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二十一話 二十三日目②


 カバンを持って、屋敷を飛び出した。

 丸太小屋の脇を通り、裸足のまま北へ走った。

 林の中は枝葉の天井が月光を阻み、一層視界が悪い。

 素足に石片が突き刺さろうと、頬を枝木が切りつけようと、構わず走り続けた。


「闇よっ……、我が身を其方の懐へ隠せ……っ」

 自分のことが誰にも見えなくなる魔法をかけた。

「風よ、我より生ずる……全ての音を飲み込め」

 自分から生じる全ての音が他者に聞こえなくなる魔法をかけた。


 充分か。いやまだだ。

 小屋から離れて、スプリさんから離れて、絶対に見つけられない場所まで。


 しばらく木々の間を駆け続け、ぼうっと明るい場所に出る。

 天井が無数の星々に様変わりして、静やかな水面に同じ数の光が降り注ぐ。

 いつの間にか、スプリさんとピクニックをした泉まで来ていたらしい。

 

 足を止め、息が整わないままに、

「なにやってんだ……僕は……ッ!」

 側の木を殴りつけた。


 今の今まで、スプリさんからもらったアップリケを見つけるまで、忘れちゃいけないことを忘れてしまっていた。

 想いも、感謝も、願いも、憎悪も、覚悟も、決意も。

 何もかもを、忘れてしまっていた。

 

「なんで忘れられたんだよっ!? スプリさんを笑わせるって……その為に全部使うって!! 決めただろっ……!? それを……なんで――ッ!!」


 絶対に、それだけは、やってはいけないことだった。

 彼女を看取るまで逃げないと、そう決めたのに、僕は逃げたのだ。

 

 視界が狭まるほどの激情が噴き出して、歯がイヤな音を立てる。

 自分が憎くて憎くて堪らなくて、壊したいと思った。


「死ねっ!死ねよっ!! 死んで詫びろッ!! スプリさんに……ッ! 死んで詫びろよッ!! 何が無機質だ……? 何が無表情だ……? 何が弱さを受け止めるだッ!? ――全部ぜんぶお前のせいだろうがァ!!! お前がノコノコきちまったから……スプリさんが二回も辛い目に遭ってんだろうがァ!!!」


 叫びながら、何度も拳を叩きつけた。 

 めくれた拳が熱くて、血が滴り落ちる。

 

 痛い。

 血を見て、やっと感じた。

 これをもっと感じなければいけない。

 その為に、ここまで来たのだから。


「忘れてんじゃ……ねェよ!? どれだけスプリさんに貰ったと思ってんだァ!? ワイバーンから助けてもらったのもッ! ここまで生きてこれたのもッ! スプリさんがいてくれたからだろうが……ッ! なに逃げてんだよ……! なに忘れてんだよ……! 目ぇ逸らしてんじゃねェよ――ッ!!!」


 拳を何度も何度も叩きつけて、皮が破れて、骨が見えて、それでも叩きつけて、拳が握れなくなった。

 痛くて、痛くて、痛くなくなって、左手がダメになった。 


 カバンから短剣を取り出して、鞘を投げ捨てた。

 右手で柄を握りしめて、磨き上げた刀身に映る自分から目を逸らすように振り上げた。


「――ッぐぅ!!!」 

 左の大腿に、短剣を突き刺した。

 刺した場所がじわっと熱くなるのを感じた刹那、苛烈な痛みが迸る。

 身体が跳ねそうになるほど筋肉が急激に硬直し、視界が明滅する。


 膝が折れそうになるのを必死に堪え、もう一度短剣を握る手に力を込めた。


「――ッ!あああああああああ!!!!」

 抉るように捻った短剣を、そのまま肉を裂くように引き抜いた。

 絶叫とともに鮮血が噴き出して、周囲がみるみるうちに赤黒く染まる。

 

 かつて経験したことの無い、爆ぜるような痛み。

 爆発的に身体が熱くなって、それなのに震えが止まらなくなる。

 

 視界が狭まって、呼吸が乱れて、それでも憎悪が絶え間なく湧き出して、

「お前は……ッ見ただろうがァ! ――ぎっ……!!」

 怒りのままに、大腿を突き刺す。

「叩かないでって謝るスプリさんをッ!!――ぁああッ!!!」

 何度も

「こッどもを抱いて泣き叫ぶすぷりざんをッッ!!!」

 何度も

「絶望する――ッ!! すぶりざんを゛ッッ!!!」

 何度も

「なのにっ……! なんで笑ってだんだぁ……!」

 何度も

「なんでっ……だのじぞうに……っ! 生ぎでられだんだぁあ゛……ッ!」

 何度も    

「お゛まえのぜいだろうがァ……なのにっ……なんで……ッ!」

 何度も

「死ね……っ!!! じね……ッ!! じねえ!!」

 何度も何度も突き刺して、それでもまだ、収まらない。 

 

「じ――ッ!?」 

 また、膝が折れそうになって、力を込める。

 でも今度はどうしても言うことを聞かない。

 

 このままでは楽になってしまう。

 それが堪らなく嫌だった。

 絶対に、僕は楽になってはいけない。

 

「だいぢよッ――! いかりのッ……尖槍をっ……突きたてろ……ッ!!」

 咄嗟に、呪文を詠唱した。

 

 地面から突き出した三本の石槍が、僕を木に叩きつけた。


「――ごぶッ!」

 一本が右脇腹を貫いて、幾つかの内臓がぐちゅりと潰れる。

 一本が臍を貫いて、引きずり出した大腸が枝木にぶら下がる。

 一本が左肺を貫いて、口から赤い吐瀉が溢れだす。

 

 槍の表面をどす黒い汁が覆っていって、どこが痛いのか分からないくらい、痛い。

 

 でも、これで座れなくなった。

 それが少し嬉しかった。

 嬉しいと思ったことがイヤだった。

 

 もっと苦しまなきゃ。

 

 左の大腿は届かないから、次は右。

 右手を振り上げて、右大腿に叩きつける。


「……」

 痛みが無くて、右手に持っていたはずの短剣が無いことに気付く。

 こんなんじゃ、終われない。


 右手で大腿をわし掴み、

「ほ、のお゛よ……、は……ぜろ」

 呪文を詠唱する。


 一瞬視界が真っ白になって、黒く冷たくなっていく。


「――ッぐああああああ!!!」

 右の脚が、転がっていった。

 断面がぐじゅぐじゅに潰れてて、少しだけ怖かった。

 もう、これが痛いのか、分からない。

 だから、怖かったのが、嬉しかった。

 絶叫が聞こえるけれど、たぶん自分が叫んでるんだと思って、痛いんだと思って、嬉しかった。


 また嬉しかった。

 じぶんのことが、また、きらいに、なった。

 

 意識が、ちょっと、ダメになってきた。

 まだ、ダメなのに、口が上手く動かせない。


 もうすぐ死ぬ、とわかって、まだ、だめだ、とおもった。

 もっと、くるしんで、死ななきゃ。


 すぷりさんに、もうしわけない。


「……ぅ」

 みぎの目に、ゆびをいれた。

 がんばって、おくまでいれて、めを持った。


「……ぅぅ」 

 めを、ひっぱったり、にぎったり、して。


「ぁ……!」

 ひっこ、ぬいた。

 

 いたく、ない。

 だから、だめだと、おもった。


 ……もう、いっこ。

 もう、いっこ、とらなきゃ。


 ひだりの目にも、ゆびをいれた。

 でも、うまく、いかなくて、おくに、はいらない。

 

 とらなきゃ、なのに。

 

 まだ、だめなのに。


 もっと。もっと。もっと。もっと。

 くるしんで、しななきゃ、だめなのに。


 手が、かってに、やめちゃった。 

 また、じぶんが、いやになった。


 まっくらに、なった。

 めは、いっこ、あるのに。

 まだ、いきてるのに。

 

 まだ、だめなのに。

 

 ぼくは、もっと、ひどいこと、したのに。

 

 すぷり、さんに、ひどいこと、いっぱい。

 

 だから、そのぶん、くるしまなきゃ、なのに。


 どうしても、うごかない。


 

 

 

 すぷり、さん。


 ごめん、なさい。


 あいに、きて、ごめん、なさい。


 いきて、ごめん、なさい。


 うまれて、ごめん、なさい。



 すきに、なって――


「……ぃ」

 

 


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