれなくて、
「ぅぉ――――!」
枕に顔を埋めて叫んだ。
「ンゥ~オ」
マルさんが返事をしてくれた。
ありがとね。でも今はこっち見ないで欲しいんだ。
それからしばらくして、スプリさんは身体に優しそうな朝食を持ってきてくれた。
彼女は頑なに僕にスプーンを持たせようとせず、「あ~ん」と言って僕に食べさせる。
僕は「自分で食べれますよ」と何度も言いそうになったけれど、赤面する彼女を思い出しては思いとどまる。
これはきっと心配がゆえの行為なんだ。決して赤ちゃん扱いではない。
そう考えることにした。
「マルちゃん! おいで~!」
「ンゥ~ン」
「よいしょ~!ん~!かわいいねぇ!」
朝食のあとは、彼女がマルと戯れるのを眺めた。
はしゃぐスプリさんがなんだか子供の頃に戻ったみたいに思えて嬉しくて、マルも恍惚としていた。
お昼になるとまたごはんを食べさせてもらって、夕方までウトウトして、起きたら他愛もない話をして、夜になるとごはんを食べさせてもらった。
昼と夜に治癒魔法をかけてもらってだいぶ痛みが取れたけれど、今日は出歩き禁止だと念を押された。
夕食後、寝室で一人今日という日を反芻する。
彼女の久方ぶりの一日。
彼女に残されたうんじゅう分の一。
そんな大事な一日を看病に費やしてしまったことを、彼女はどう思っているのだろうか?
彼女は楽しかっただろうか?
明るい記憶を刻めたのだろうか?
どうしてもそんなことを考えてしまう。
でも、これだけははっきりとしている。
僕にとっては本当に幸せな一日だった。
身体も痛くて不自由だけど、何もしてあげられなかったけど、側にいられるだけで嬉しかった。
スプリさんも同じことを思っていてくれたらいいな。
もしそうなら、もっと僕は幸せだ。
「グラフトくん、入ってもいい?」
扉の外から彼女の声。
少しうるっときてたから袖口で拭って、一呼吸おいてから返事をする。
「お身体拭きにきたよ~」
彼女はお湯の入った桶と手拭いを持っていた。
今日は風呂に入らずそのまま就寝だと思っていたから、今日という日が少しだけ伸びたような気がして嬉しい。
「ん~どうしたの?」
「ううん。なんでもないです。ありがとうございます。スプリさん」
思わず頬が緩んでしまい、彼女が不思議そうにしている。
これは口に出さないでおこう。
僕も彼女も、きっと泣いてしまうから。
準備を終え、腕まくりをした彼女が、
「よし。それじゃあ拭いていきます。かゆいところがあったら言ってね?」
「わかりました」
彼女は「ごしごし」と口ずさみながら、顔や上半身を一生懸命に拭いてくれる。
それが可愛くて僕も一緒に口ずさむと、彼女も微笑んでくれた。
大人っぽくはないけれど、それでいいと思った。
「……はい! 次は足いきま~す」
足は特にめちゃくちゃにしてしまったから、かなり跡が残るらしい。
彼女も治療に気を揉んでいて、申し訳ない。
「ちゃんと走れるようになりますように」
彼女は祈りを口にしながら、労わるように足を拭いてくれた。
「はい足おしまい。じゃあ次は……」
彼女が言い淀む。
理由は彼女の視線を辿るとすぐに分かった。
「スプリさん、あとは自分でやるから置いておいてくれますか?」
「あ……うん! わかった! じゃあ少し経ってから片付けに来るね!」
「はい。ありがとうございます」
僕が空気を呼むと、彼女も読み返してくれた。
二人ともホッとした表情でありながら、なんとなくぎこちなさがある。
彼女が手拭いを僕に渡して、ベッドから降りる。
そのまま出ていくのだと思い込んでいた僕は、彼女の次の行動があまりにも予想外だった。
彼女は踵を返して僕に跨ると、顔を耳に近づけて囁いた。
「元気になったら――
いっぱい、しようね?」
彼女はそのあと逃げるように部屋を出て行ったけど、耳の裏まで真っ赤だった。
僕はそのあとキレイになって、寝る準備万端になって、全然眠れなかった。
元気になるために寝ないといけないのに、元気なせいで寝れなかったのだ。




