十一話 十日目
アコニットを初めて演じてから数日、天気があまり良くなかったのは残念だったけれど、スプリさんとの日々は穏やかなものだった。
ほとんどの時間は父親、時折アコニット、という形で僕は二役を演じ、彼女と遊んだ。
そして、十日目のことだ。
「ピクニックに行きたい!」
いつも寝起きはしょぼしょぼのはずの彼女が、開口一番にそう言ったのだ。
少し驚いたけれど、僕も起きた時に天気を見てすぐピクニックを考えていたから、もちろん即答。
「いいね! 行こっかピクニック!」
「うん!」
「それじゃあ朝ごはん食べたら一緒に準備しよっか!」
「おー!」
スプリさんに手伝ってもらいながら手早く家事を済ませ、早速ピクニックに持っていく昼食づくり。
薄く切った角パンに薄切りのハムと卵焼き、葉野菜、甘じょっぱい果実のソースを挟む。
果物を漬け込んだシロップをミルクに合わせたドリンクと、水をそれぞれ水筒に詰める。
それをバスケットに詰めて、
「お昼ご飯の準備完了!」
「わー!」
外でごはんを食べるだけだとスプリさんが退屈しちゃうかもしれないから、家にあった釣り竿も持っていこう。
魔法で作られたものなんだろうけど、外でも使えるはずだ。
「よし!じゃあ出発!」
「しゅっぱーつ!」
ピクニックと聞いて、すぐに思いついた場所がある。
家の北にある林を抜けたところにあるという泉だ。
僕がこの町に来て酒場に入る前、中々スプリさんの元に行けずに町中をウロウロしていた時に話したおばさんが教えてくれたのだ。
まあそのおばさんは夜のデートスポットにおすすめ、と言っていたのだけど、林中の泉なんて、まさにピクニックにピッタリだと思ったのだ。
「いないねえ。どうしてかなぁ?」
鬱蒼と茂る木々を横目に行く道中、スプリさんはウミウサギを見つけたいらしく、キョロキョロと辺りを探す。
スプリさんはここを故郷近くの森とでも思っているのだろうけれど、少なくともこの林には目当ての動物はいないだろう。
「そうだねえ。……あっ!あれ見て。マルネコがいるよ」
彼女の興味を他のものに移したくて、木陰で裏返る白毛玉を指さした。
「マルネコ?猫ちゃんなの?」
「うん。足が退化してまん丸だからマルネコ。転がって移動するんだけど、酔っちゃうと裏返ったまま休むんだ」
「そうなんだ! かわいいねぇ~」
僕の目論見は大成功だった。
スプリさんはマルネコの手触りに夢中になってくれた。
でも、あまりにも彼女が気に入りすぎてしまった。
うんざり顔もなすがままのマルネコをかわいいかわいいと愛で続け、十数分。
スプリさんの愛は相も変わらずマルネコに注がれていた。
さすがに撫ですぎじゃなかろうか? そろそろ火がついてもおかしくない。
もしかしたらこの毛玉生物から危ないものでも出てるんじゃないか?
不安になってきた僕は、「そろそろ行こう」と声を掛けた。
彼女は「分かった!」と元気に応えてくれたので、僕もマルネコも胸を撫で下ろした。
「ってなんで連れてきちゃったのぉ?」
歩き出してすぐ、スプリさんが大きな毛玉を抱いているのに気が付いた。
「マルちゃんもピクニック行きたいって言ってたの!ね~?」
当のマルちゃん(いつの間に名前をつけたんだろう)は木々の間を飛ぶ虫に夢中なのだけど、とにかく彼女は彼?をいたく気に入ったらしい。
ピクニック、とは言っているが、結局家まで連れてきて、飼いたいって言うのだろう。
「……しょうがないなぁ」
親なら「もとの場所に返してきなさい」とか言って叱るのだろうか?
なんだか悪いことをしているような気持ちになる。
「やったぁ!うれしいねぇマルちゃん?」
でも、にこにことマルを愛でるスプリさんを見ると、それもいいかと思えてくる。
「ちゃんとお世話しないとダメだよ?」
「わかった!」
ごめん。マルネコ。
これも彼女の笑顔の為なのだ。
美味しいものを食べさせてあげるから、我慢してくれ。
何も考えてなさそうな表情のマルネコに、謝意を込めた視線を送る。
仲間が増えてから十数分、ようやく目的地に到着。
「わぁ~!」
鏡面のように天空を映す、瑠璃色の泉だった。
泉を囲む林から多くの動物達は水を求めて集まっていて、まさに林のオアシスというべき場所。
なのに驚くほどに静かで、どこか神秘的な雰囲気がある。
地元民の薦めるワケだ。
有名になっていないのがおかしいくらいの、美しい泉。
思わず見惚れていると、スプリさんのお腹が鳴る。
「ごはんにしよっか!」
「……うん」
顔を赤らめたスプリさんと畔に腰かけて、昼食を摂る。
それからは、あっという間に時間が過ぎた。
マルのごはんの為に魚釣りをしたり、連れた魚を焼いて食べた。
スプリさんは初めての経験に大喜びで、マルに何度も「美味しいね」って言い聞かせていた。
そのあとは昼寝をしたり、水遊びしたり、マルを撫でたり。
気付いた時には泉が琥珀色に染まっていて、また見惚れて。
帰る時間なのだと気付いて、少しだけ寂しさを覚える。
「楽しかった?」
スプリさんに聞くと、彼女はまだ遊び足りなかったのか、水辺に向かって走り出す。
さすがにもう帰らなきゃ、と言おうとした時、彼女がこちらを振り返る。
「すっごーく楽しかったぁ!!」
夕焼けを背に両手を大きく広げ、スプリさんが笑っていた。
金髪がふわりと広がって、髪の隙間をオレンジの陽光が通り抜けて、まるで彼女が透明になったように思えた。
綺麗だった。
昼に見た瑠璃色の泉よりもずっと神秘的で、琥珀色の泉なんか霞んで見えるくらいだ。
本当に、綺麗だ。
「しなないで……」
半透明な彼女に向けて、聞こえないように呟いた。
それが叶わないことだと知っているから。
でも、言わずにはいられなかった。
どうか。
どうかこのまま。
――暖かな記憶の中で逝けますように。
そう願った。
家に着いた頃には辺りがすっかり暗くなっていた。
魚も食べたし、夕食はどうしようか?と考えていた時、
「お父さん」
スプリさんに呼ばれて、振り返る。
「ん? どうし――っ!?」
思わず、僕は口をつぐんだ。
彼女の様子がいつもと違う、と思った。
「あのね?えっとね?」
彼女は言い淀むようでいて、言いたくて堪らないような、照れたような笑みを湛えている。
それがやけに大人びていて、蠱惑的で、少しだけ淫靡に見えて、恐ろしかった。
「できちゃったの……」
「でき……た……?」
えも言えぬ不安が頭の中に立ちこめて、嫌な汗をかかせた。
この先を聞いてはいけないような気さえした。
でも、彼女はそんなことを知る由もなく、満面の笑みで言った。
「うん……出来ちゃったの。
――私の赤ちゃん!」
「ぇ……?」
不安が的中し、くぐもった声が漏れた。
でも感情が理解を拒んで、立ち尽くした。
「これで、私も、お母さん……!」
彼女は涙を流していた。
でも、笑っていた。
うれし涙だった。
お腹をさすりながら、慈愛に満ちた笑みを浮かべていたのだ。
これまでに見たスプリさんのどんな表情よりも幸せに溢れていた。
これは、おめでたいことなのだ、と思った。
「あ……えと、その」
でも、複雑な感情が口を痺れさせる。
恐れていたことが起こったのだ。
父親の顔は、すぐに浮かんだ。
――アコニットだ。
彼女よりも年下の男の子。
スプリさんとアコニット。
ままごとをするくらいの精神年齢の二人の間に、赤ちゃんが出来てしまったのだ。
エルフがどういう種族なのか、二人の子供がどんな遊びをしていたのか。
こうなることは分かっていた。
でも、ダメだろう?
少なくとも大人になるまで、少なくとも色んな自覚が芽生えるまでは、そういうことはやっちゃいけないことで……。
違う。
違う違う違う。
僕が覚えた感情は、そんな正義感からくるものじゃない。
――嫉妬だ。
僕は、彼女が僕以外の男と愛し合っていたことが許せないのだ。
僕以外の男が彼女に幸福を与えたことが許せないのだ。
ただそれだけのことで、彼女を祝福できずにいる。
僕は彼女を笑顔にすると決意して、彼女の残り二か月を暖かなものにしたいと願って。
それなのに、僕の心が彼女の笑みを拒絶する。
どうしようもなく、僕は男だ。
足に力が入らなくなって、床にへたりこんだ。
あれだけ決意したのに、願ったのに、僕は彼女の幸せを喜べない。
「ほら、こっち来て」
内側がめちゃくちゃになっていた僕を、彼女がそっと抱き寄せる。
「聞こえるでしょ?」
彼女は僕の耳をお腹にあてがって、そう言った。
聞こえるはずがなかった。
だって彼女は記憶の中にいるのだから。
彼女のお腹に子供がいたのはとっくの昔なのだから。
でも……。
「聞こえる……」
僕の耳が微かな音を拾ったのだ。
何かが蠢く、小さな音。
彼女の中に、何かがいる。
この日も、彼女はアップリケを作っていた。
嬉しそうに、慈しむように、糸を折り重ねていく。
僕は途中で見るのをやめた。
見ていられなかった。




