十話 四日目
スプリさんのことを知ってから一夜明けた。
今日もすがすがしい陽気だ。
目を覚ましたスプリさんは僕を見て、「おはよ」と穏やかに笑う。
また怯えているんじゃないかと心配していたのだけど、どうやら僕は「優しいお父さん」らしい。
「今日はなにしよっか?」
パンを口いっぱいにほうばる彼女に、本日の予定を聞いてみた。
彼女がしたいことを、したいだけやらせてあげたい。
先のことを考えただけで目頭が熱くなるけれど、どうにか堪えて微笑みを作る。
すると彼女は時間をかけてパンを飲み込んだあと、
「今日はアコニット君が遊びにくるんだ!」
「あこにっとくん?」
知らない登場人物に首をかしげると、スプリさんが教えてくれた。
なんでもスプリさんより年下の男の子らしく、父が居ない時にたまに遊びにくることになっているのだそう。
僕は少し、肩透かしを食らった気分だった。
昨日のこともあり、僕はこれまで以上にスプリさんを笑顔にしようと漲っていた。
それが例え「酷い父親」の皮を被っていようと、だ。
でも、今日は僕の代わりにそのアコニット君が彼女の相手を務めるらしく、父の出番は無いらしい。
この場合、僕はどうしたらいいのだろう?
やはり父が居ない空間が必要だから、僕は外にいたほうがいいのだろうか?
どうやら昼頃にアコニット君が来ることになっているらしいから、それまでに洗濯をして……。
僕はいそいそと洗濯を終え、テキパキと干した。
早めにお昼ごはんを作って、昼前には町にでも行こう。
頭の中で予定を調整しながら、丸太小屋の玄関をくぐる。
その時だった。
「あっ! アコニットくんだ! いらっしゃ~い!」
駆け寄ってきたスプリさんがにこやかに言ったのだ。
一応後ろを振り返ってみるけれど、当然誰もいない。
と、いうことはつまり……。
僕は場面に応じて役柄が変わるらしい。
今のスプリさんの精神年齢はおそらく五~八歳あたり。
その年下の男の子だから……えーと。
「こんにちはぁ~! スプリおねえちゃんっ!!」
僕は声を半音上げ、ちょっと舌足らず気味にして、渾身の笑顔を持って、アコニット君を演じることにした。
自分でやっておいてなんだが、すごく鳥肌が立った。
僕は十八歳の大人だぞ?
「今日も元気でえらいねぇ! よしよし!」
スプリさんはぐっと背伸びして、僕の頭を撫でた。
お姉さん風を吹かすスプリさんはなんていうか、本当に良い。
僕が子供の頃に空想した、笑顔になったスプリさんそのもので、本当に良い。
僕は頑張れる。
そう思った。
「今日はお姉ちゃんとおままごとしよっか!」
「うんっ!!」
僕は赤ちゃん、スプリさんがお母さんの役に決まり、早速子芝居が始まる。
彼女はすぐに魔法で色んな小道具を作りだして、僕に前掛けを着けた。
「あかちゃ~ん! ほらごはんでちゅよ~」
彼女は僕に膝枕をして、何も掬っていない小さじを口に運ぶ。
「おいちいでちゅか?」
「……ば、ばぶぅ!」
「やぁん!かわいいでちゅねぇ!」
僕は十八歳で、彼女は推定五百歳。いい大人である。
これが店主に知れた日には、「プレイが特殊すぎる」と軽蔑されるだろう。
だからどうした?
だって仕方がないじゃないか?
今の僕は小さなアコニット君で、スプリさんはちょっぴりお姉さん、二人とも子供なのだから。
アコニット君とスプリちゃんは今おままごとをしてて、赤ちゃんとお母さんなのだから。
とはいえ今日のことを誰かに言うことは決して無いだろう。
別にやましい思いがあるとかじゃない。これは彼女を笑顔を見たいからやっている。
しかし世間体はあるから! そういうのも大事だから! 一応これは墓場まで持っていく。
しばらく赤ちゃんプレ……親子ごっこが続いたあと、ままごとにおける役柄の変更があった。
次は僕とスプリさんは夫婦らしい。
……嬉しいね。
喜ぶのも束の間、僕は思わず声を上げた。
「ちょっとちょっと!? 何してるの!?」
「なにって?ん? どうしたの?」
目を疑った。
なんで?どうして?
今のスプリさんも僕も、子供なんじゃないのか?
なのにどうして……
「なんで服を脱ごうとしてるのっ!?」
夫婦ごっこが始まるや否や、彼女はごく自然にワンピースの肩紐をずらした。
するりと上半身がはだけていき、きめ細やかな玉肌が露わになる。
慎ましやかな乳房を布が通り過ぎて、頂点の薄桃色が視界に触れ、僕はたまらず声を荒げた。
「だからやめてって言ってるじゃないか!?」
僕の言葉を歯牙にもかけないように、布地をどかそうとする彼女。
僕は急いで彼女に迫り、彼女の装いを整えた。
「……アコニットくん? どうかしたの?」
彼女はまるで僕がおかしくなったのかとでも言いたげに、困惑を表情に並べている。
僕はもう子供を演じることなんて投げ捨てた。
「なんで服を脱いだの?」
「え……だって、私がお嫁さんでアコニットくんがだんな様なんだよ?することなんて一つだけでしょ?」
「すること……って?」
不安が積み重なっていくのを感じながら、聞いた。
ここに来てからずっと気になっていた違和感が、どくどくと脈打つ。
「えっち」
彼女にあまりにも似つかわしくない言葉に、背筋が凍り付いた。
彼女と再会してから、少しずつ嫌な予感があって、でも気付かないフリをしていて。
それが今、確信に変わってしまった。
初めて違和感を覚えたのは初日、僕が何故かお父さんになった時のこと。
彼女はこう言っていた。「お父さんとお母さんがエッチして私が産まれた」と。
更に違和感が深まったのは同じく初日、家族の絵を解説してくれた時のこと。
一人の父と、たくさんの母親、そしてたくさんの子供。
間違いない。
エルフは、性に対する忌避感情を全く持っていない。
僕達人間の社会では性教育を行う。
責任能力などの精神面が成熟しない間にみだりに子供を作ってしまうことを避ける為だ。
だから、僕達は子供を作る行為をある種神聖視していて、一方で隠すべきもので、子供に容易く教えてはいけないことだと知っている。
しかし、彼女らエルフの場合はどうだろう?
エルフは長命でありながら、その生涯を若々しさ溢れる精神で過ごす、と聞いた。
つまり、彼らはずっと子供なのだ。
責任とか義務とかそんな堅苦しいことには目を向けず、気持ちのいい方向に走るはずだ。
だから、彼女やアコニット、エルフの子供達は知っているのだ。
責任能力の無い父や母、時には兄や姉から聞いたのだ。
――男女で行う気持ちのいいコトがある、と。
「そ、それよりもさ? 今日はスプリちゃんとお話がしたいな! おままごとはこれくらいにしてさ? お話しようよ!」
僕は腰を下ろしながら必死に笑顔を取り繕って、彼女から性を引き剥がそうとした。
彼女の笑顔の為だったらなんでもする。
でも、これだけは出来ない。
十八歳の僕には本当に魅惑的で、揺れなかったとは決して言えない。
だけど、それ以上に恐ろしさを感じたのだ。
言語化できるほど鮮明ではないけれど、確信めいた不安があった。
スプリさんと性、この二つを繋げてしまうと、何かとても嫌なことが起こるような気がしたのだ。
かつて見たスプリさんの黒ずんだ眸の奥に、エルフが持つこの性質が絡んでいる予感があった。
「え……うん!いいよ!」
彼女は怪訝そうにしながらも、僕のやりたいことに付き合ってくれるようだ。
僕はほっと胸を撫で下ろしたあと、
「スプリちゃんの将来の夢は何?」
ありきたりな質問をした。
「しょうらいの夢はねぇ……。お嫁さん!」
なんて可愛らしい夢だ。
「アコニット君は?」
「僕は……」
答えはすぐに浮かぶ。
僕の夢は、スプリさんを笑顔にすること。それだけだ。
だから、今答えるべきことも決まっている。
どうすればスプリさんが笑顔でいられるか?
それだけを考えて、僕は答える。
「旅をしたいんだ」
「たび?」
「うん。旅に出て、世界中の面白い場所とか、面白い生き物を見て回るんだ。例えば知ってる? 大陸のずうっと東には、笑う花が咲く場所があるんだ」
「花なのに笑うの?わっはっは、って笑うの?」
「ううん。声は出さないけれど、花の真ん中に顔がついててね? いつもはこんな感じでブスッってしてるんだけど、水をかけてあげたらニコッ!って笑うんだ」
「あはは!なにそのかお~!」
笑う花の顔真似をしてあげると、スプリさんが破顔する。
「ジポーニって国には見たこともないくらい大きな銅像があるんだよ。確かこんなポーズをしてるんだ」
「うそー!? へんなの~!」
「ホントだよ。他にもね、南のユリシアっていう港町では海に住んでる触手を食べる風習があって……」
世界の面白い場所、もの、生き物。
全部、僕がスプリさんに見せたかったものだ。
笑ってくれると信じてて、笑わせられると信じてた、あの頃の僕が見て聞いて集めた、彼女を笑わせる為のもの。
「すっごいね! 外にはそんなに色んなものがあるんだ!」
「そうだよ? だから僕は大人になったら見て回りたいんだ」
「じゃあね?じゃあね?」
彼女が興奮気味に前置きし、
「わたしもついて行っていい!?」
透き通る両眼を輝かせながら言った。
「……うん!いこう。一緒に見て回ろう」
「やったぁ! 約束だからね?」
「うん。約束!」
彼女と僕の、決して叶うことのない約束が増えた。
「スプリちゃんはどんなトコに行きたい?」
「えっとね~……キレイなお花畑!」
「キレイなお花かー。笑う花は?」
「や! もっとキレイそうなのがいい!」
「そっか……。じゃあ日月花はどうかな? 二つの花がこうやって……」
―――
――
―
夕方になると、「もうバイバイの時間だね」とスプリさんに言われて家を出る。
少しして家に戻ると、彼女は笑顔で出迎えてくれた。
「楽しかったかい?」
そう聞くと、彼女は元気に「うん!」と答える。
その後、スプリさんはまたアップリケを作った。
今回も花の刺繍。でも花びらが赤色で、花芯がにっこり笑ってる。
笑う花だ。アコニットにあげるらしい。
一昨日よりもずっと上手になっていて、安心して見守ることが出来た。
でも、安堵と隣り合わせるように、別の感情が芽生えた。
恐怖だ。
二日しか経っていないのに、手先の動きがまるで別人のようだった。
僕と彼女の生きる時間が違うことを改めて痛感した。
夜、寝室で横になりながら、かつて彼女から貰った葉っぱのアップリケを握りしめる。
スプリさんが笑ってる。
それだけでいい。
それ以上はいらない。
そう自分に言い聞かせた。




