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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
4月20日
33/106

5-10:廃 墟《時を経て再燃する想い》


 彼は適当な話しの接ぎ穂を求めて

「――そういえば、服はどれくらい乾きましたか」

 と声を掛けてみた。

 わざわざ聞くほど気にもなっていないが、間がたもてばそれでよかった。

「あ、たしかにそろそろいいかもしれませんね」

 後ろでもぞもぞと音がして彼女が立ち上がったのが壁の影で分かった。

 いったん相手に質問を投げて少しだけ気が楽になった彼は、また答えが返ってくるまで火を眺めることにした。

 それは窓から湿気った冷たい風が吹くごとに頼りなく揺れた。

 その揺らめく炎の灯りを彼は自分の心をみるような思いで見ていた。視界の端に映る子犬はその炎を恐れて近づかないままだった。

 炎を見ていると次第にマッチ売りの少女の気持ちが分かるようだった。

 彼は焚き火の柔らかな光を見るにつけて、その炎の中に懐かしい幻が見えてくるような気がしてきたのだ。それは、まだ〈そよ風の庭〉に来る前、彼と妹と両親の家族4人で毎年行っていたキャンプのことだった。楽しくて賑やかな暖かい団らんの記憶。

 ――しかし、それらはもう二度と戻らない。

 そして単に手の届かないがゆえに郷愁に胸を締め付けられるという以上に彼にとって過去を思い出すことは耐えがたい苦しさを伴う物だった。それらを打ち壊してしまったのがほかならぬ自分自身であったからだ。幸せな追憶の裏にはいつも消えざる過去の罪がまとわりついており、だからこそ彼はいつも楽しかった日々のことさえ思い出すまいと努めてきた。

 ――いっそ消えればいい。

 光が明るければ明るいほどに彼の胸にある影もより濃いものとなっていった。

 いっそあの焚き火など消えてしまって、この部屋もすっかり暗くなって何も見えなくなればいい。あの窓だって板かなにかで塞いでしまって外光も風雨も入らなくする。そうすればもう、自分は苦しまずにすむ。焚き火と、その中に浮かび上がる過去の幻影に向かって彼はそんなことを考えていた。

 すると、

「わ、あったかい。もう着れるくらい乾いてますよ、〈樹〉くん」

 声だけで笑顔が浮かぶほど明るい声だった。

 それでも彼は振り返らずにじっと火を見ていた。

「どうぞ」

 今度はすぐ後ろで聞こえたのでさすがに振り返った。

 すると毛布に身を包んだ彼女が優しげに彼を見下ろしており、丁寧に折りたたまれた彼の制服が差し出されている。

「・・・どうも」

 受け取ってみるとたしかにあったかい。

 少し煙の匂いが染みついているようだけれども、そんなことよりも、手のひらに感じるぬくもりに彼は心を奪われていた。

 互いに背を向け合ったまま服を着る。

 袖を通すと全身があたたかさに包まれる安心感があってなにか優しい気持ちになった。

 それはキャンプとは別の記憶を呼び起こした。それはまだ彼が小学生だった頃の冬の朝のことだった。ひどい寒がりで家を出たがらない彼のために母が彼の着ていく冬をヒーターであたためておいてくれたのだった。

 どんなに思い出すことが苦しくても、それらはまぎれもなく、幸せな記憶だった。まぎれもなく懐かしい、そしてぬくもりのある大切な思い出だった。

 気が緩んでひとつ新たに思い出すと、今までずっと出口を求めてせめいでいたかのように、次から次へと思い出が胸の中を駆け巡っていった。

 寒い日や雨の日に帰ってくると、しんどい思いをしてきただろうからとあらかじめ風呂が湧かしてあったり、玄関にタオルを用意して帰りを待ってくれていた。あるいは休みの日にはよく妹と一緒にパンやお菓子を焼いたもので、今でも妹は趣味でお菓子作りに凝っていてときどきホームのみんなに振る舞うことがある。

 それから、それから――

 汲んでも汲みつくすことのできない海の水のように次から次へとあふれ出す思いはとどまることがない。その懐かしいあたたかさの流れのなかに心を浸していると彼はなんだか無性に泣きたいような笑いたいようなわからない気持ちになった。

「・・・・・・」

 そういう他人に自慢するようなものでもない、とるにたりないありきたりな幸せこそが彼にとって何にもまして愛おしかった。

「あったかいです。ほんとうに・・・あったかい」

 我知らずそんな言葉を呟いていた。

 彼は記憶の流れをさかのぼりながら、ホームに来る前のことを思い出していた。

 離ればなれにならなければならなくなったあのとき、自分の心に背いたせいで最も大切な人を失ってしまったではないか。そうして、それからはずっと、自分もあんな風になりたいと思って生きてきたではないか。ずっと、あんな風に優しくて、誰かをあたためられる人に自分もなりたいと――。

(なぜ、こんなに大事なものを今まで忘れてしまっていたんだろう――)

 そのときぱちっと何かが爆ぜるような音がしてひときわ大きく炎が揺れた。

 彼女が驚いて彼に尋ねる。

「今の音ききましたか」

 けれど彼の方は落ち着き払ったもので

「たぶん湿気っていた枝の水分が飛んだんだと思います」

「枝?」

「はい。外に落ちてるような水気の多い枝は最初は火がつかないんです。ですがじっくり火を通すと水分が飛ぶので、そのあとはちゃんと燃えるんです。さっきの音は前にいれた枝が時間差で燃え始めた音なんでしょう」

 へえ~と感心した風の彼女に向かって、彼は今度は素直に謝った。

「・・・あの、さっきのことなんですけど、こちらこそすみませんでした。ムキになってひねくれたことを言ってしまいました」

 照れくさい恥じらいを覚えて頭をかきながら頭を下げると

「私の方こそ。お互い様にしませんか」

 と快い申し出があったので

「はい」

 と彼も頷いた。


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