第18話 冷たい視線
「……あら、またあの子よ。F級の日向灯里」
「うわ、なんか泥臭いと思ったら……。あんな豆電球みたいな魔力しか出せない落ちこぼれが、よく恥ずかしげもなく昼間のロビーを歩けるわよね」
「今日の夜勤明けのパトロールだったんじゃない? どうせまた、迷子の犬でも探してたんでしょう、ぷっ」
すれ違うD級やC級の魔法少女たちが、わざと聞こえるような声でクスクスと笑いながら、汚いものでも見るような目で灯里を一瞥して通り過ぎていく。
魔法少女協会は、徹底した実力主義と階級社会だ。
とりわけ、S級の神代刹那が率いる最大派閥『天上薔薇』の影響力が強いこの第13支部では、家柄が良く魔力出力の高いエリートこそが「正義」であり、灯里のような孤児出身で魔力の乏しいF級は、危険な雑用を押しつけるための使い捨ての道具としか見なされていなかった。
「えへへ……みんな、今日も元気だなぁ」
灯里はそんな冷たい視線や陰口にも慣れっこになっているのか、少しだけ困ったように苦笑いしただけで、背筋を伸ばして受付カウンターへと歩いていった。
だが。
灯里のすぐ斜め後ろを歩いていたパーカー姿の少女は、フードの深い影のなかで、ガラス玉のような赤い瞳をすうっと細めていた。
少女には、周りの女の人たちが言っている難しい言葉の意味はよくわからなかった。
けれど、あの人たちが、自分の大切な「あたたかい人」を馬鹿にして、意地悪な声で笑っていることだけは、はっきりとわかった。
……うるさいな。
少女の胸の奥で、冷たい何かが静かに波立った。
自分を怒鳴った研究所の大人たちよりも、路地裏で手首を掴んできた男たちよりも、今この場所で灯里を笑っている人たちの方が、ずっと嫌いだと思った。
少女は灯里と繋いでいない方の右手……だぼだぼの袖口から覗く白い人差し指を、すれ違いざまに灯里を鼻で笑ったC級の魔法少女の背中へ向かって、ほんの少しだけ持ち上げた。
あの一歩後ろについていって、あの人の足首か、揺れているスカートの端に、ちょん、と指先を触れさせればいい。
そうすれば、あの意地悪な笑い声も、灯里を傷つける目も、ぜんぶ1秒で「死んで」静かになる。
少女がそう考えて、スリッポンを履いた足を半歩だけそちらへ向けかけた、そのときだった。
ぎゅっ、と。
少女の左手を包んでいた灯里の手が、優しく、けれどしっかりと少女の指先を握り直した。
「……っ」
少女が驚いて見上げると、灯里がこちらを振り返り、フードの奥の赤い瞳に向かって、ひまわりみたいに明るい笑顔を向けていた。
「大丈夫だよ」
灯里は周囲に聞こえないよう、ほんの小さな声で囁いた。
「あたしはぜんぜん平気だから、気にしないで。あなたが怒ってくれるだけで、あたしはすごく嬉しいよ」
灯里の親指が、少女の手の甲を、すり、と優しく撫でる。
そこから流れ込んでくる柔らかい熱に触れた途端、少女の胸のなかで膨れ上がっていた冷たい殺意が、まるで嘘みたいにすうっと溶けて消えていった。
「……うん」
少女は小さく頷き、持ち上げかけていた右手を袖のなかへと引っ込めた。
このあたたかい人が「平気」と言うのなら、今は殺さないでおいてあげよう。少女はただ、灯里の腕に自分の体をぴたりと寄せたまま、受付カウンターの前へと並んだ。
「お疲れ様です! 日向灯里、今朝の旧商店街エリアのパトロール報告に来ました!」
灯里が元気よく挨拶をして、カウンターの窓口に自分の認識票と報告書、そして小さなサンプル瓶を差し出した。
窓口の向こうに座っていた眼鏡の受付嬢は、爪のやすりがけをする手を止めもせず、露骨に面倒くさそうな溜息をついた。
「はぁ……日向さん? 夜勤明けの報告なら、朝の当直時間内に出してくださいって言ったでしょう。F級の雑務処理なんて、ただでさえ後回しなんですから」
「す、すみませんっ! ちょっとその、今朝はパトロール中に怪我をしちゃって、手当てをしてたら遅くなっちゃって……」
「怪我ぁ? 旧商店街の巡回なんて、せいぜい野良の低級魔獣くらいしか出ないはずでしょう。そんなところで怪我をするなんて、どれだけ足手まといなんですか」
受付嬢が呆れたように鼻を鳴らし、報告書に目を落とした……その瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。
「……ちょっと、日向さん。この報告書の記入欄、ふざけてるんですか?」
受付嬢が眼鏡の位置を直し、氷のように冷たい目で灯里を睨みつけた。
「『旧商店街路地裏にて、中位魔人裂爪のギルと交戦、および討伐完了』……? あなた、寝ぼけてるの? 指名手配されていた中位魔人のギルを、F級のあなたがひとりで倒せるわけないでしょう!」
「う、嘘じゃありません! ほら、これが現場に残っていたギルの魔力残渣です! 鑑定機にかけてもらえればわかります!」
灯里は必死にサンプル瓶を押し出した。
少女のことを隠すため、報告書には『ギルが魔砲を撃とうとした際に魔力暴走を起こして自滅した』と少し苦しい言い訳を書いておいたのだが、やはり素直には信じてもらえないらしい。
受付嬢が渋々といった様子でサンプル瓶を窓口の魔力鑑定機にかけると、ピピッ、という電子音とともに、モニターに『中位魔人・裂爪のギル(固有魔力完全一致・消滅確認)』という緑色の文字が表示された。
「えっ……うそ、本当にギルの核『コア』の残渣……!? なら、規定により討伐報酬と危険手当が……」
受付嬢が目を丸くして声を上げた、まさにそのときだった。
「……おーっほっほっほ! ちょっとお待ちになって!」
ロビーの奥、上位魔法少女専用のラウンジの方から、耳障りなほど甲高い笑い声が響き渡った。
カツ、カツ、と高級なエナメル靴の音を響かせて歩いてきたのは、3人の魔法少女だった。
先頭に立つのは、縦ロールに巻いた華やかな金髪を揺らし、フリルと宝石をふんだんにあしらった深紅の特注ジャケットを着こなした少女……この第13支部でB級の筆頭エースとして君臨する、西園寺美咲だった。
名門・西園寺家の令嬢であり、本部の最大派閥『天上薔薇』の末端に名を連ねていることを鼻にかけている彼女は、普段から灯里のような低級の魔法少女をいびり倒すのを何よりの娯楽にしていた。
その後ろには、彼女の取り巻きである2人のC級魔法少女が、虎の威を借る狐のようにニヤニヤと笑いながら従っている。
「さ、西園寺お姉様! お疲れ様です!」
さっきまで横柄な態度だった受付嬢が、手のひらを返したように立ち上がり、愛想笑いを浮かべて深く頭を下げた。
西園寺美咲は扇子で口元を隠しながらカウンターの前まで来ると、灯里が提出した報告書と、鑑定機のモニターを横目でちらりと見やった。
「なにか騒がしいと思えば……日向灯里、あなた、ずいぶんと面白い冗談をおっしゃるのねぇ? この落ちこぼれのF級が、あの凶悪な『裂爪のギル』を討伐したですって?」
「西園寺先輩……。冗談なんかじゃありません、今朝の夜明け前、本当にあの路地裏にギルが現れて、パン屋のおじさんを襲ったんです!」
灯里が懸命に説明すると、後ろの取り巻きのC級少女たちが「ぷっ、あははは!」と下品な笑い声を上げた。
「ちょっと聞いた!? あの懐中電灯しか出せない日向が、中位魔人を倒しただって!」
「どうせ、どっかの強い魔法少女が倒したあとの燃えカスを、ゴミ漁りみたいに拾ってきただけでしょう! 泥棒猫みたいに図々しいわね!」
周囲のロビーにいた他の魔法少女たちも、面白そうに足を止めてヒソヒソと囁き始める。
そんな四面楚歌の空気のなかでも、灯里は唇を噛みしめ、真っ直ぐに西園寺を見つめ返した。
「拾ったんじゃありません! あたし、ちゃんと最後までその場にいて――」
「ええ、そうね。あなたが拾ったというのは、少し言い過ぎだわ」
西園寺美咲はパチンと扇子を閉じると、わざとらしく優美な笑みを浮かべて言った。
「だってその『裂爪のギル』は……昨日の深夜、このわたくし、西園寺美咲が旧市街の外れで遭遇し、必殺の炎撃で致命傷を与えて追い詰めた獲物ですもの!」
「……えっ?」
灯里が思わず目を瞬かせた。
「とどめを刺す寸前で暗闇に逃げ込まれてしまって、どこで野垂れ死んだのかと思っていましたけれど……なるほど、あなたのパトロール区域に逃げ込んで、わたくしが負わせた傷がもとで自滅したというわけね!」
真っ赤な嘘だった。
今朝の路地裏に現れたギルは、傷ひとつ負っていなかったどころか、ピンピンした状態で黒炎魔砲を撃ってきたのだ。西園寺などは、昨日の夜は雨が降るからといってパトロールをサボり、支部のサロンでずっとお茶を飲んでいたことを、当直の誰もが知っている。
それなのに。
「まあっ、さすがは西園寺お姉様ですわ! どうりでF級の落ちこぼれなんかが現場に居合わせても生き残れたはずです!」
「ええ、そうに決まっています! じゃあ、今回の『裂爪のギル』の討伐功績は、当然すべて西園寺お姉様のものですね!」
取り巻きの2人が大げさに拍手をし、窓口の受付嬢も「ええ、それが妥当な判断かと存じます!」と即座に端末を操作し始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
灯里は慌ててカウンターに詰め寄った。
「功績やスコアは、西園寺先輩のところにつけてもいいです! でも、討伐報酬まで全部持っていかれたら……あたし、今朝ギルの攻撃で戦闘服もボロボロになっちゃったし、その修理代だって……っ!」
灯里にとって、その報酬はただのお金ではなかった。
今、自分の後ろで手を握っているこの小さな女の子に、あたたかいご飯を食べさせてあげて、可愛い洋服を買ってあげるための、どうしても必要なお金だったのだ。
すると西園寺は、心底おかしそうに喉を鳴らして笑い、自分の端末を操作してピッと窓口の機械にかざした。




