十七話 十七日目
スプリさんの「お坊ちゃま」になってから一夜明け、朝。
スプリさんが起こしに来てくれるという甘い素敵体験を夢に見るほど心待ちにしたが、現実は非常に淡泊で業務的なものだった。
二重の意味ですっかり目の覚めた僕は、ようやく自分が置かれている状況について考え始めた。
僕が今抱えている問題は三つ。
一つ目が自分のことをほとんど覚えていないこと。
昨晩じっくり考えてみたのだけれど、思い出せたのは使える魔法などの技能くらいで、それ以外はダメだった。
すぐそこにあるのに届かないような、捕まえたのに手を開くと何もないような、自分のことを思い出そうとするとおかしな感覚がある。
まるで思い出すのを誰かに邪魔されているみたいだ。
二つ目が僕がなぜか滅亡したはずのポドストロマ家の現当主:コウヌ・ポドストロマだと思われていること。
これに関しては、絶対に違うという確信がある。
その上コウヌとは寝室に飾ってある油絵に描かれていた子供らしいのだが、僕と全く似ていなかった。
それなのに、スプリさんは僕がコウヌだと言って譲らない。
まるで彼女が見ている世界が僕と違うのでは、と思うくらいだ。
三つ目が僕がスプリさんと結婚したいこと。
冷静に考えてみれば片思いにうつうを抜かしている場合じゃないのだが、これに関してはもうどうしようもない。
人生がまるきり裏返るほどの劇的な恋。これに尽きる。
まあ自分が何年生きてるかも覚えていないのだけれど。
とにかく絶対に成就させたい。
というわけで最優先事項はスプリさんと仲良くなることだ。
記憶は正直どうにかなると思ってるし、この屋敷にいる間はひとまず不便はない。
それに、コウヌだと思われてたって不都合は無いように思う。
これが仮に犯罪者とか、スプリさんにめちゃめちゃ嫌われている人だったならば問題だが、スプリさんと「お坊ちゃま」の関係は今のところそういうわけではなさそう。
スプリさんと僕の間に障害は無い、と思う。
そこで、僕とスプリさんの心の距離を著しく縮める作戦がある。
昨日、彼女から聞いた話によると、なんとこの屋敷内の全ての家事を彼女が担当しているらしいのだ。
彼女は魔法があるから平気だと言っていたが、それでもかなりの業務量のはず。
そこで僕がなぜかどこかで培った家事・炊事の経験が役に立つ。
クールに振る舞いつつも実は家事大変だなぁ、と思っているはずの彼女の元に颯爽と現れて、華麗な手さばきで手伝うのだ。
すると彼女はおそらく『お坊ちゃまに手伝ってもらうわけには』的なことを言うだろう。
そこで決め台詞。『僕が勝手にやってるだけです。だってあなたといたいから』。
「……くぅ~!」
以上!考えるの終わり!
僕は早速厨房に向かう。
昨日聞いていたとおり、たくさんの食材に囲まれながら調理をするスプリさんがいた。
「スプリさん。手伝いますよ」
僕は腕まくりをしつつ颯爽と登場し、彼女の隣に立つ。
彼女はしばし沈黙の後、
「いえ、お坊ちゃまに手伝っていただくわけにはまいりません」
と予想通りの反応。
「僕がやりたいだけですから気にしないでください。……料理するの好きなんです」
やや怖気づいてしまったが、反応はどうだろう?
「……そうですか。ではお願いします」
淡泊!だがそれでいい。
僕は彼女の指示を受けながら調理を手伝った。
さすがは貴族。肉料理三品に魚料理二品、申し訳程度の野菜が入った肉肉しいスープと数種類のパン。朝食とは思えないほどの品数であり、正直かなり大変な調理だったうえにこれを食べきらないといけないのかと戦々恐々だった。
彼女は調理技術もさることながら魔法で四つ五つの作業を同時にこなし、見世物としてお金がとれると思うくらいには卓越している。その若さでどれほどの経験を積んだのだろう。
正直僕は足手まといだったような気がして、作戦失敗という感が拭えない結果となった。
「お口にあいませんか?」
黙々と食事していたスプリさんが、突然そんなことを言った。
「いえいえ!ホントに美味しいです!朝からこんな贅沢なごはんが食べられるなんて、夢みたいですよ!」
本当のことだ。スプリさんの手料理であることを抜きにしても、どの料理もこれまで食べたどんなものより美味しいと思う。
「……そうですか」
彼女は小さく返事をして、意識を食事に戻した。
何をやってるんだ、僕は。
勝手に手伝って勝手に足手まといになって、勝手に落ち込んで、そのうえ心配までさせて。
そうじゃないだろう。
自分のしたいやりたいで動いてはいけない。恋愛とは思いを伝える主体的姿勢だけでなく思いを汲み取る客観的姿勢が大事なのだ。
もっとスプリさんが何を欲しているのかを考えろ。
目の前には主人である僕のために作ってくれたたくさんの料理。
ならばやるべきは一つ。
「このお肉も美味しい! あっ、このスープも香ばしくて、なんだか元気になる味ですね! これも美味しい!」
彼女の手料理を美味しく食べる。それだけでいい。
いっぱい食べてくれるとそれだけで嬉しいものだ。
「……そうですか」
彼女の反応は淡泊そのもの。
しかし諦めはしない。
きっとイヤではないはずだ。
「お魚も美味しい~! いくらでも食べれちゃいます!」
「お行儀が悪いですよ」
「あ……すいません」
ベラベラ喋りながら食べるのはマナー違反ということらしい。
しかし、諦めはしない。
僕はとにかく美味しいものを食べているという顔をしながら、黙々と食べた。
朝食のあと、彼女は屋敷内の清掃を始める。
調理の際と同様、たくさんのはたきを魔法で操る曲芸じみたスプリさん。
どれだけはたいても埃一つ落ちてこないのだけれど、よっぽど綺麗好きなのだろう。
「僕が手伝う余地はあるだろうか?」
無数のはたきの仕事ぶりを見ながら屋敷内をうろうろしていると、廊下でマルネコにまとわりつかれるスプリさんがいた。
「スプリさん、どうしました?」
「分かりません。この子が足元にくっついてきて……」
無表情ながら困った様子のスプリさんとは対象的に、マルネコは恍惚としている。
彼女の様子からして飼っているわけではないのだろうか?
「スプリさんを困らせちゃダメだろ?」
「ンゥ~」
口惜しそうに鳴くマルネコを抱きかかえると、
「何かをしてほしいのでしょうか?」
とスプリさん。
そういえば、昨晩から見ていなかったが、ごはんは食べているのだろうか?
だらしない顔を見ると、とても一匹で食糧を調達できるようには見えないが……。
「お腹が空いてるのかもしれないですね。こいつにごはんをあげてもいいですか?」
「構いませんが、それなら私が」
「大丈夫です。スプリさんはお掃除で忙しいでしょうから」
「ですが、今は」
「まあまあ。コイツの世話くらいなら僕にもできますから。それじゃあいってきます」
スプリさんと別れ、厨房に向かう。
何やら言いたげだったけれど、ちょっと強引なくらいじゃないと彼女がなんでもしてしまうだろうからこれでいい。
厨房に入り、朝食に使った食材の残りを物色。
魚と果物をマルネコに近づけると、しばらく匂いを吟味したあと、魚のほうにかじりついた。
「お前魚が好きなのか。そんな身体でこれまでどうやって魚を捕ってたんだ?」
「フスフス。ン~」
「分からん。変な生き物だなぁ」
「お腹いっぱいか?」
「ンゥ~ン」
「……分からん。まあいいか」
魚の残骸を片付けて、だらしない表情のマルネコを抱き上げた。
その時、背後にとてつもない存在感を覚え、身体を翻す。
「な……ッ!?」
半透明の流動体が僕達を見下ろしていた。
僕の壊れた記憶の中から、いくつかの情報が降りてくる。
スライム。
全身が強酸性の流動体で構成された魔物であり、毎年コイツのせいで大量の家畜が溶かされ、農地は死に、人類は甚大な損害を被っている。
彼らと遭遇した時の対処法としては、長距離からの魔法攻撃のみが有効とされており、それ以外は全くもって非推奨。
その理由として、
「物理的攻撃が一切効かない上、周囲は毒性のガスが蔓延するから……ッ!」
僕は四足獣のように床を駆け、スライムと距離を取る。
厨房からの出口はスライムの真後ろの一つのみ。
つまり突破するしかない、ということ。
現状を理解して、僕の心が波立つ。
魔物が怖いわけではない。
不思議ともっと怖い目にあったことがあるかのような気がして、死ぬ予感すら覚えなかった。
それなのに落ち着かなかったのは、スプリさんの顔が浮かんだからだ。
彼女はたぶん強い。きっと僕なんか足元にも及ばないだろう。
でも、もし何かあったら?
彼女の卓越した魔法技術は、決して僕が楽観する理由にはならない。
「――風よ。神の剛腕となりて、仇なす者を薙ぎ払え」
右手を前方にかざし、壊れた記憶が叫ぶままに呪文を唱える。
それからは刹那の間に色んなことが起きた。
まず、厨房が消えた。
いや、消えたというよりは、空間ごと引っぺがして潰して丸めた、というのが正しい。
厨房だったものはかざした手の先に集まっていた。
次に、それが前方に飛んでスライムがいたであろう場所を入念にすりつぶした。
スライムは丸くなった厨房に巻き込まれたのか、厨房にすりつぶされたのか。
どちらにしても、居なくなった。
厨房は床をえぐりながら少し進んで、突如瓦礫になった。
そこでようやく、やりすぎたことを理解した。
「スプリさん!!」
巻き込まれてはいないか?
ケガをしてないか?
僕は脅威を取り除いたことなんかより、スプリさんのことが気になって、不安に心が押しつぶされそうになった。
はやる気持ちに身体を引かれるように、瓦礫の上を走る。
「おぼっちゃま!」
声がしたほうに視線を送ると、階段を駆け下りるスプリさんが見えた。
無事だった。怪我もしていない。
「良かった」
そう呟いた途端、僕の脚が力を失った。
極度の安心は膝に来る。
「これは一体……何があったのですか……?」
周囲の瓦礫に目を白黒とさせるスプリさんが言う。
焦ったりするんだ。
「厨房にスライムが出たんだけど、やりすぎてしまいました。スプリさんに何も無くてよかったです」
「スライム……?」
「はい。あっ、気を付けてくださいね? 毒ガスや酸が残っているかもしれないので」
僕がそう言うと、スプリさんは少し間を置いたあと、
「そのスライム?はおそらく、私が作った清掃の魔法です」
「せいそ……え?」
「はたきで落としたほこりを吸着して回るよう設計した自律魔法ですので、酸も毒もありません」
「え……っと、つまり、僕はスプリさんのお役立ち魔法をスライムと勘違いした挙句、厨房をぶっ壊したと?」
「そうなりますね」
これはあれだ。
いわゆる大ミスぶっこいた、ってヤツだ。
ただの暴れん坊じゃん。ヤバい貴族の癇癪じゃん。僕は何やってんの?
「もうっしわけっ!ございませんっっ!!」
もう謝るしかない。とにかく姿勢を低くして、謝罪の意を示すのだ。
「この……! 名前は覚えておりませんがっ! 名にかけてっ! そして我が人生の……! だいたい二十年くらいにかけてっ! 貴方様に謝罪いたしますっ!」
というか、もうスプリさんの顔が見れない。
恥ずかしいし、申し訳ないし、立つ瀬なしとはこのことだ。
「この通りっ! どうかこの通りっ! お許しくださいませっ~!」
あぁ……。軽蔑の目がありありと浮かんでくる。
「……ふふっ」
息を漏らしたような声がした。
マルネコかと思ったけど、必死な僕を恍惚な表情で眺めている。
何が嬉しいんだこっち見るな。
ちらり、とスプリさんの顔を覗く。
もしかしたら、と思ったが、投げかけられていたのはいつもの無表情。
「あの……、ごめんなさい。悪気は本当に無いんです。魔法とか魔物とか、知識はあるような気がするんですけどなんて言うか曖昧で。こんなことになるなんて思ってなくて。でも、スプリさんが危ない目に遭っているかも知れないと思ったら勝手に身体が動いたんです。本当に貴方を困らせようとしたわけじゃないんです」
真摯に頭を下げて、思いを乗せて言葉を紡いだ。
許してくれるとか、仲良くなるとか、そんな図々しいことは頭からキレイさっぱり無くなっていた。
「それではお勉強が必要ですね」
スプリさんの声は、あまり表情が無い。
無機質とも言える、冷静な彼女らしい声だ。
でもこの時ばかりは、少しだけ暖かみのようなものを感じて、気付いたら僕は頭を上げていた。
「それにしても……」
彼女の口が動いている間、僕はずっと彼女を見ていた。
頬、唇、鼻、目、眉。
均整のとれた美しいそれらの微細な動きが、僕を釘付けにする。
まず目が細まって、眉が優しい弧を描く。
唇の端と端が少しだけ上を向いて、頬が丸みを帯びる。
「お変わりになられましたね」
スプリさんが、笑っていたのだ。
決して分かりやすい大笑いではない。
慎ましやかで上品で微かな微笑み。
でも確かな喜びが、そこにあったのだ。
女の子が笑っている。
ただそれだけのことで、心の奥底まで爽快な風が吹く。
何故かは分からない。
でも、強い確信がある。
――僕はこの笑顔を見る為にここにいるのだ。
「ンゥ~ン」
マルネコもそう言っている。




