第6話 絶望の全滅劇
「なら、魔法じゃなくて物理で斬り捨てるまでよ!」
最初に限界を迎えたのは、短気な双子の姉・天城結衣だった。
隊長である凛華を目の前で失った悲しみと、得体の知れない幼女に対する極限の恐怖が、彼女から冷静な判断力を奪い去っていた。
「お姉ちゃん、待って! ひとりで突っ込んじゃだめ――っ!」
「黙っててよ真琴! 遠距離攻撃が消されるなら、あの首を直接撥ねるしかないじゃない!身体強化・極限展開――『双翼の疾風』!」
結衣は綾の制止も聞かず、防壁の後ろから弾丸のように飛び出した。
全身に青い魔力の光を纏い、目にもとまらない速さでホールの床を蹴る。そのまま少女の死角へと回り込み、対魔合金で鍛え上げられた自慢の双剣を、無防備に晒された少女の白く細い首筋へと全力で振り抜いた。
いける、と結衣は確信した。
少女は避ける素振りすら見せず、ただ赤い瞳でこちらを見上げているだけだ。
「凛華隊長の仇ぃっ――!」
結衣の双剣が、少女の首筋と肩口に突き立った。
パリンッ!
鳴り響いたのは、肉を断つ音ではなく、薄いガラス細工が砕け散るような乾いた音だった。
「――え?」
結衣の目が大きく見開かれる。
どんな魔人の外殻も切り裂いてきたはずの双剣の刃が、少女の白い肌に触れた瞬間、まるで枯れ枝のように鍔元から粉々に砕け散っていたのだ。
そして、全力で踏み込んでいた結衣の体は、剣が砕けたことで行き場を失い、そのままの勢いで少女の小さな肩へと正面からぶつかってしまった。
ぽすん、と柔らかい音がした。
少女の白銀の髪が、結衣の頬をかすめる。
ただ、それだけだった。
結衣の全身を包んでいた青い身体強化の光が、ロウソクの火を吹き消したようにフッと消える。拍動していた心臓も、叫ぼうとしていた喉の震えも、少女の肩に触れたその一瞬で「死」に呑み込まれた。
「お姉ちゃん――っ!」
すぐ後ろから追いかけてきていた妹の天城真琴が、空中で糸が切れたように力を失った姉の姿を見て、悲鳴を上げながら手を伸ばした。
姉を助けなければ。あの子から引き離さなければ。
その一心で飛び込んだ真琴の指先が、崩れ落ちる結衣の背中と、そのすぐ横にあった少女の白い頬に、同時に触れてしまった。
とん。
真琴の胸の奥でもまた、同じ音が鳴った。
「お姉ちゃん」と呼んだ声の余韻が消えるよりも早く、真琴の瞳から光が失われ、双子の姉妹は仲良く折り重なるようにして、少女の足元の砂の上へと転がり落ちた。
一瞬の出来事だった。
特A級の近接戦闘員として名を馳せていた天城姉妹が、突撃してから床に転がるまで、ほんの数秒しかかからなかった。
少女は自分の肩にぶつかってきた2人を見下ろし、すこしよろけた足を踏みしめて、ぱちくりと瞬きをした。
「……痛いこと、しないのに」
どうして自分からぶつかってきて、勝手に動かなくなってしまうのだろう。
少女には、やっぱり大人や外の人たちの考えることがわからなかった。
一方、ホールの入り口に残された副隊長の早乙女綾と、魔導書を抱えた久遠寺ルルの2人は、目の前で起きた光景に魂が抜けたようになっていた。
5人いた『白百合の聖槍』のうち、3人がもう床の上で冷たくなっている。
しかも、あの白銀の少女は、ただの一度も攻撃の構えすら取っていないのだ。ただそこに立ち、ぶつかってきた剣を壊し、触れた人間の命を奪っただけ。
「あ……あぁぁ……っ」
ルルの手から、分厚い魔導書が滑り落ちて床に転がった。
守りの要であった多重の防壁が、ガラスが割れるように消えていく。
「いやだ……いやだぁっ! なにこれ、なんなのよあの子はぁっ! 魔人じゃない、人間でもない、あんなの……あんなの、『死』そのものじゃないですかぁっ!」
ルルは子どものように泣き叫びながら、腰を抜かしてぺたりと床に尻餅をついた。
「た、退却よ、ルル……っ!」
常に冷静沈着だった早乙女綾も、このときばかりは裏返った声で叫び、戦弓を投げ捨ててルルの腕を引っ張り上げた。
「勝てない! あんな化け物、私たちにどうにかできる相手じゃないわ! 地上へ逃げて、S級『クラウン』の刹那様たちに報告しないと……っ!」
プライドも、任務も、仲間の亡骸を回収することすら、今の2人の頭には残っていなかった。
ただ、あの白銀の少女から一歩でも遠くへ逃げたい。その本能だけに突き動かされ、綾とルルは互いの体を支え合いながら、来た道である入り口の隔壁へと無様に走り出した。
少女は、ホールの真ん中でその背中を見つめていた。
あとの2人も、行ってしまう。
そう思ったとき、少女の赤い瞳に、逃げていく2人の背中でひらひらと揺れている「真っ白なマント」と、その裾に刺繍された金色の百合の模様が映った。
少女がこれまで生きてきた暗い地下室には、白い研究服と、黒い鉄の鎧しかなかった。
あんなふうにキラキラと綺麗な光の粒をこぼしながら揺れる、真っ白でやわらかそうな布を見たのは、今日が初めてだった。
――きれいだな。
少女の胸のなかに、ほんの小さな好奇心が芽生えた。
あの白い布は、自分の『葬白の繭』みたいに硬くて冷たいのだろうか。それとも、さっき黒い髪のお姉さんが見せてくれた笑顔みたいに、ふわふわして温かいのだろうか。
ちょっとだけ、触ってみたい。
少女は床に転がる亡骸をまたぎ、ぺた、ぺた、と小さな裸足で走り出した。
足音はほとんどしなかった。けれど、恐怖に駆られて入り口へと走っていた綾とルルが、もつれる足で隔壁のすぐ手前まで辿り着き、後ろを振り返ったとき――
すぐ真後ろに、白銀の髪を揺らす少女が立っていた。
「ひっ――!? あ、あああぁぁっ!!」
ルルが絶望の悲鳴を上げた。
綾が咄嗟にルルを庇うように前に立ち、懐から最後の護身用の魔導短剣を引き抜こうとする。
けれど、少女は2人を傷つけようとして追いかけてきたわけではなかった。
少女はただ、目の前で揺れている2人の白いマントの裾と、差し出された綾の腕へと、両方の小さな手をすっと伸ばしただけだ。
「……これ、きれい」
少女の右手の人差し指が、綾の白いマントの留め具と手首に。
そして左手の指先が、その後ろで震えていたルルのスカートのリボンと指先に、ふわりと触れた。
ぱきり、と微かな音がした。
少女が触れた瞬間、綺麗な光の粒を放っていた特A級の白いマントは、そこから蜘蛛の巣状に色を失い、乾いた白い灰になってさらさらと崩れ落ちた。
そして、その布の向こう側にあった2人の魔法少女の命もまた、マントとまったく同じように、音もなく断ち切られた。
「あ……」
早乙女綾の単眼ゴーグルがひび割れて床に落ちる。
久遠寺ルルの大きな瞳から、涙が一粒だけこぼれ落ち、床に届く前に乾いて消えた。
次の瞬間には、2人の体は寄り添うようにして入り口の床へと崩れ落ち、二度と動かなくなった。
……また、静かになってしまった。
ホールには、もう誰の足音も、誰の呼吸音も響いていない。
対魔特務機関・魔法少女協会が誇る特A級討伐部隊『白百合の聖槍』。5人の精鋭たちは、この暗い地下室に足を踏み入れてからほんのわずかな時間で、ひとり残らず命を落としたのだ。
少女は、自分の指先で灰になって消えてしまった白いマントの名残を見つめて、小さく肩を落とした。
「……これも、壊れちゃった」
ふわふわしているかどうかも、わからなかった。
少女は後ろを振り返り、ホールの真ん中で眠っている黒い髪のお姉さん――神代凛華の亡骸を見た。それから、そのそばで重なっている双子の姉妹と、自分の足元で目を閉じている2人の顔を見比べる。
最初は、やさしく笑ってくれたのに。
「お日様を見に行きましょう」って、言ってくれたのに。
結局みんな、あの研究所の大人たちと同じように、動かなくなって冷たくなってしまった。
胸の奥が、きゅうっと冷たくなる。
ここにいても、もう誰も声をかけてはくれない。栄養ペーストを持ってきてくれる人もいないし、緑色に光るカメラのお友達も壊れてしまった。
少女が寂しさに耐えかねて視線をさまよわせたとき――
ふわり、と小さな風が吹いて、彼女の長い白銀の髪を揺らした。
少女は目を丸くして、風が吹いてきた方を見た。
ホールの入り口から続く長い回廊。そのずっと奥にある、分厚い防爆扉。
さっきこの5人のお姉さんたちが、外から大きな音を立てて壊したあの扉が、大きく開け放たれたままになっていたのだ。
ひしゃげた扉の向こうには、上へと続く長い階段が伸びているのが見えた。
そこから流れ込んでくる風は、この地下室の淀んだ空気とはまるで違う、すこし湿っていて、鉄と土の匂いがする不思議な風だった。
「……お外」
少女は、小さく呟いた。
黒い髪のお姉さんが言っていた、「お日様」がある場所。
この暗い箱の向こう側に、いったいどんな世界が広がっているのか、少女は知らなかった。
もしかしたら、そこにもまた、自分が触ると壊れてしまうものばかりがあるのかもしれない。
けれど、この冷たい死体ばかりの部屋のなかで、またひとりぼっちで膝を抱えて座っているのは、もう嫌だった。
ぱきり。しゃりしゃり。
黒いドレスのレースが崩れては編み直される微かな音を連れながら、少女は小さな裸足を踏み出した。
冷たい金属の床の上を、ぺた、ぺた、と歩いていく。
入り口に倒れている2人の魔法少女の横をそっと通り抜け、死体が並ぶ長い回廊を抜け、ひしゃげて倒れた巨大な防爆扉の隙間へと辿り着く。
その向こうには、地上へと続く薄暗い非常階段が、どこまでも高く続いていた。
少女は一度だけ後ろを振り返り、静まり返った『冥府の揺り籠』の闇を見つめたあと、白い小さな足で、最初の段をそっと踏みしめた。




