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十三話 十二日目


「え……」

 

 この日は重苦しい曇天だった。

 薄暗くて、少し肌寒い。


「スプリさん。その、この子は………」

「いや……いや……!」

「スプリさん」

「いやあああああ――ッ!!!」

 

 起きてすぐ我が子の元へ駆け寄ったスプリさんは、我が子が生きていないことを知った。

 呆然、脱力、動転、絶叫。

 見開いた双眸から感情が噴き出して、幼心では到底抱えきれない絶望が華奢な身体を叩きのめしていた。


「どうして……!どうしてぇええええ!!!」

 何度も何度も赤子に触れて、我が子が健康に産まれなかったワケを世界に問う。

 でも世界はこたえてくれなくて、彼女は行き場の失った悲しみを叫ぶ。


「スプリさん……!」

 かける言葉が見つからない。

 仕方ないとか、こういう運命だったとか、そんな言葉は決して口には出来ない。

 でも、彼女を独りで向き合わせるわけにはいかなかった。

 だから名前を呼んだ。彼女を独りぼっちにはしたくなかった。

 

「ごめ、ん、なさい。ごめんな、さい……!」

 母親というあまりにも重すぎる責任に、彼女は立ち向かっていた。

 世界を見せてあげられなかったと自分を責めながら、冷たい我が子を抱きしめる。


 あまりにも悲痛な光景だった。

 注ぐはずだったたくさんの愛を届けられなくなることがこれほど惨いものなのかと、思い知った。


 彼女の心はまだ幼くて、脆い。

 このまま向き合えば、きっと壊れてしまう。

 彼女の抱えるものを少しでも軽くしてあげたかった。

 

 「君は悪くない! 悪くないんだ! 自分を責めちゃダメだ!」

 咄嗟に彼女を抱きしめた。

 考えるより先に、身体が動いた。

 

 ――違和感

 

 彼女を抱きしめて、何かがおかしかった。

 

 「……は?」

 僕は気付いて、くぐもった声が漏れる。


 抱きしめていなかったのだ。

 抱きしめていたと思っていたのに、抱きしめることが出来ていなかった。

 

「なんだよ、これ……」

 壁があった。

 僕の身体と彼女の間に、とても薄い透明な壁。

 僕は彼女に触れることが出来なかった。

 

「……スプリさん?」

 わけも分からないまま、しかし嫌なほど胸がざわつく。 

 

 現状を理解できたのは、彼女の眸を見た時だ。


「まさか――消したのか?」  


 この時、スプリさんの見る世界の僕は父親だと思っていた。

 

 でも、そうではなかった。

 アコニットでもなくて、誰でもなかった。

 

 スプリさんには、僕のことが見えていなかったのだ。

 そのうえ声も届かず、触れることすら叶わない。

 彼女はそこに誰もいないかのように振る舞っていたのだ。

 

「そんな……!」 

 

 スプリさんが我が子が亡骸で産まれたことを知った当時、一人だったのだろう。


 だから、「再現」した。

 いるはずのない人を世界から締め出して、母子だけの空間を作り上げたのだ。


 僕はただ、泣き叫ぶ彼女を見ていることしか出来なかった。

 慰めることも、同情することも、抱きしめることも、何も。


 悔しくて、悔しくて、僕は何度も叫んだ。

 愛する人の名前を、激励を、謝罪を。

 何もしてあげられなくて、でも何かしてあげたくて、何も出来ないことが許せなくて、叫んだ。


 彼女は日が暮れても泣き続けた。

 声が割れ、涙が枯れて、もう何も出なくなっても悲しみを吐き出し続けていた。

 まるで命を削って泣いているように見えて、このまま彼女が死んでしまうんじゃないかと、不安だった。


 しかし、その不安は杞憂に終わる。

 日没後まもなく、彼女が僕を世界に招き入れたからだ。


「……お、とうさん?」


 絶望から漏れ出したか細い声が、僕の中を電撃のように駆け巡る。

 

 ――役目を果たせ。

 

 彼女を笑顔にする者として、彼女の父親として、出来ることをやれ。


「スプリさん……!」

 弱弱しく震える彼女を強く抱きしめる。

 ちゃんと触ることが出来た安堵感は、すぐに使命感の中に埋もれて消えた。

 痛いくらいでいいと思って、身体に力を込める。

 我が身を削り泣く彼女に、彼女自身を思い出させてやりたかったのだ。


「頑張ったな……!!」

 

 頑張ったな? お前が言うな。

 何も出来なかったお前がスプリさんにかけていい言葉は『謝罪』だけだろう?

 

 心がじくじくと痛む。

 それでも彼女を笑顔にすると決めたから、それ以外はしない。

 謝るな。謝るな。

 謝罪をして楽になるのは僕だけなのだから。


「――も、もうしわけっ、ございません!」


 一瞬、僕の口から出たのかと思い、自分に対する嫌悪感が湧きだした。

 でも、それはスプリさんの言葉だった。


「お父さんっ!もうしわけございませんっ!もうしわけございませんっ!」 

 

 これまで繰り返し呟いた我が子への謝罪ではなく、父に向けた謝罪だった。

 なんでスプリさんが、父親に謝る必要がある?

 なんで……?

 

「次はっ、産みますっ! ちゃんと……ちゃんと産みますからぁ! だから、お願いしますっ!! どうか……。どうかっ! 追放しないでください!!」


 思考が混濁して、彼女の言葉をうまく汲み取ることが出来ない。

 しかし、追放、という言葉だけが鮮明に頭に残った。


 エルフという種族について店主から聞いた時から、ずっと引っかかっていたことがあった。

 『エルフのほとんどは集落の中で一生を終える』

 彼はそう言っていた。


 ではなぜ、スプリさんが集落を出ることになったのか?

 出ざるをえなかったのではないか?


 ――追放された。


 そういうことなのではないか?


 『お嫁さん!』

 彼女が夢見る将来が思い起こされる。

 優して愛らしい彼女にピッタリの、暖かな夢。

 

 次は産みます。

 ちゃんと産みます。

 悲痛にそう叫ぶ彼女はまるで、許しを請うようだった。


 「追放は……いや、ですっ! おねがい、します! お父様……っ!」


 ようやく分かった。

 今、僕がいるこの状況は、彼女が見ている記憶の場面は、スプリさんがエルフの集落にいられなくなったまさにその瞬間なのだ。


「追放なんてしないよ……! するわけないでしょ?」

 

 エルフは未熟な精神のまま数百年を生きる種族であり、それが故に性行為に伴うべき責任が希薄である。

 そう思っていたが、どうやらそれだけじゃなく、生殖そのものに大きな価値を見出しているらしい。

 だからスプリさんがあれほどにお腹の子を愛し、子を愛せなくなったことを悲しんでいる。


「スプリちゃんは頑張ったんだ。僕はそれを分かってる! それをどうして追放するっていうんだ!?」 

 

 彼女らが性行為に抵抗がなく、子供を欲するのは、彼女らが子供であるが故に本能に忠実だからなのだ。

 だからこそ、残酷な一面を持つ。


 つまり、健全な子を産めなかったスプリさんは、集落に要らない、ということだ。

 

「スプリちゃん!大丈夫だ……!大丈夫だよ! 追放なんてしないから! 安心して?」

 

 そんなひどい話があるか?

 無責任に作り方だけ教えて、上手くできなかったら追放?

 ふざけるな。

 

「僕に……お父さんに任せて? 絶対に君を守るから」

 

 そんなこと、決して僕が許さない。

 もう一度、彼女を強く抱きしめた。

 スプリさんを必ず救ってみせる。


 でも、

  

「……じゃあ、もう一度子種をください」


 僕は勘違いをしていた。


「今から、えっち……してください」


 何も分かっていなかった。


「もう一度してくれたら、ちゃんとお(・)父(・)さ(・)ん(・)の(・)赤(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)、産みますから……!」


 スプリさんの子供の父親は、アコニットではなかった。

 彼女の父親が実の娘を孕ませたのだ。


 強烈な嫌悪感が身体を走り抜け、たまらず彼女から離れた。

 でも、決して彼女に向けた嫌悪ではない。自分と、彼女が見る自分に対する嫌悪。


 父親とは子の苦しみを共に背負うもので、子供の為なら命を差し出してでも守るものだったはずだ。

 少なくとも、僕の父はそうだった。

 だから、スプリさんの悲しみを少しでも拭いたくて、一人じゃないよと伝えたくて、彼女を抱きしめた。


 でも違ったのだ。

 忘れていた。

 スプリさんの世界の僕は、酷い父親だった。

 

「して……くれないんですか?」


 スプリさんが喋ってる。

 一縷の望みが消えかかっている、そんな声色で。

 

 何か言わないと。

 何かしないと。

 どうにかして、彼女を救わないと。

 

  

 ――どうやって?

 

 僕が躊躇している間にも、彼女は肩を竦め、下を向く。

 「……で」

 今にも消え入りそうな声。

 それが、地獄の始まりだった。


「なんで」


「なんでなんでなんでなんでなんで」


「なんでっ!?」

   

 スプリさんの言葉は次第に強くなり、叫びに変わる。


「なんでしてくれないの!? 守るって言ったのに! 追放しないって言ったのに! なんでお願い聞いてくれないの!?」


 彼女は僕を見ていた。

 その眸には憎悪が込められていた。

 初めて見た、スプリさんの怒り。


「何か言ってよ!?」


 言葉が出なかった。

 どれだけ考えても、どれだけ喉を開いても、音一つ絞り出すことが出来ない。

 

 

「……お父さんが叩いたから」


 分かった気になっていた。


「お父さんが叩いたから!お父さんが蹴ったから!ひどいこといっぱい……いっぱい! 私がやめてって言ったのに! 赤ちゃん死んじゃうって言ったのに! ぜんぜんやめてくれなかった!!」


 でも変えられたと思っていた。

 

「お父さんのせいだ……! 赤ちゃんが死んじゃったのも、私が追放されるのも、みんなっ!! お父さんのせいだ!!!」


 何も変わってなどいなかったのだ。

 

「……返して」


 僕がしていたことは全部、無駄だった。


「返してよ……」  

 

 無駄だったのだ。 

   

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