十八話 十八日目
「お坊ちゃま、いいですか。呪文の詠唱はあくまで魔力変換イメージの創造を省略するという目的で作られたものでしかなく、魔法とは本来詠唱を必要とする技術ではありません」
屋敷内のとある一室、昼食後のことである。
おそらく誰かの執務室であっただろう場所に呼びつけられた僕は、スプリさんから魔法講義を受けていた。
「そもそも詠唱を伴った魔法とは、正確には言語を通じた精霊への魔法構築の委任・及び発動指示であって、本来の魔法とは似て非なるもの。過程省略による速射性と安定性が有用である点は認めますが、創造性や自在性という魔法最大の醍醐味を損なっております」
昨日の厨房消滅事件の再発防止、という名目かと思ったのだが、違和感がある。
「ゆえに、本日は無詠唱魔法をお教えいたします」
難しすぎるのだ。
無詠唱の魔法なんて、老人の昔はよかった的回顧話でごくまれに出てくるような、真偽不明のおとぎ話。
そもそも魔法は詠唱を必要とするもの、というのが常識なように思えるし、精霊云々の話は僕の知識には無い。
ようするに魔法を無詠唱で発動するなんて芸当は、不可能と思えてしまう。
気がかりなことはまだある。
昨日跡形もなくなった厨房が、今朝見ると元通りになっていた。
それに、なんというか、スプリさんが漲っている。
表情の乏しさ、というはあるけれど、眸の奥に何か情熱のようなものが満ち満ちているような。
「……分かりました」
僕は何も言わなかった。
彼女がなんだか前向きのようだし、ただ世話を焼かれるよりはずっといい。
「ではまず……」
それから彼女の講義が二時間続いた後、実技に入る。
魔力が体内を流れるイメージをして、それを手のひらから溢れ出させる感覚を覚えるそうだ。
彼女には魔力が見えるらしく、僕が手のひらから魔力を放出できれば合格とのこと。
しかしこれが難しい。
まず魔力なんて形が無いものだし、見たことなんて当然無いのだから、それが体内を流れるイメージなんて湧くわけがない。
難儀している僕に業を煮やした彼女が、
「まず、心臓の温かさを感じてください」
後ろから抱きしめるように、僕の胸に触れた。
「今日食べたごはんの栄養が、心臓から血管を伝って全身に流れていくのと同じです。魔力がここから」
彼女の指が僕の身体を登っていく。
「こうやって」
胸から鎖骨、鎖骨から肩。肩からひじを通って、指先をなぞる。
「流れていきます」
慈しむような微かな刺激が、僕の身体を撫ぜていく。
「どうですか? 感じますか?」
顔が近い。干し草のような優しい彼女の香りの中に、微かな生々しさが香る。
華奢な身体が僕の外側を、吐息の熱さが僕の内側を昂らせる。
「感じます……」
「では、その感じたものをゆうっくり。ゆうっくりと、手のひらの上で大きくしてください」
彼女の囁きが全身を伝って、染み込んでいく。
どんどん大きくなっていく。
「大きくなりましたか?」
「なりました……」
彼女のしなやかな腕が僕の腕と絡み合い、密着する。
甘い刺激が立ち昇っていく。
もうこれ以上大きくならない。
「では、放出してください」
僕は合図とともに、
「放出しました……」
僕は無事、魔力を放出することができた。
すると、髪の毛に優しい感触が伝う。
「よくできましたね」
スプリさんが頭を撫でてくれていた。
僕を労う声にも無機質とは程遠い暖かさがあった。
「よしよし」
本当なら、僕は喜びのあまり跳ねまわっていたことだろう。
しかし、僕はひどく冷静で、だからこそ彼女の昨日との違いに気付いた。
「スプリさん」
「なんですか?」
「僕は今、何歳ですか?」
彼女が漲っていたのは何故か?
彼女の距離間がこれほど近い理由は?
「先月で十二歳になられましたよ?」
ズバリ、子ども扱いである。
彼女がやる気に溢れていたのも、やけに無防備なのも、ただ単に僕のことを子供だと思っているから。
昨日見た彼女の笑みも、今思えば手のかかる子供に向ける親の愛的な、そんな感じだった気がする。
思うに、彼女は昨日の事件で僕に対して強い庇護欲を覚えたのではないだろうか?
――心外だ。
僕はたぶん大人だ。
年齢は覚えていないけれど、大人という自覚がある。
それを、しかも僕よりも若く見えるスプリさんに子供扱いされるとは、これを屈辱と呼ばず何だというのか?
「スプリさん。言っておきますが、数日前に話した通り僕は『お坊ちゃん』ではありません。詳しいことは思い出せませんが、少なくとも君よりも年上だと思います。だから子供扱いはやめてもらえ――」
「では、下着はご自身でお洗いくださいませ?」
そう言って、彼女はクスリと笑う。
昨日とは全く違う意味で、僕の顔は真っ赤になった。
魔法講義を終えた僕は浴場にいた。
非常にやむを得ない理由で下着をもみ洗いしながら、状況を整理する。
スプリさんとの関係について、良くも悪くも変化があった。
彼女の表情は穏やかさが帯び、言葉からは無機質さが抜けた。
これだけなら進展と言っていいものの、残念なことが一つ。
どうやら僕のことが十歳の子供に見えているらしい。
僕は身体も心も正真正銘、かは分からないがおそらく大人だというのに、彼女にはなぜかそう見えない。
それは何故か?
というのを考察することも必要だが、記憶喪失やら丸太小屋の扉から繋がる謎の屋敷やら、不思議ばかりのここ数日を鑑みるに考えるのが無駄、ということもある。
とにかく今は、彼女に異性として意識させるにはどうすべきか、だ。
次なる作戦を練りながら、愛する人から賜った役目である下着洗いを全うした。
夕方になると、スプリさんが買い物にでかける。
彼女なら重い荷物だろうが魔法で軽々持ち運ぶのだろうし、悪漢がいたとしても容易くあしらうだろうが、そんな彼女とてうら若き女性だ。
一緒についていかねば、と思うのは健全な男児として当然である。
「スプリさん! 僕もついていっていいですか?」
さりげなく腕の筋肉をアピールしつつ、玄関へ向かう彼女と歩幅を合わせる。
今回は買うもの買って帰ってくるだけだから料理や掃除のように足を引っ張ることはないだろうし、力強さアピール自体は有効なはず。
異性として一切意識されていない現状を打破するにはうってつけといえよう。
「お外は危ないからダメです」
さすがに子供扱いがすぎる!
しかし一応主人と侍女という間柄ゆえに色々と断り文句が出てくるだろうとは想定していた。
何が何でもついて行ってやる。
「ですがそれは貴方も同じですよスプリさん。貴方はとても綺麗で可愛いんですから、もっと用心しないといけません。男が一人ついているだけでも、露払いにはなります」
すると、彼女が少し思案するような素振り。
揺れている。いける。
そう思ったのだが、結果は予想だにしないものだった。
「めっ」
彼女はまるで幼子を戒めるように口を尖らせたのだ。
そして唖然とする僕を追い打ちするように、
「お家で良い子にしてなさいっ」
と、まるで駄々っ子を叱りつけるように言った。
「よしよし。じゃあ行ってきますから、お利口にしているんですよ?」
彼女は呆然とする僕をまるで初めて言うことを聞いた子犬を褒めるように撫でてから、まるで一人ぼっちを嫌がる子猫を愛でるように微笑んで、買い物に出かけた。
ドアの音にようやくハッとして、事の重大さに気付いた僕は、考えを改めた。
僕は子供扱いされているんじゃない。
――赤ちゃん扱いされているんだ。




