5-12:廃 墟《待ち時間と突然の好機》
さすがにそれはコネの乱用じゃないのか。そう考えると他の客、もとい患者の飼い主に対して気が咎めるような思いもあったけれど、できることならそうしてほしいというのも彼の本心であった。
正直に言えば願ったり叶ったりのありがたい申し出ではある。相手の厚意もふだんのお礼ということならただの施しよりかは受け取りやすい。
胸に抱く子犬を見つめながら逡巡したのち、彼は尽くせる手はすべて尽くすことを優先した。
「・・・ありがとう、助かるよ」
料金はこの場で立て替えてもらうことにして、あとでレシート通りの金額を返すことにしよう。ひとまずは一刻も早くこの子犬の怪我をちゃんと診てもらうことが第一だ。
「いいっていいって、こっちこそいつもありがとうだよ。そんなことよりさ、その子名前なんていうの」
「――え?」
聞かれて初めて気がついた。そういえばまだ名前も何もつけていない。
それもそうだ。なにせ飼うと決めたわけでもないんだから。彼のまごまごしている様子で察したのか、
「やっぱ拾った犬なんだ」
勘の鋭い〈イケメン〉。これから世話になる相手に隠すわけにもいかず、彼はこの子犬をこうして病院に連れてきた経緯をいちから話した。
「だから、狂犬病の注射とかも打ってない。怪我もしてるし、栄養状態もあんまりよくないんじゃないかって思う」
犬にも入院があるんだろうかと考えながら、状況を伝える。するといつも軽口ばかり叩いていて教師の話もろくに聞かない目の前の男は、やけに神妙な面持ちでうなずき顔に耳を傾けてくれた。それが彼には頼もしげに映った。
すべてを聞き終えた後〈イケメン〉は、まだ出会ったばかりの子犬を病院に担ぎ込もうとする、右も左もわからない彼に対して
「なーに、任せとけって。きっとなんとかなるからどっしり構えときな」
と自信たっぷりに白い歯を見せる。
こういう、楽天家と呼びたい自信に溢れる様子や普段の無鉄砲なほどの行動力を思い出すにつけて、なよなよしていて保守的な彼はつくづく似ても似つかない人間と交流をもったものだと人の縁の不思議を思った。
そうして彼は、自分にないものを多く持っているこの男を頼ることにした。
「ああ、よろしく頼む」
そうこうして歩いている内にいつの間にか病院の前についていた。
〈イケメン〉が子犬を受け取ろうと両手を差し出す。
腕の中で不安そうに見上げてくる子犬に「大丈夫」と微笑みかけてからそっと預けた。子犬を預かった〈イケメン〉は彼を安心させるようにウインクをひとつ飛ばし、彼に受付で待っておくよう告げてから裏口の方へと消えていった。
自動ドアをくぐって待合のソファに腰掛ける。
「・・・・・・・」
すると受付から訝しげな視線が送られてくるのがわかる。
さもありなん。彼は胸の内で受付の人に詫びた。
動物病院に己が身ひとつでやってきて受付もせずに居座るのだからこれを不審に思わない方がよっぽどおかしい。人の注意を引くのに馴れない彼は後ろめたさも相まって余計に居心地悪く感じたものの、自分から説明しに行くのも変だしなと思った。聞かれれば正直に話すことにして、それまでは黙って座っておくことにしよう。
「・・・・・・」
そうしてただ待っていると、色んな心配ごとが持ち上がってくる。
子犬はなんとか元気にまた走り回れるようになるだろうかとか。どうやって引き取り手を見つけようかとか。そんな考え事をしていると、スマホが震えて着信を告げた。
開いてみると〈ガリ勉〉からの連絡だった。
『バイト中にすまん』
という書き出しからのそのメッセージを見てみると、どうやら〈わんぱく〉が駄々をこねてどうなだめすかしたものか困っているらしい。詳細は以下の通り。
事の発端は幼稚園で他の子が犬を飼っていることを自慢してきて悔しい思いをしながら帰ってきた。そのときはなんのかんのとうまくやり込めてまあテレビでも見ようということになったのだが、肝心のそのテレビでも可愛いペット特集をやっていた。運の悪いことに、それによって押さえ込んだペットへのパッションが再度炸裂し、もう手をつけられない有様なのだとか。
こういう状況でも恵里菜や〈旦那さん〉ならばうまいことやるのだが2人は今せっかく楽しみの買い物に出かけている。それを邪魔したくはない。なのでここは残された自分と〈補助員〉の力でなんとかしたい。ついては最年長者でもあり、なにかと〈わんぱく〉をあやすのがうまい彼に助言を仰ぎたいと言うことが例の几帳面な文章で綴られていた。
「・・・これは」
読み終わった後、彼はもう一度最初から読み直した。
ごくりと生唾を飲み込む。にわかに手が汗ばむのを感じる。
これは願ってもない好機が向こうからやってきたと言えるんじゃないか?彼はすぐさまにでも飛びつきたい気持ちを必死に自制しようとした。
「えーっと・・・・・・」
そして次のような文章を送信した。
『飼っちゃえば?』
間もなく返事が来て、
『それは、他に手がないという意味と解釈していいのか?』
さすがに突拍子もないことを言ってしまったと彼も反省した。
つい興奮して先走った気持ちが文面にまで表れた。順を追って説明しなければ。
彼は『ぬか喜びさせた挙げ句がっかりさせたくないから話が決まるまでは妹と〈わんぱく〉には内緒にして欲しいんだけど』と前置きしてから、
『実は今、犬の引き取り手を探してる人がいる。もしみんなが満場一致で賛成するなら飼いたいなと考えていたところ』
さらに付け加えて、
『タツヒロは犬飼いたい?』
すぐに返事が来る。
『犬種は?』
相手が興味を示したので
『黒柴』
『まだちっちゃい子犬』
するとこれには間髪入れず返事が来た。
『やぶさかではない』
『むしろ手塩にかけて世話したい』
と情熱的な返答。その後に。
『若竹さんにも聞いてみる』
と送られてきたので『了解』と返信して、ふう、と彼は一息ついた。
図らずも犬を飼うかどうかの相談に持ち込めてしまった。
それもなかなか悪くない手応えを得ることも出来た。彼は自分の心の用意が整う前に状況が動き出した動揺と思いのほか順調に進みつつあることもあって少しそわそわした。2人の難関のうち〈専門家〉の説得の見込みは〈補助員〉にこれから聞けばいい。
(なんだか大事になってきたような――)
思えば1人でひっそりと過ごすことを目的としてあえて日常生活と切り離された廃墟を選んだはずだった。それなのに、まさかそこで起こったことを逆輸入のような形でホームに持ち込む日が来るなどとはまったく予想もしたことがなかった。




