十六話 十六日目②
彼女は一言も発しないまま、厨房に入っていった。
どうやら食材の買い出しに出かけていたようで、これから昼食の準備でもするのだろう。
一人(厳密にはマルネコがいるが)になって、僕は冷静になった。
いきなりプロポーズとか、何を考えているんだ?バカじゃないのか?
彼女はピクリとも表情を変えなかったけれど、絶対に気持ち悪いと思ったに違いない。
だって気持ち悪いでしょ? いきなり知らないヤツからプロポーズとか。
相手が相手ならぶっ叩かれて衛兵に突き出されていてもおかしくないことだ。
失敗だった。確実に間違いなく失敗だった。
あとで謝ろう。
にしても、これからどうしようか?
彼女のことが好きで好きでたまらないのは本当だから、今後どうにかして彼女と仲良くなっていきたい。
僕は厨房の近くをぐるぐると歩きながら、彼女とお近づきになる方法を思案する。
すると、彼女が厨房から顔を出し、こちらを見つめていた。
まずい。すでに疎まれている気配がする。
「な、なんでもないですう! すぐにどこかへ行きますので! へへっ!」
失敗している気がする。たぶん上手く笑えてない。
気持ち悪いを積み重ねている気がしてならない。
僕は踵を返し、逃げるように階段を登る。
たしか僕が目覚めた寝室は三階だったはずだ。
が、三階に来たものの寝室が分からない。
ここで二つの選択肢がある。
一つはこの廊下にある全ての扉をくまなく開ける。
しかし、僕はここの住人ではない。
他の部屋を開けているのを万が一彼女が来た場合、気持ち悪さがにじみ出ること確実。
もう一つはどうやら屋敷内を把握しているらしいマルネコを頼る。
こちらもこのだらしない顔に全てを委ねる、という点で不安がある。
「なあ、マルネコ。寝室の場所は分かる?」
「ン~」
分からん。このマルネコが何を考えているかなんてわかるワケがない。
僕は何をやっているんだ。
だが、無策で全ての扉を開けるよりは、マシなはずだ。
コイツといたのは寝室の前だったし、厨房も当ててみせた。
このふわふわの中に知性が隠されていることを信じよう。
「マルネコよ。僕を寝室に導いておくれ」
祈りを込めてマルネコを床に降ろすと、「んゥ~ん」的な緩慢な返事をしてからころころと転がり始めた。
遅い。極めて遅い。
しかし淀みない動きには希望を持たずにいられない。
「ンン~ゥ」
休み休み廊下を転がっていたマルネコが、ついに扉の前で鳴いた。
寝室かどうかは正直言って全く分からない。
しかしマルネコの表情にはだらしなさの中に確信めいたものが……
いや無い。そんなものはいくら探しても無い。
「信じるぞ……マルネコ」
「ン~ゥウ」
意を決し、扉を開く。
その時だった。
――背後に気配。
おそらく彼女だ。彼女が僕の背後を取っている。
顔を見ることは出来ないが、きっと彼女は冷たい目をしているに違いない。
だって、この状況。もう無理でしょう?
ぜんぶ裏目に出た。
これはもう現行犯なのよ。嫌われ度合激増の末に犯罪者なのよ。
もはや言い逃れも出来ない。
そのうえ何か不信な動きをすれば、もし回答を誤れば、一体どうなってしまうのか?
状況を打開する策が、一切浮かばない。
身体も思考も硬直していると、髪に何かが触れる感触があった。
「光よ、かの者を癒せ」
「え?」
振り返ると、彼女は僕の頭に治癒魔法をかけていた。
……どういう意味ですか?
そういうことですか?
「寝室はこちらです。お坊ちゃま」
どうやら僕を頭の病気だと思っているらしい彼女についていくと、無事僕が目覚めた寝室に辿り着いた。
というか隣だった。マルネコめ。
「昼食です。お召し上がりください」
彼女はテーブルに食事を並べたあと、椅子を引きながら僕に視線を投げる。
大人しく従うと、僕の胸元にナプキンをつけた。
昼食のメニューは、蒸してほぐした鳥肉、くたくたになるまで煮た野菜、柔らかく炊いた麦粥。
彼女の手料理を食べられるのは本当に嬉しいんだけど、なんていうか。
病人の食事だ。
「僕はどこも身体悪くない、ですよ?」
本当に頭の病気だと思われているのはさすがに心外だ。
僕は健全健康な男子だぞ?
彼女の表情が少しだけ曇るのが分かった。
そんなにヤバいヤツだと思われてたの!?
だが、どうやらそういうことではないらしい。
彼女はしばらく考え込んだ後、淀みない口調で言った。
「貴方はポドストロマ家当主 コウヌ・ポドストロマ様でございます。今朝より体調を崩されておりました。ご回復おめでとうございます」
ポドストロマという名は聞いたことがある。
「え……待ってください!ポドストロマ家ですか!? 僕が?」
だからこそ、つい声がはねた。
「そうですが」
さも当然のように、冷淡に答える彼女。
ポドストロマ……確か千年ほど昔、大陸北方で栄華を極めた王国の名前だ。
しかし歴史を学んだ者ならば必ず知っていることがある。
五百年以上前の戦争で滅亡し、王族は皆処刑されたということだ。
「ありえないですね。 とっくの昔にポドストロマは滅亡してますから」
「仰る通り国の盟主では無くなりましたが、ポドストロマ家は今もこうして存在しております」
彼女の平然とした様子から、嘘を言っているわけでもからかっているワケでもないように思う。
ポドストロマ家は歴史の裏で、ひっそりと生き永らえていたということか。
「まぁ……それはそういうことにしてですよ? 僕はそのポドストロマ家のコウヌ?という人ではありません」
「……? どういう意味でしょう?」
「いやいや! ですから貴方の言う『コウヌお坊ちゃま』と僕は、別人ってことです!」
「では……どちら様でしょうか?」
「それは……」
なぜか言い淀む。
頭の中にあるはずの僕の情報が、どこを探しても見つからない。
僕の名前は何だ?
どこで産まれた?
どこから来た?
どうしてここにいる?
何も思い出せないのだ。
はるか昔に滅亡した国のことは分かるのに、自分のことだけは全く思い出せない。
自分は貴族じゃないという確信があるのに、それを示す根拠を提示できない。
「……分からない」
あれだけ否定しておいてそう言うしかない僕を、彼女はもう一度じっくりと見つめる。
黒い眸の奥では何を考えているのか、何を思っているのか。
少なくとも彼女を困らせてしまっているのは理解出来て、申し訳ない。
「すいません。僕はコウヌ、って人じゃないと思います。でも、自分のことを何も覚えていないんです。変な話だと思いますが、本当のことなんです」
僕が釈明すると、彼女はまた熟考し始めた。
そりゃあそうだろう。
おそらく彼女には、僕がコウヌ・ポドストロマであるという確信があるのだ。
それを僕が否定したのに、その根拠を出さないばかりか記憶が無いと言い出す始末。
彼女はいかにも賢そうに見えるけれど、こればかりはさすがに難解すぎる。
彼女のことが好きなのに、仲良くなりたいのに、逆のことばかりしている自分が情けない。
「分かりました」
そう彼女が言った。
何を?と聞く暇もなく、彼女は話しだした。
「私は前当主様が生前の頃よりポドストロマ家にお仕えしております、スプリと申します。食事、清掃、洗濯など、屋敷内のあらゆる業務を任せていただいております。以後お見知りおきを」
「あ、はい……え?」
「お坊ちゃま、冷めないうちにお召し上がりください」
「……えと」
スプリさんの淀みない自分紹介は僕の頭を滑っていくようだったけれど、どうやら彼女はこれまで通り『お坊ちゃま』に仕える、ということらしい。
知的に見えた彼女だが、案外強引なところもあるみたいだ。
「では、失礼します」
そう言って扉の前で頭を下げる彼女。
彼女がその気なら、僕だって自分のしたいようにやろう。
「スプリさんはもうごはんは食べましたか?」
「いえ……これからです」
「じゃあもしよければ、一緒に食べませんか?」
僕は主人なんて柄じゃないし、壁があってよそよそしい。
僕は彼女と仲良くなりたいのだ。
「……分かりました」
心の中で、渾身のガッツポーズをした。




