第二十八話 二度目の撤退
大量の汗と息苦しそうにしているシルビア。今はまだ意識もあり、この程度で済んでいるが、時間が過ぎていくと症状が悪化してくる。
蜘蛛に背中を噛まれてから、この症状が出たことから毒で間違いないであろう。
しかし、毒の治療魔法をかけているリアムは焦っていた。
リアムは今まで、軍でも毒にかかってしまった者を治したことは数回ある。しかし、今回はなにかおかしい……上手く治療できないのだ。
医者と比べたら、圧倒的に治療経験が少ないこともあり、イレギュラーな事が起きると対処できない。
「だ、団長! 毒治療が上手くいきません!」
この言葉に一番強い反応を示したのは勿論ラルクである。
「どういうことだ!?」
ラルクは飛びかかってくる蜘蛛を斬り倒しながら、治療をしてくれているリアムに強い口調で言ってしまう。
魔物化した蜘蛛の毒は特殊なのか? そうリアムは考えたが、その考えは違うとすぐに気づき考えを改めた。
なぜならシルビアに噛みついたのは普通の毒蜘蛛だった。その蜘蛛を蹴り飛ばしたのはリアム自身であり、魔物化した蜘蛛ではなかったと断言できる。
では、なにが違うのか? 単純にリアムの魔法の能力不足か? それとも他に原因があるのか?
「まさか……」
オリバー騎士団長は、声を張り上げたラルクと、苦しそうにしているシルビアを見て、一つ思い当たる事があった。
「おい! リアム! どう上手くいかないのか教えろ!」
「それが……魔力が乱されるというか……綺麗に流せないんです!」
「やはり……」
シルビアへの毒治療が上手くいかない原因の、おおよその見当がついたオリバー騎士団長が、驚くべき発言をした。
「シルビアは妊娠しているはずだ!」
思いもよらない事を聞かされたラルクはシルビアと目を合わせる。
「に……妊娠……?」
シルビアは汗を流し、苦しそうにしながらもラルクと目を合わせニコリ微笑んだ。
どうやらシルビア自身は、妊娠しているということは、なんとなくわかっていたようだ。
しかし、子を宿しているときに魔法を使おうとすると子の持つ小さな魔力に乱されてしまうということまでは知らなかった。
先ほどシルビアが、突然魔法が使えなくなったのも、そのためである。
シルビアの妊娠を知り、危うく蜘蛛に噛みつかれそうになるラルクに、喝をいれるオリバー騎士団長。
「ラルク! 今は目の前の敵に集中しろ!」
相手が蜘蛛だったため、大事に至らなかったが、対人だったら殺られていたであろうというくらい動揺していた。
「そ、それで! 治療は!?」
原因がわかり、リアムに期待をするラルクだが、リアムの表情は険しいままだった。
「それが……子を宿しているシルビアさんに治療魔法をかけても、子に魔力を乱されてしまって上手く治療ができないのです。
一人が子の魔力を制御して、もう一人が毒治療をするといった方法じゃないと……」
「そ、そんな……」
「あの……お腹の子だけでも……助けられないの?」
「なにを言っているんだ! 君も子も、どちらも助けるさ!」
シルビアは毒治療ができないと知り、せめて子供だけでも……と。
しかし、そもそもお腹の子がそれほど大きくなっていないため、子供を取り出すことは出来ないのである。
知識の流通が乏しいこの世界では、そういったことがよくわからなくても仕方のないことだ。
ラルクはどうしようもない怒りと焦りを、蜘蛛にぶつけるしかなかった。
「くそっ! 蜘蛛共め! どこからこんなに湧いてくるんだ!」
今すぐにでも医療施設に連れて行きたいが、いつまでも減らない蜘蛛の群れに苛立ちを見せる。
そう、この蜘蛛の湧きかたは異常であり、この辺り一帯の蜘蛛が集まってきているようにも思えるほどだった。
戦い始めた頃は三十ほどの数だったのが、今は六十ほどに膨れ上がっていた。
一匹の大きさが膝まであり、魔物化した蜘蛛なら腰辺りの高さまである。
すでに肩で息をするコングは、よくここまで戦えたと誉めてもいいほどだった。なんとか治療ができないかと試みるリアム。
血が出るほど唇を噛み締め、戦い続けるラルクは神に何度も何度も祈り続けていた。
シルビアを助けてやってくれ、と。
「やあああ!」
――――ザンッ!
聞きなれた声が響き、横一閃に振られた大剣により毒蜘蛛は数匹まとめて斬られて飛び散っていった。
全員がその声のする方を見た。戦いながら見る者。上がらない腕を必死に動かしながら見る者。治療をしながら見る者。
そして涙を流し、唇からは血を流しながら見る者。
「「「ハルッ!」」」
留守番しておけと言われたが、蜘蛛の死骸を抱き締め、本当にキスまでして、ここに向かってきたハルがいた。
「蜘蛛にキスしてきました!」
そんなハルは、右手で大剣を振り回して、数匹まとめて斬り飛ばした。
左手にはソマリから借りた短剣で蜘蛛の頭部を刺していく。
そんなことができるのも、神様から分けていただいた力のおかげだろう。
本来、一般の大人が、両手で振り回す大剣を片手で振り回せているのだから。
そして大量の蜘蛛に飛びかかられても、落ち着いて対応のできる眼があることが大きかった。
そして僕自身、心配していた生きた蜘蛛との戦いに、動けていることに安心していた。
しかし、蜘蛛は嫌い! 気持ち悪いことには変わりはない。早く終わらせてしまいたい。
「す、すごい……あの重い大剣を片手で振り回しながら、できる動きじゃない」
実際に、目の前で戦いを見るのが初めてのガメットは、驚きを隠せなかった。
自分に攻まりくる蜘蛛を倒しながらも、何度もハルを見ていた。いや、見惚れていると言った方が正しいだろう。
僕はなにか違和感を感じた……。なんだろう。
――――そうだ、シルビアが見当たらない! 辺りを見渡すがやはり見当たらない。
そんな時、蜘蛛と蜘蛛の隙間からチラリとシルビアのローブが見えた。どうやら横になっているようだ。
居たことには安心したが、なにか怪我をしてしまったのだろうか? それとも、まさか毒によって動けなくなってしまったのか……。
「シルビアさんは大丈夫ですか!?」
「「「…………」」」
僕は蜘蛛越しにシルビアの安否を確かめるが誰も返事をしなかった。もしかしたらものすごい深刻な状況なのでは!?
「毒にやられているだけだ! この包囲網を抜けてシルビアを診療所に連れていく! それとコングがもう限界だ!」
リアムがいるのに診療所に行かなければならない理由はわからないが、とにかくみんなが囲まれている状況を何とかすれぱいいわけだ。
横凪ぎに大剣を振るい、ホウキで枯れ葉を掃くように蜘蛛を斬り飛ばしていく。
僕の正面の蜘蛛はかなり少なくなり、ここからなら皆が囲みから出てこれそうだ。
「ハル君が突破口を開いてくれた! みんなあそこから脱出しろ! ラルク! シルビアを背負って走れるか!?」
「もちろんだ!」
「ガメット! リアム! 手薄になった所を突っ切れ! コングはその後ろを付いていけ!」
「はっ、はい!」
オリバー騎士団長が素早く皆に指示を出す。こういったところは、さすが王宮騎士の団長を務めるだけはあると、感心するばかりだ。
僕が最後に大きく横に振り回し、残りの蜘蛛を排除すると、ガメットとリアムがこちらに向かって走り出した。
僕の横を通りすぎ、コングが重い足取りで出てきた。ラルクはシルビアを背負って走ってくる。
しかし蜘蛛も黙って見過ごしてはくれなかった。左右からラルクに向かって飛びかかってきた蜘蛛達。
右から飛びかかってきた蜘蛛を大剣で一刀両断にし、左側から飛びかかってきた蜘蛛に短剣を投げて突き刺した。
すれ違い様にラルクは僕に一言お礼を言って必死に走っていった。
オリバー騎士団長もこちらに向かってくるが、開いた蜘蛛の群れも再び蜘蛛によって塞がれようとしていた。
しかし、なんの心配もいらないようだ。さすがは三剣の一人といったところか。
飛びかかってきた蜘蛛を盾で弾き、剣で的確に急所を刺していく。剣に刺した蜘蛛を飛びかかってきた蜘蛛に向かって投げつける。
ついには蜘蛛を踏み始め、蜘蛛の上を走ってきた。やはりこの人も普通ではないようだ……。
僕の横に来たオリバー騎士団長はクシャっと僕の頭を撫でた。
「よく来た、助かったぞ」
ちょっと照れくさかった……。でも来てよかったんだ。
みんなが蜘蛛から振りきるまで、僕とオリバー騎士団長が蜘蛛を食い止める。
「ハッハッハッ! さすがハル君! とても頼もしいぞ! 是非騎士団に入ってくれたまえ!」
「いやいや……僕みたいな臆病者が騎士なんて務まるわけないじゃないですか……」
「自分のことを臆病者と言う奴もめずらしいぞ。もっと自分に自身を持て! 君はもっと強くなれるぞ!」
次々と飛びかかってくる蜘蛛を、処理しながら勧誘をしてくるオリバー騎士団長。騎士なんて柄じゃない僕は丁寧に断る。
「では、友としてはどうかな? たまに一緒に剣の稽古をしたり、食事をしながら雑談などするのだ」
「友……ですか?」
「記憶がない……ということになっているようだが、知識は並み以上にあるようだ。しかし、アルステム国の常識を知らない。
一見怪しいが君を少しの間見ていた限り悪いやつじゃないと思った。
まだ断定はできないがな。そして、私の友ともなれば色々都合がいいことも多いぞ?」
「どうしてそこまで僕にこだわるんですか?」
「まぁ、私が個人的に興味があるのだが……君の話せる範囲で君の事を話してほしい。私の事を信用出来るようになってからでもいい」
「信用はしていますが……まるで僕がなにか隠しているみたいじゃないですか」
「じゃあ、神様に誓って隠し事、いや……嘘がないと言えるかい? 勿論言いたくないことまで言わなくてもいいが」
たしかに前世の事を隠すために嘘をついている。嘘つきという響きはいいものではない……。
嘘を隠すためにまた嘘をつくことになる。そしてそれが取り返しのつかないことになることもある。
しかし、内容が転生や神様の存在では話すことも難しい。どうしたものか……。
悩んでいる間にも、飛びかかってくる蜘蛛や迫ってくる蜘蛛を適当にあしらっていた。蜘蛛なんて単調な攻撃しかしてこない。
動きは速いが毎日稽古をしてくれているヨハンと比べたら……。
ただ数が異常であることだが、疲れにくい僕の身体があれば大した問題ではない。
「ま、考えといてくれたまえ。さて、そろそろ私達も逃げるとするか」
僕が悩んでいるのを見て、気をきかせてくれたのだろうか?
後ろを振り返ると、他のみんなはかなり遠いところまで逃げていた。
蜘蛛が襲いかかってくる僅かな間を見極めて、僕達は振り返り走り出した。
僕だけなら楽にふりきれるが、オリバー騎士団長は剣盾の達人でも走るのは達人ではない。ここは蜘蛛を食い止める一手があると楽に逃げれるのだが……。
シルビアに魔法を教えてもらってから、水の魔法を重点的に特訓をしていた。火の魔法は火事になって大惨事になったら困るので、練習できる場所がなかった。
危なくない所でこそこそと、薪に火を点ける程度の練習はしておいたくらいだ。
だが水の魔法は周りが水浸しになってしまうだけなので、王宮の庭園などで水撒きがてら色々練習していたのだ。
園芸師さんからは、水撒きの手間が省けて助かると、大喜びであった。
勿論大がかりな魔法を試してみるときは庭園ではやらずに、別の場所でコッソリやっていた。
このアルステムでは水魔法が攻撃に使われることはないという。
僕はさまざまな形、量を試してみた。前世の知識から、水で攻撃魔法に使えそうなものといえば、水圧で切るウォーターカッターだ。
しかし、実際そんなに簡単にはいかなかった。物を切るくらいの水圧を出せなかったのだ……。
試行錯誤するが決定的なダメージにならない魔法ばかりであった。イメージが大掛かりすぎると発動しなかったりする。
結局、水魔法で殺傷能力のある攻撃に使えるような魔法は開発できなかった。
そんないくつか試した魔法の中に、今役に立ちそうな魔法がある。
走りながら魔力を練り始めた僕の身体には、水色のオーラが纏い出す。
そして後ろに振り向きオリジナルの魔法を使った。
「激流!」
ドバンッッ!
大量の水が激しい勢いで、蜘蛛の群れに襲いかかる。脛の高さまでしかないが、水の勢いに足をとられたり、流される蜘蛛の群れ。
その間にオリバー騎士団長は蜘蛛から走り去ることに成功したのだが、僕は立ち止まって眼を凝らしていた。
この眼でようやく見えるという距離に、他の蜘蛛の倍以上あると思われる巨体と紫色に光る眼があった。




