第16話 腐りきった正義
「騒ぐな。この息が詰まるような魔力の圧と、焦げるような熱気……お前たちでも、誰が来たかくらいわかるだろう」
黒崎が口元に皮肉げな笑みを浮かべて非常階段の方を見やった、その直後。
開け放たれたホールの入り口から、まるで太陽そのものが地下へ降りてきたかのような、眩い蒼色の焔の輝きが差し込んできた。
コツ、コツ、と。
灰と埃にまみれた金属の床を、一点の曇りもない純白のヒールブーツが踏みしめる音が響く。
先頭を歩いてきたのは、金糸の刺繍が施された深紅と純白のドレスアーマーを纏い、背後に揺らめく蒼い陽炎のような魔力のマントをたなびかせた、ひとりの長身の女性だった。
腰まで届く艶やかな黒髪は、妹の凛華とよく似ている。
だが、その頭上に浮かぶ白金の魔力冠と、周囲の人間を本能的にひれ伏させる絶対的な覇気は、凛華などとは比較にすらならなかった。
対魔特務機関・魔法少女協会が擁する最高戦力、S級のひとり。
最大派閥『天上薔薇』を束ねる絶対の統帥にして、『断罪の蒼炎』の異名を持つ最強の魔法少女――神代刹那。
その後ろには、彼女直属のA級近衛騎士たちが4人、氷のように鋭い眼光で周囲を睥睨しながら従っていた。
「……ご到着をお待ちしておりましたよ、神代様」
黒崎が胸に手を当て、恭しく、それでいてどこか芝居がかった仕草で頭を下げた。
「生憎と、あまり美しい現場ではありませんので、あなたのような高貴な方が足を踏み入れるには不向きかと存じますがね」
刹那は黒崎の言葉など耳に入っていないかのように、真っ直ぐにホールの中央へと歩を進めた。
彼女が通るたび、足元の床に残っていた黒い砂や金属片が、彼女の体から無意識に漏れ出す超高熱の蒼炎によってチリチリと赤く灼け、溶けていく。
そして刹那は、5つ並んだ棺の真ん中――妹である凛華の亡骸が収められた棺の前で、ぴたりと足を止めた。
ホール中の人間が、息を殺してその背中を見守った。
誰もが、最愛の妹を失ったS級の戦乙女が、深い悲しみに暮れて涙を流すか、あるいは妹の名を呼んで取り乱すのではないかと予想していた。
棺のなかの冷たくなった妹の顔を、上からじっと見下ろしていた刹那の唇から、やがて静かな声が落ちた。
「……本当に、最後まで愚かな子ね、凛華」
ホールの空気が、凍りついた。
刹那の声には、涙の湿り気などみじんも含まれていなかった。
そこにあったのは、期待していた道具が思わぬところで壊れてしまったときのような、冷え切った失望と、刺すような侮蔑の色だけだった。
「私が遠征で席を外している隙に、手柄を焦ってこんな薄汚い地下室へ乗り込んだ挙句……戦うことすらできずに、得体の知れない実験体に触れられて死だなんて」
刹那は、凛華の棺の縁に白い指先を掛けた。
「『白百合の聖槍』の隊長として、私がどれほど目をかけ、どれほどお膳立てをしてやったと思っているの。こんな無様な死に方をして、私の、いいえ、神代家の気高い名前に泥を塗るつもり?」
あまりにも冷酷なその独白に、近くにいた若い調査員のひとりが、思わず息を呑んで目を伏せた。
だが、次の瞬間。
ボォォォッ――!!
刹那の指先から噴き上がった凄まじい蒼色の焔が、凛華の棺の隣に置かれていた『冥府の揺り籠』の研究機材を、一瞬にして蒸発させた。
溶け落ちた鉄の雫が床に飛び散り、ホール全体の空気が爆ぜるように膨張する。
「――そして、それ以上に万死に値するのは、この私と同じ血を引く妹を、あろうことかネズミのように殺してみせた下賤な失敗作よ!」
刹那が顔を上げた。
端正で美しいその顔は、今や見る者の心臓を鷲掴みにするような、傲慢で苛烈な激昂に染め上げられていた。
「どこのどいつが作ったか知らないけれど、たかが地下のドブネズミどもがこしらえた『被験体0号』ごときが、神代家の血脈を汚したのよ!? この私、神代刹那の顔に泥を塗っておいて、同じ空の下で息をして歩くことが許されるとでも思っているの!?」
ビリビリと大気が震え、ホールの天井から細かい鉄錆がぱらぱらと剥がれ落ちる。
妹が死んだ悲しみではない。
『天上薔薇』の頂点に君臨し、すべての魔法少女から神のように崇められてきた自分の威厳が、名もなき実験体によって傷つけられたことへの、耐えがたい屈辱と怒りだった。
「黒崎司」
「はっ。ここに」
刹那が燃えるような蒼い瞳で振り返ると、黒崎は少しも怯むことなく一歩前へ出た。
「先ほど本部の理事会とも話を付けてきたわ。……この第7研究所で起きた『白百合の聖槍』の全滅、そのままの形で表に出すわけにはいかない」
刹那は周囲の一般調査員たちを近衛騎士に命じてホールから退去させると、声を潜めて冷酷に告げた。
「もし『魔力ゼロの幼女ひとりに特A級部隊が触れただけで全滅した』などと世間に知れてごらんなさい。協会の威信は地に落ち、私たち『天上薔薇』に対する予算も発言権も揺らぐことになる。ましてや……この第7研究所に流れていた古い魔力炉の出処を、余計な連中に嗅ぎ回られるわけにはいかないわ」
黒崎の口角が、わずかに吊り上がった。
やはり、この女も知っていたのだ。
『冥府の揺り籠』という地下結社がここまで肥大化した裏に、協会内部の一部の腐敗した理事たちによる横流しや資金提供があったことを。凛華たちがここへ送り込まれたのも、もとはと言えば、尻尾を切るための「証拠隠滅」を兼ねた作戦だったに違いない。
「では、公式発表はいかがなさいますかな?」
「凛華たち『白百合の聖槍』は、地下組織の最高幹部が仕掛けた自爆術式を阻止するため、自らの命を投げ打って街の市民を守り抜いた『殉職の英雄』よ。明日には協会本部で盛大な追悼式を開き、私の妹の気高い犠牲を国中に知らしめてあげるわ」
自分の妹の死すらも、派閥の権威を高めるためのプロパガンダに利用する。
その徹底した傲慢さに、黒崎は内心で舌を巻きながら、深く頷いてみせた。
「なるほど、美しい物語だ。……そして、裏の仕事はこの『猟犬』にお任せいただける、と?」
「ええ。地上へ逃げ出した『被験体0号』は、これより協会最優先の極秘抹殺対象に指定するわ」
刹那は、床に残された小さな裸足の足跡を、忌々しそうに純白のブーツの踵で踏み潰した。
「外見は銀髪に赤い瞳、黒いゴシック調のドレスを着た裸足の幼女。……この廃工場地帯に隣接する第12区、第13区、第14区の3つのエリアに、今すぐ監査局の監視網を張り巡らせなさい」
「承知いたしました。あの特徴的な『風化』の痕跡は、どんな隠蔽術式を使っても誤魔化せません。やつが街のなかで何かひとつでも物を壊すか、人間に触れれば、私の探知網が必ずその尻尾を嗅ぎつけます」
黒崎は懐から、特殊な魔石が組み込まれた羅針盤を取り出し、その針が微かに揺れているのを見つめた。
「見つけ次第、いかがいたしましょう? 生け捕りにして研究サンプルとして回収しますか?」
「必要ないわ」
刹那は吐き捨てるように言った。
「そんな不愉快な化け物、生かしておく価値などひとかけらもないわ。居場所を特定したら、まずは周囲の人間を使って徹底的に追い詰めなさい。もしその化け物を匿うような愚か者がいれば、民間人だろうと魔法少女だろうと構わない、同罪としてその場で処刑していいわ」
刹那の背後に揺れる蒼い焔が、暗いホールに不吉な影を落とす。
「そして最後は、必ず私に報告なさい。この『断罪の蒼炎』の遠距離極大魔法で、指先ひとつ触れさせることなく、街の区画ごと跡形もなく焼き尽くしてやるから!」
「御意のままに。必ずや、その白銀の首輪をあなたの足元へ引きずり出してみせましょう」
黒崎司が深く一礼する。
暗い地下研究所のなかで、腐りきった「正義」の密約が交わされた。
無数の遺体が運び出されていく冷たい回廊を背に、猟犬たちの見えない包囲網が、音もなく地上へと広がり始める。
……そのころ。
そこから遠く離れた第13区の古い住宅街では、昼下がりの柔らかい日差しが、『こもれび荘』の赤いトタン屋根をぽかぽかと温めていた。
202号室の閉め切られたカーテンの隙間から、金色の光の筋が1本だけ差し込み、畳の上で眠る2人の少女の顔を優しく照らし出している。
「ん……むにゃ……もう食べられないよぉ……」
寝言を言いながら、日向灯里が布団のなかで身じろぎをし、隣にいる小さな体をぎゅっと抱きしめ直した。
その腕のなかで、灯里の大きめの白いTシャツを着た白銀の少女は、灯里の胸元にぴったりと頬を寄せたまま、安心しきったように穏やかな寝息を立てていた。
外の世界でどれほど巨大な悪意と蒼い炎が渦巻いていようとも。
今の少女にとっては、この6畳の小さな部屋と、自分の手を握りしめてくれるこの温かいひまわりの鼓動だけが、世界のすべてだった。




